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成人になった日の記憶。

627回目です。φです。

今日は成人の日ですね!2000年生まれの方々が主役の日。おめでとうございます!

昨日ニュースで晴れ姿の彼らを見ました。素敵な志や目標を耳にして、私も彼らの言葉に気づかされることがたくさん。大人に向かっている彼らの言葉はきらきらとしていて、今の社会にこそ必要だと思う。

そういう私は、いまいち成人式の日の記憶がありません(笑)

果てしなく嫌な記憶としては残っているけれど。世界的な打撃を受けているけれど、それでも成人式の主役たちが良い記憶として残せますように、と願うばかりです。

さて、消しカス程度の記憶の残りを思い出したので書こうかなぁ。嫌な記憶って残るけれど、それをどう扱うかも自分次第ってこと。


私は成人式に出たくなかった。小学生の5年生の頃から塾に行って中学受験をしたので、地元の人なんて覚えてないし、そもそも私は同級生を覚えない。どの時代でも私は名札を確認していました。名札と声だけが頼り。

そこまで友人関係もしっかりとしたものではなく。友人はいたけれど、浅め、というか…子供を通して親同士のつながりがあったので、「~って〇〇ちゃんに言ってたみたいだけど」ということで色々ありました。それが激しく嫌で、年齢が上がるにつれて表面的な友人関係だったかなぁ。

まぁ私は学校のカースト等に関わることなく生きていたし、自由人として扱われていたし、”怒らせたら絶対怖い人”認定されていたので…飄々と生きていましたね確か(笑)

そんな私が地元の成人式に行っても「懐かしい!久しぶり!」という会話ができるはずなく。「誰この人?」で終わった。誰ひとり分からなかったし、がやがやとした音もストレスだった。朝早くから着付けやメイクの予約は勝手に取られていたし。私は勝手に自分の頭部を触られるのが嫌いでずっと鳥肌。拒否したんだけどね。

とにかく”嫌”というものを積み重ねた状態の成人式。母親曰く「自分が育てた証」「成人式に出ないと変に思われる」「見ずに死ねない」「着物まで用意したのに」「自分の振袖はもう一生着られないなんてかわいそう」「振袖は娘のために取っておいたのに」、などなど…最終的に私が「あなたの自己満足でしょ?それ」と思うような言葉ばかりになった。

その行かない・参加しろの論争によって、私はこの人表面は相手のためって言っていても段々自分の本性出てくるタイプだ~あなたのためを思ってって言うタイプだ~と学んだ。

結局一番楽しんでいたのは母親で。母親の親で。拒否権すらなかったことで不機嫌さを隠さなかった私に対して「スマイル~!」「せっかくかわいいのに」「みんな褒めてたよ」やら「いい加減やめて子どもじゃないんだから」などなど。いや、子どもじゃないんだったらこの振袖破り捨てますよ、という気持ちでいっぱいでした。ううん、私は着物破らないね、売ります勝手に(笑)

とにかく、すべてにおいて”嫌”という感情尽くしの成人式。今でも割と蓋をしている。まぁ成人式自体を悪いものとは思わない。きっとその日が誰かの記念日になって、再会を喜ぶ日になって、懐かしい誰かとの新しい思い出の始まりになるかもしれないのだから。

自分のことは置いておいて、「新成人おめでとう綺麗だよ☆」という私に対して「あなたの成人式はずっとふてくされていて~」という勢いよくほじくり返してくる母親はいますけどね。なぜか「みんな喜んでいたし、良い思い出になったよね!私のおかげ!」とか記憶改ざんされていますが。これに関してはスルーしてます。多分この人は一生そう言っていることでしょう。

まぁそんなこんなありながら、私はたくさんのことを成人式準備から学んだ。それだけはこの嫌な記憶を誇りに思う。

成人式になったから、大人になったから、という世間体では別に人の態度は変わらない。特に親。そして成人式後にめちゃくちゃお酒を勧めてくる人は「あ、こんな大人だったんだ」と気づいた。大人が大人というわけではない。精神的に。人によるけどね。

あなたのために、という言葉に透ける”自分のやりたいこと”はちゃんと見抜く必要性があるし、じゃあ…という気持ちを持ったら話が誇大化することだってあり得る。全部じゃないけどね。可能性が高くなる。

大人だから正しいわけじゃない。親だから絶対なわけじゃない。子どもの方が正しいときだってある。相手は絶対である、という尺度は役に立たないこともある。

最初に述べたように、私の消しカス程度の記憶から思い出しています。もう記憶を頼りに思い出さなくても、自分の知恵になった部分が多いからいまいち思い出せないけどね(笑)

反面教師、という名前で取り扱っているんでしょうね、私の私が参加した成人式の日のこと。…数年前のこの記憶がなければ、私はもっとピュアホワイトのような心を持っていたかも…いやそれはないかな元から白くはない!

良い記憶であれ、悪い記憶であれ、残らない記憶であれ。次のステップになるものであることを祈ります。


さて、最後になりましたが北陸付近では未だに渋滞が続いているようです。寒さや焦り、どうしようもなさ、様々な気持ちでお過ごしの方がいらっしゃると思うと、早く状況が改善されますようにと思うばかり。エコノミー症候群とかで運ばれることがなければいいなと思います。

多くの人が健やかでありますように。ではでは、良い日を!

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