27.価値はエントロピー、価格は抵抗。(マルクス、ミクロ、マクロの統一を目指して)

結論、効用もGDPも労働によって生じる価値も、全てはエントロピーを指す。

力学の第一法則は第二法則に含まれているようについ勘違いしてしまうが、第一法則によって慣性系を定義することで初めて第二法則が定義できる。

同様に、労働価値説を採用することで初めて収支が計算でき、その結果、搾取されているということを示すことができる。また、だから労働時間を短縮しようという話も出てくる。

しかし、本当に労働は“必ず”価値を生み出す(一対一対応)のだろうか。労働“力”の価値を時間で規定してしまって良いのだろうか。

よくある話で、穴を掘るサービスという商品と穴を埋めるサービスという商品とを消費した場合、熱力学風の言い回しで表現すれば、「他に何の影響も残さずに(時間の経過だけで)価値が生じる」ということになるが、言うまでもなくそんなことはない。(あってほしいとは思うが。)

したがって、価値のない労働というものが確かに存在する(後で見るようにこのモデルも正確には間違いであるものの、しばらくはちょいちょいある問題には目をつぶって頂きたく)。

ゆえに、労働を価値の根源とみるのは些か無理がある。したがって、労働価値説は偽。しかし、前提が偽となったことで、皮肉にも搾取されているという結論の真偽に関わりなく、それを導くこと自体は論理的には真である。

学校教育よろしく内申も評価対象だと言われれば(ブラック企業が好きそうな話だが)、搾取があるのかどうかはもはや分からない。

しかし、搾取という状態を結論づける説明は実際に可能である。どうやるかというと、

労働者は自らの労働をつぶさに観測している。しかし、評価を下す側すなわち雇用主側は彼らの労働をつぶさに観測している訳ではない。見えないところで苦労があった場合、同じ労働に対して当該労働者はそれを高く評価し、雇用主側は(時間が掛かったりした分)それを低く評価する。その差分が搾取として観測されることはあり得る。

つまり、fine-grainedとcoarse-grainedの差こそが搾取の根源なのである。

太閤検地以前は大きい枡で卸して、小さい枡で売っていた訳で、いつの時代も“測”るときの目(ゲージ)の細かさが立場で変わる(買う側と売る側、測る側と測られる側)のが問題なのである。

物理的な時間で測るのは確かに公正で便利だが、何でも時間で規定してしまうと、労働自体はいくつかのフラグメントで出来ているため、終業間際のやってもやらなくても良いダラダラ労働という無価値な時間が生じる。

この様に価値を時間で規定してしまうことには問題もある。それでもタイムイズマネーという考えは広く一般に行き渡っている。それは単純に時間による規定が先行しているだけである可能性もあるが、価値が実際に時間的な変化を伴うものであるという可能性も否定できない。

回路の中の電子はコンデンサーが充電されれば運動を止める。力の釣り合いが取れて安定しさえすれば(放電されない限り)それ以上動くことはないのである。

また、第一イオン化エネルギーよりも第二イオン化エネルギーの方が大きく、一価陽イオンより二価陽イオンの方が電気的に不安定である。つまり、価値というものは、ある系を安定な状態にしようとする傾向なのではなかろうか。

ミクロ経済学の公理は効用最大化であり、これも結論から言えば当たらずも遠からずと言ったところであるが、経済もまたある系を安定な状態にしようとするものであると考える。

すると、限界効用が逓減するという考え方はcoarse-grained的に結果だけを見れば確かに言えそうではあるものの、よくあるビールの話で言えば一杯目より二杯目の方が効用が小さい訳であるが、限界効用逓減則はその先に「だから購買欲が一時的に減少する」ということを含意すると考えられ、依存症の場合はそれが無くなる不安に常に晒されているため一見すると当てはまらない。しかし、fine-grained的に見ると、耐性によって化学反応でいうところのエントロピートラップが大きくなっているため安定した状態は求めるものの、過程が著しく不安定なのだと考えることができる。

ミクロというのはあくまで対象のことでしかないと言える。

ちなみにマクロは労働市場の経済であり、情報の担い手たる人の出入りを考慮に入れた大正準集団の理論であると考えられる。

同じ資本主義でもミクロ経済学とマクロ経済学は矛盾することがある。しかし、対象が異なるのだからそれは当然である。

電車がカーブを安定して回れるためにはカーブの中心に向かって等加速度でなければならない。電車の中でよろけないためには等速度でなければならない。いつ何をどう安定させようとするかで表面上の矛盾が生じたとしてもおかしくはない。

また、より実際的な話をすれば、物理学的にはミクロとマクロを繋ぐのは統計力学だが、対象とする集団の大きさで分配関数の形も変わってくる。そのため、「more is different」と言う名言が存在するほどである。

系の安定化にかかる量で時間的に変化する量と言えばエントロピーに他ならない。エントロピーが価値の指標であるとするならば、可逆過程や準静的過程はその増加がないか、あるいは少ない。

先程の穴を掘って埋める“だけ”(地面の凹凸だけに着目する場合)の労働は可逆過程だからこそ価値を生じないが、例えば水道管でも埋めて、元の状態から変化していれば価値が生じる。時間稼ぎのダラダラ労働の価値の生成は緩やかだ。

競争を強いれば、やれ特許だの知的財産権だのと言うことになって、情報は流れなくなる。そういった条件下で価値が生じるためには不可逆過程でなければならない。

消費させることだけを目的とした相殺できる商品は価値を生まない。敵対する国の双方に兵器を売り込むフランスのやり方はあってはならない。

エントロピーは統計力学的には状態数と結び付けられる。マクロ経済学を御旗に掲げる公務員達は新しい価値、新しい価値と念仏のように唱えているがこれはそのためである。

これも良く言われることだが、情報エントロピーが大きいのはグレーなときであり、だからこそ、白黒つけるために追加される情報の価値は大きいのである。

価値をエントロピーとおくことで逆に次の様に整理できる。

エントロピー;価値
仕事;商品
熱;情報(商品としてではない)
温度;立場
過程;労働

例えば、高温物体(依頼者)から熱(仕様)をもらって低温物体(下請けやフォロワー)に捌ききれなかった熱を渡し、その差を仕事(商品)にする過程(労働)でエントロピー(価値)が生じるといった具合だ。

あるいは、鉱石の山から鉱物資源を取り出したり、データの羅列から法則を紡ぎ出したりするような状況に見るように、困難な仕事ほど得られる価値は大きい。

しかし、ここで問題が生じる。エントロピーはエネルギー(玉石混交の情報)とともに増大するが増加率は縮小するものなのである(温度の逆数だから)。経済が伸び悩むのは充分に成熟した社会では当然のことなのである。

だが、一部の層はそのことを受け入れられない。パラダイムシフトのときに生じるような劇的なエントロピーの増大を夢に見続ける。そのために価値のないサイクル(準静的過程、変化に乏しい、計画的陳腐化が折り込まれた商品やラベルを貼り換えた商品)が延々と繰り返され、物理的なエネルギーや資源だけが失われていくのである。

経済の目的である安定化にはもう一つの方向性がある。エネルギーを低下させるということである。これは価値を生まないが、どの道行き詰まっているのなら無駄なサイクルを回すよりも手っ取り早い方法ではある。アイドリングをするにしても、もっと効率的に、ということだ。エントロピーを生成する中で生じるのが散逸構造であるのに対し、エントロピーがゼロの状態が結晶構造である。また、生物において発生過程はエントロピーが増大するが、逆に言えば受精卵の状態はエントロピーが小さいと言える。親は自らのエントロピーを増大させることで部分的に見かけ上エントロピーを減少させることで子を残す。成熟しきった社会は、知の結晶を作ることでその続き、あるいは異なる道を次に託すしかないのである。

とにかく大切なことは安定化を図るという目的を忘れないことと、実現する手段がミクロを対象としたときとマクロを対象としたときとで大きくは変わらないようにすることである。

続いて、価格についてであるが、マルクスにおいて価値の決め方と価格の決め方に矛盾があると言われるが、そもそも実際に価“値”と価“格”というふうに言い分けているように、この2つも必ずしも一致するものではなく、したがって矛盾もしない。

価格とは供給側の意思表示に過ぎないからである。

金利に関しては良く堰に例えられるが、価格も同様である。流通に対する抵抗として働く。あるいはまた、細胞のイオンチャンネルの開き難さとも言える。

どうしても流通させたければ相場より安くしたり、それでも駄目ならおまけを付けることすらある。逆に取引を拒むために無理な要求をすることもある(竹取物語)。

もちろん、生産に掛かったコストや生産を決定する段階での市場相場といった客観的な部分も根拠にはなるだろうし、そういった根拠を見積もる簡単な方法として産業連関表というものもあり、これはまるで生理学の様相を呈するが、最終的には生産者と商品の状態の安定性(ホメオスタシス)に基づいた流通への抵抗の意思表示である。

つまり、伸縮的(というより連続的)なのは価格というよりは生産者(および商品)の状態なのである。

総じて、生物物理学と情報統計力学の方法が社会をモデルとして見る上では極めて有効であると考えられる。

資源としての水は地球上の0.01%に過ぎないため価値は高いが、価格は低く設定されている。

およそ抵抗というものが熱を生じるのは象徴的である。

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