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「べき論」で変わる。

やほまる☻ あっきーです。





組織的に目標を達成するために

ベストな手法・人員配置・進行度を掲げる。
それが「理想論

理想はこうだけれども、ある理由で出来ない。
その場の環境や個々の能力、モチベーションを考えに組み込んで【ベストはこうだけどそうすることは出来ない。じゃあ今どうすべきか?】と問い続ける。
それが「べき論


今日はそんな話である。






僕は昔より性格が良くなったと思う。
もう少し言うならば、
僕は前より人を見るようになったし、物事の流れを見るようになった。


自己中心的な昔の僕を変えたのは、
当時大学生2年生の僕にとってはかなり歳の離れたと感じる3〜4歳上の先輩、AさんとRさんだった。


僕は他大学のバスケットボールサークルに入っていた。ほとんど1つの大学の学生で構成されたそのサークルで、Aさんらは僕に対して他と変わらず接してくれた。家に呼んでもらったり、飲みに連れて行ってくれた。そんな風に可愛がってもらっていたが、僕たちの関係は少し変だった


いつも本気で意見をぶつけ合っていた。
忖度や空気を読む、なんて事はお互い一度もなかったのである。


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A『じゃあお前はどうしたいの?



4年前。当時副会長だった僕が、Aさんらに相談事をしたときの返答だ。


「どうしたいも何も(笑)だからいま僕が言ったことをしたいのに出来ないから困ってるんですよ。みんなが動いてくれない。


A『だから、どうすんの?って聞いてんの。


「え?どういう意味ですか?僕が提案してることに間違ってるところがありますか?」


R『いや、お前の提案は正しいよ。』


「でしょ?どうしたら動いてくれますかね。


A『…お前このままやったらやばいで。

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訳が分からなかった。
明らかに僕は正しいことを言っていた。
サークルの運営において、円滑に物事を進めるための流れを確実に導きだしていた。



AさんとRさんは僕に言った。

『正しいことが正解やと思わんほうがええで。サークル運営なんて給料も発生せんのに、全員がお前みたいに責任感持って取り組めるほうが凄くない?確かに、お前の言ってる事は正しい。でも、それを実行できる環境じゃないってことがまず何よりの事実じゃないの?




……その通りだと思った。
僕は考え続けることを放棄していたのだ。
理想論を押し付けるだけだったのだ。



その場の環境や個々の能力、モチベーションを考えに組み込んで【ベストはこうだけどそうすることは出来ない。じゃあ今どうす"べき"か?】と問い続ける。考え続ける。

これをAさんらは「べき論」と呼んでいた。


その日から、僕は「べき論」を実行した。
その場その場に合った最適解を考え続けるには、その時・その場所での1人ひとりのモチベーションを把握する必要があった。

必然的に、以前よりも周りとコミュニケーションを取るようになった。

みんなそれぞれ自分なりの頑張りを発揮しているということをまず第一に認める。

だから相手の全てを否定することがなくなった。まずは理解する、それから意見をぶつけてみる。

どの要素に自分は介入できるのか、
仕方がない部分はどこなのかを判断する。

材料が揃って考えるのである。
さて、じゃあいま自分はどうすべきか?」と。






あの日の会話がなかったら、
今日の僕はなかっただろう。
人間として成長していなかっただろう。


今日この日も問い続ける。
組織的な目標達成だけじゃない。
個人的な目標達成においても、
壁にぶつかった時に下は向かない。



いま、自分はどうすべきか?


本当に悩むのは、落ち込むのは、
それを考えてからでも遅くはないのである。


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