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エッセイ | 不等式的人間と等式的人間と

 厳密な数学の話をするわけではない。解釈に幅があるものを「不等式」的な言い方と呼び、ひとつの意味しか持たないものを「等式」的な言い方と呼ぶことにしよう。

 仕事でもプライベートでもよいが、「コレコレやっておいて!」というように、言われた通りにやることを好む「等式的な人間」と、「適当にやっておいて!」というように、自分の判断に委ねられるようなことをやることを好む「不等式的な人間」というタイプがあるように思う。

 クリエイティブというと、「不等式的な人間」のことを意味することが多いように思う。確かに、多少の制約条件があったとしても、既存の枠にとらわれないような発想は、不等式を好む人から生まれるだろう。
 しかし、等式的な人間がクリエイティブではないということではない。決められたことをキチンとこなし、同じ品質のモノを作りつづけることだって大切なクリエイションである。

 等式的な仕事も不等式的な仕事も、どちらも大切である。
 等式的な仕事ができないまま、不等式的な仕事ができるか、というとそんなことはないだろう。
 決められたことを言われたとおりに再現できる力がなければ、斬新なアイデアが生まれたとしても、それを具現化できない。
 また、自分自身でいくら「新しい!」と思ってみても、それが既に他の人の二番煎じに過ぎず、もはや棄却されたアイデアだった、なんてことも十分あり得る。すでにあるアイデアを知悉していることは、等式的である。

 多かれ少なかれ、どんな仕事でも、等式も不等式も必要だ。
 工場の中のような仕事では、基本的に「等式」的な人間のほうが働きやすいだろう。変に斬新のアイデアを出されても困る。決まったルーティーンを間違えることなく、坦々とこなすことができなければならない。
 企画のような仕事では、「不等式的な人間」のほうが働きやすいだろう。制約条件がある中にあっても、その中で最適解を見つけるのが企画の仕事である。

 私はどちらが優れていると言いたいわけではなく、どちらにも適性があり、どちらのタイプにもそれぞれの役割があると言いたいのだ。

 世の中、決まりきった等式的な仕事をしている人のほうが多いだろう。毎日同じルーティーンをこなしていると、自分のことを歯車の1つに過ぎないと考えてしまうこともある。歯車なら歯車で、プライドを持とう。歯車1つが狂えば、全体が狂う。クリエイティブと呼ばれる仕事をしている人だけが、世の中をクリエイトしているわけではない。


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