-1[榛名いろは]
日々の些細な葛藤とちょっとの心の吐露。たまに壮大。 どうしても笑えなくて、苦しくて、涙が溢れてしまう、若しくは涙すら乾いてしまった日に。
ゆるっとふらっと赴いた旅のキロクと感情。
歩いてきた道の話。
私が通う大学の近くにはファミリーマートが2店舗ある。最近の日課は1日で1回ずつそのファミマに行って、BOSSのホット飲料50円引きレシートを使うこと。あれ、凄く便利。 午前の大学の講義が終わると、BOSSをリュックに突っ込んで、大学の図書館と街の図書館をはしごする。たまに、アニメ。(最近は「薬屋のひとりごと」をひたすら見ていた。) 集中力は続いてせいぜい2時間。高校生の頃は自習室にこもって1日中勉強とかしていたはずなのに、もうそんな体力を持ち合わせていないことに軽く、いや、
ふと、noteの過去の記事を遡っていたとき2023年12月31日の私へのメッセージが目に入った。 そのときの私にとって、2023年12月31日はただの文字列でしかなくて、その日が訪れる未来なんて想像できなかった。 そんな日が明後日に迫っている。 この1年、目まぐるしく毎日が刺激的だった。 それ故に、この1年間に容易に名前をつけることはできない。だから、敢えて言葉にして今、詳細に振り返ることはしないけど、日記を読み返して大切だった日々を決して忘れない。この日々をぎゅっと抱
21歳になった秋に、私はきっと大きく成長する。向き合わなければならないものの数に忙殺されているけれど、その有難さと幸せを抱き締めて、自身の強みと気持ちを大切に、前に進んでいきたいと思うのです。
私的夏の終わり曲、堂々の1位を飾る、フジファブリックの若者のすべて。 私が住む場所は秋がないと言われるくらい夏から冬への移り変わりがあっという間だ。薄い長袖を来ている時期などほとんどないと言っても過言では無い。 そんな僅かな、薄い長袖を着て肌寒さを感じる秋の初めの夜は、若者のすべてが聴きたくなる。 若者のすべてを再生する。 ドラムとキーボードの音が聴こえると一気に胸がぎゅっと掴まれる。 呼吸が浅くなる。 深く呼吸をしようと意識する。 この繰り返しだ。 若者のす
反対されるから、とか、なんだかんだ言い訳つけて避けてきた海外。 そんな私はこの夏、殆どを振り切って、東南アジアへ、バックパックひとつで旅に出た。 タイ、カンボジア、そしてベトナム。 見るもの全てが新鮮で、刺激的だった。 貧しいってどういうことなのか、 生きるってどういうことなのか、 観光に頼るってどういうことなのか、 やさしさって何か、 戦争ってどれだけ人を変えるか、 旅って何か、 たくさん考えた。 繁華街のひとつ裏の通りで寝そべる人を見て、 観光客が行
暑いよ、と聞いていた8月の京都は、 めちゃくちゃ暑かった。 予定よりちょっと早く着いた夜行バスから降ろされて、駅前を見上げるとでっかいタワーがあった。 ちょっと桃色っぽくて、青っぽい、朝焼けが綺麗だった。 夜に向かってく夕焼けも好きだけど、うわぁ今が一番今日の中で涼しいのかぁ、、えぇ、これで?!とか思いながら、なんだかんだこれから始まる一日にわくわくする夏の朝焼けはもっと好きだ。 夏。 そう。今は、夏なのだ。 昼前の天橋立も、フェリーの周りを飛ぶカモメも、昼過ぎの
この曲を知ったのは、私の街を台風が襲った4年前のあの日だった。 4年前は出会えて良かったものよりも、出会いたくなかったものにばかり注目していた。 出会えて良かったと心から言えるものを数えられるようになったのは、つい最近な気がするよ。 世の中を見渡してみると、 至る所に、残酷で悲惨なことがある。 きっと、温かさよりも冷たさの方が多い。 身を潰したら、私の苦しみを分かってくれる。 そんなことは無いと、20年生きてきたら気づいてしまった。 わかんない人には多分、ずーっと、わ
雑多な私生活。 これ以上近づいたら壊れる。 これより離れたらここで終わる。 どうしてそんなものばっかりなのかな。 褒め言葉じゃないこと、気づいてるよ。これは喧嘩というのか。価値観の押し付け合いというのか。 分からないけれど、複数人でそんなことがあった。 そのとき、「君は、優しいからね」と言われた。 ねぇ、そんな言い方ならその言葉要らなかったよ。 今まで受け取った「優しい」という言葉。 そのほとんどが心から「優しい」と思って言ってくれている言葉じゃないこと、知ってるん
その日死んだ五十川麻里子という人は私のダチだった。 この映画を見たとき、私は何を思ったのだろう。 去年の日記のページを捲る。 しかし、映画を見た記録はあっても感想は一切書かれていなかった。 それならば、記憶を辿ってみる。 1回目。街の大きな映画館で見た。ひたすら涙を流した。今思えば私は大破損してたから、そのせいもある。 2回目。友達と地元の小さな映画館で見た。胸がぎゅっとなった。見てよかった。泣かなかった。ああ、やっぱりこの映画好きだ、と思った。 3回目。アマプラで
梅雨とは思えない程からっとして、太陽が全力を出している朝のこと。 同級生とすれ違った。 あ、おはよう。 うん。おはよう。 ねえねえ、-1さんって変な子だよねってこないだ友だちと話してたんだよ。 ????? ん? え、変な子? 、、私認知されていたの? 、、、ちゃんと話した記憶ないけどなぁ? たくさんのクエスチョンマークが浮かぶ。 あまりにもさらっと言うものだから、あ、ふ〜んとしか言えなかった。 頭の中ではたくさんの疑問が飛び交っていたけれど。 ありがとう!褒め
明日なんて。 過去なんて。 愛なんて。 私なんて。 未来なんて。 人間なんて。 「なんて」 なんて、便利な言葉だろうね。 ※※※ 5月末、50人ほどが参加するイベントを企画している。 直前になって、ドタキャンが多発した。 一緒に企画している子のひとりは怒っていた。私は?あれ、怒ってない。予算どうしよう。準備してたけど、考え直しかな。それは思う。だけど、それ以上は思わない。ああ、こんなものなのかなあ。特に強い感情は湧かなかった。 そのとき、目の前で怒る彼女に向
これは、くるりの「愛の太陽」という曲の歌詞の一節。 先日、この曲が主題歌となった映画「ちひろさん」を見た。 「ちひろさん」の主人公、お弁当屋さんで働く「ちひろさん」のお話を。 「ちひろさん」という人 この映画を見て、思ったこと。 それは、誰かにとっての幸せが、別の誰かにとっての幸せになることは無いということ。 幸せそうだな、いいな、と見えるものは確かにたくさんあるけれど、その立場を自分に置き換えたとき、または内側に入り込んだとき、幸せであるとは限らない。 そんなこ
『フジファブリック』を初めて知った高校1年生。春。 部活動見学でふと、寄ってみた練習室から聞こえてきたのがフジファブリックの「虹」だった。 そこから、3年間。 私の高校生活はフジファブリックの曲とともにあった。 まわりにはチャットモンチー、アジカン、くるりが好きな人が当たり前のようにいて、 銀杏BOYZのBABY BABYを聴けば、大好きで憧れだった先輩のバンドを鮮明に思い出せる。 そんな環境が有難いことなんてつゆ知らず、ただひたすらにフジファブリックが大好きだったあ
大学生になってからのこの2年。 その時間をわたしは「逃避行」と名付ける。 いつか、わたしの人生を振り返ったとき、その他とは異質である意味での現実から離れた期間だった、と思うだろう。有り得ないくらいたくさんの感情で溢れていた。 逃避行の記録この2年間、私は毎日必ず日記を書いた。 いつかのわたしのために。 1日が積み重なって今があるということを忘れないために。 初めの頃は食べたものとかその日あったことを少し書くくらい。 それがいつからか、私の感情がびっしりと書かれるも
3月「出会いと別れの季節」と呼ばれることが多い時期。 雪融けが始まる時期。 目にする広告がスキー場紹介から桜の名所紹介へ変化する時期。 ふわっとほんのり甘い時期。 ファミレスにてこれはわたしが最近、通い詰めているファミリーレストランの話。 ファミリーレストランの使い方は本当に人それぞれで、パソコンで作業をする人も、ビールを飲む人も、ご飯を食べる人も、お茶をする人もいる。 そんな中で、わたしがいつも行く時間にほぼ必ずと言っていいほど働いている店員さんがいる。 その方
帰り道のリュックめちゃくちゃ重いなあと思ったら、そういえば、みかんがふたつ入っていました。 山を下ったら、おじいちゃんがみかんをふたつくれたんです。 ちなみにめんたま飛び出るくらい酸っぱかったです。