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言語学を学ぶ⑦ | 市河三喜

(1) シリーズ「言語学を学ぶ」

 意外と多くの方に読まれ始めた、シリーズ「言語学を学ぶ」。第7回は、英語学者・文学博士、市河三喜さんを扱います。
略歴はこちら(↓)


(2) ギッシング「ヘンリ・ライクロフトの私記」

 私の最も繰り返し読んだ愛読書は、ギッシングの「ヘンリ・ライクロフトの私記」(平井正穂[訳]、岩波文庫)である。初めて読んだのは、もう何十年も前である。
 日本語で読んだあとに、英語原文で読みたいと思い、書店の洋書コーナーでペンギンクラシックスに入っていないかな、と探したが見つからなかった。それで、あきらめて帰ろうかなと思ったとき、たまたま立ち寄った「語学コーナー」で、市河三喜先生の訳註書を見つけた。

 購入して、家に帰ってから、岩波文庫の平井訳とにらめっこしながら、英語の原文を読んでいった。
 平井正穂先生の日本語訳は、英語の原文に忠実でありつつ、過不足なく、格調高く、しかも読みやすい。その平井先生が翻訳するときに参照したのが、市河先生の訳注書だった。
 市河先生の訳注は、かゆいところに手が届いたものである。説明も簡潔で分かりやすい。文学研究というものを文学そのものよりも軽視していたが、市河先生のような文学研究者がいるから、日本の翻訳文化があるんだなぁ、と感慨深い気持ちになった。

 このようにして、「ヘンリ・ライクロフトの私記」を通して、市河三喜という名前を知った。

(3) 市川三喜・松浪有「古英語・中英語初歩」(研究社)

 
 当時、英語の勉強をするならば、現代英語だけでなく、古典を読んでみたいと思っていたので、「古英語」の参考書を物色していた。その時に出会ったのが、市河三喜・松浪有「古英語・中英語初歩」(研究社)である。

 パラパラっとめくるだけで、頭が💫クラクラした。現代英語訳以外の原文が、ほとんど読めなかった。
 これって本当に英語なの?、と思うくらいだった。まだ、ドイツ語のほうが理解できる。
 まず、現在では使われていない文字がある。つづりも現代英語とは違う。発音も現代英語とは大幅に異なるのだろう。未知の単語は未知のままで、類推することもできない。途方にくれた。
 それで、この本の本文を読むことは棚上げにして、せめて市河先生の「はしがき」だけ読むことにした。
 そのなかに、こんなことが書いてあった。

わたくしは日本人としてはどこまでも現代英語の研究に重きを置くべきであり、古代及び中世英語の研究は労多くして効少いものであると信ずる者であるが、しかし学問的立場においては古い時代の英語の正確な基礎的研究は必要なものであるから、出来るだけ一般の英語研究者にも参考になるように書いたつもりである。

前掲書p. vi 
はしがき(第2版)

 古代及び中世英語の研究は、労多くして効少ない!
 そうか😊。これは、一般学習者にとっては、とても親切な助言である。
 私は、「研究者」ではないから、現代英語の文学を楽しむだけでいい!今は。
 しかしながら、いつの日か、市河先生のように、古代・中世の英語も読めるようになりたい。効が少なくても、どんな時代の英語も読めたら、楽しいだろうな、と思う。だから、今は読んでも理解できない市河先生の著書を手放すことなく、本棚の見える位置に並べたままにしてある。
 市河三喜先生と私の関係は、お釈迦様と孫悟空の関係のようなものだ。どんなに頑張っても、市河先生の手のひらから逃れられそうにない。。。

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