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緒真坂さんに出会った😄。♥️「郵便小説」✉️を読んで感じたこと。

昨日(2021年12月4日)、緒真坂さんの新刊「郵便小説ぴむぽむ空豆少女」が発行されました。作者ご本人がいらっしゃるというnoteの記事を読んでいたので、天気がよかったこともあり、江古田でお会いしてきました。

新刊書にサインして頂いただけでなく、いろいろなお話を聞くことができ、楽しいひとときでした(「妻くん」のお茶もおいしかった😃💕)。
本といっしょに、紙袋🛍️の中に、お菓子のプレゼントが入っていたことにあとで気がつき、お心遣いをとてもうれしく思いました。

帰りの電車の中で、さっそく「郵便小説ぴむぽむ空豆少女」を読みはじめ、帰宅してから一気に読み終えました。
小説一冊を最初から最後まで、一気に読むのは久しぶりのことでした。

小説というものは、読まなくても死ぬことはないのですが、決して暇つぶしに読むわけではありません。

現実の世界から少し距離をおき、小説の世界に入り込み、そして小説の世界から出てくるとき、現実の世界が今までと違って見えること。それが小説を読む意義なのではないか?そんなふうに思いました。

この一冊を読んで感じたことを「読書感想文」ではなく、「読書感想詩」にしてみたいと思います。


[詩] 妄想と現実

妄想が現実と出会う前
妄想こそが現実なのだ

理想はいつも現実の中にあり
また現実から理想が生まれる

過去の後に現在があるが
現在が過去を
作りかえることもある

この世があの世を作るが
あの世の視点から
この世を
語ることもできる

生きる者の世界は
死者の世界の上に
成り立つのではなく
生きる者と死者とが
一体になって
ひとつの世界を形作る

ひとつの小説には
必ず終わりがあるが
読み終えて
それで終わるわけではなく
あとになって
美しい花を
咲かせることもある

小説は
「あなたは誰なのですか?」
と問いかけると同時に
「あなたのままでいいんだよ」
と答えてくれるものでもある

読む前は他者だった小説が
読んだあと
今までの自分と
一体になって
少しだけ新しい自分になる
小説を読むって
素敵なことだ







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