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「なんて」で投げ出してしまう全てに。

明日なんて。

過去なんて。

愛なんて。

私なんて。

未来なんて。



人間なんて。



「なんて」
なんて、便利な言葉だろうね。


※※※


5月末、50人ほどが参加するイベントを企画している。
直前になって、ドタキャンが多発した。
一緒に企画している子のひとりは怒っていた。私は?あれ、怒ってない。予算どうしよう。準備してたけど、考え直しかな。それは思う。だけど、それ以上は思わない。ああ、こんなものなのかなあ。特に強い感情は湧かなかった。

そのとき、目の前で怒る彼女に向けて言ってしまった。

「人間なんてさ、信じるものじゃないよ」

そう言ってから、はっとした。
何も考えず、口にしてしまった。普段は言わないようにしているのに。
だって、私が誰かに同じ言葉を言われたとしたら、何も言い返せなくなる。凄く強い言葉だと思っているから。俯瞰しているようで、そう思ってない人からすれば突き放されるような言葉だと思うから。主語が大きすぎるから。

彼女が深く気にしているか、それは分からない。

ただ、そう言った事実に対して自己嫌悪に陥ったんだ。


※※※


4月に入って、友達に「あの子に嫌われているかもしれない」と相談された。
そうなのか。気が付かなかった。
ゆっくり話を聞いた。
それでも、どうしても、私には彼女が嫌われているようには見えなくて、対象が私がたまに話す相手だったから、それとなくふわっと聞いてみた。
何も無かった。心から安心した。友達がかなしい顔をしているのは嫌だから。
でも、彼女に「何も無かったよ」と言った私の言葉を受け入れては貰えなかった。仕方ない、のかな。仕方ないよね。だって、この言葉はあくまでも私の言葉だから。

数日後、彼女が自分で事実を確認して、大丈夫だ、となって、それから「ありがとう」という言葉を貰った。
良かった。これで、一旦は解決した。良かったよ。
でも、でもね、彼女に対して「人間なんて、」と思ってしまう気持ちが僅かに残った。
人間なんて、こんな感じだよね、と。

別に、彼女のことが嫌いなわけじゃない。優しい。私のことを気にかけてくれる。受け入れてくれる。むしろ、好きだ。幸せに生きて欲しいと思う。

どうしてなんだろう。

『人間「なんて」』が日々積み重なっていく。

「なんて」なんて、思いたくないけれど、
それでも思わずにはいられない。


多分、

「なんて」が、

私の心を守るための魔法の言葉なんだと思う。

「なんて」そうやって、心のバリアを張っていたら、誰かが侵入してきたとしても耐えられる。期待しなくて済む。泣かない。きっと、私のこと好きじゃない人は離れてく。
近くにいる誰かを傷つけない。



「なんて」で投げ出してしまう全てに、
私なりの愛がたぶん、こもってる。


なんてさ、矛盾かな。
投げ出してるのに大切なんて。



あ、また「なんて」って使ってしまったよ。


追記

「なんて」と思う自分に意味付けをしなくてもいいのかな、と書いてから思うようになりました。ちょっと、無理して理由をつけていたかもしれない。理由って、意味って、たくさんあるし、そこに理由や意味がないこともたくさんある。
きっと、ずっと、「なんて」という言葉とともに生きてくのかなと言いつつ、いつか消化する日が来るとしたらそれもまた一興だね。


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