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#note感想文 | 文学っていうのはね。

 毎日SNSで小説と呼ばれるものをたくさん読んでるけど、文学って呼べるものはほとんどないね。

 思いつきを書くのはいいけど、魂が感じられない。ほとんどは単なる小噺ばかりで読むに耐えない。

 じゃあお前はどうなんだと問われたら、私は文学ではなく小噺だけを書いています、と答えざるを得ない。

 それなら、あなたにはエラそうに、他人の書くものを否定する権利はないですね。

 いや~、別に小噺を否定なんかしていない。ただ、小噺しか書いてないのに文学を書いていると誤解している人が多いなぁ、と思うだけさ。


 つまらない小説より面白い小説のほうがよい。私はその事を否定していない。ただ、「面白い」という言葉を「笑える」とか「気持ちが前向きになる」という意味で用いるなら、それには断固異議を唱えたい。

 私が嫌だなぁと思うのは、「ハッピーエンドじゃないと嫌だ」とか「人が死んだり殺されたりするのは嫌だ」とか「不道徳なものは嫌だ」という類いの人々。文学を何だと思ってるんだろう?って正直思うよ。


 良い文学っていうのはね、人を根本から破壊するようなエネルギーを秘めている。
 幸福な気持ちを一気に吹き飛ばしてしまうことすらある。
 愛欲に溺れることさえ美しいと思わせる時もある。
 人を殺すことすら正当化してしまうことだってある。
 愛より憎悪を肯定することだってある。
 それを忘れてはいけない。


 じゃああなたは「人を殺すこと、不幸になること、反倫理的な生き方をすることを肯定するのですか?」なんていう愚問を投げ掛ける奴もいる。アホか!!

 文学っていうのはね、暇潰しに読んだり、書いたりするものじゃない。あなたはモノを書きながら、登場人物の不幸を我が事のように感じて泣いたことがあるか?
 人が殺されたり、人を殺す場面を描いて戦慄したことはあるか?


 与えられたテーマがなければ何も書けない奴は、文豪はおろか、小説家にはなれない。
 偉大な作品を読んで打ちのめされて、生きてることすらイヤになった経験がない者は、文学の意味をまるで知らない輩だ。


 自分が日々書いているものが、単なる小噺だと知っていて投稿してるならいいけど、小噺しか書いていないクセに、「小説を書いてる」とか「文学を書いてる」とか自惚れているのなら、自分で文章を投稿する前に、まともな文学作品の1つでも読んでみたらどうだろう?

 くだらない駄文が多すぎる!

 文学っていうのはね、自分自身の思い出の追体験をするために読むものなんかじゃない。
 たとえフィクションであったとしても、自分には決して経験することがないであろう経験を自分の経験とすること。そのために文学を読む。

 日常生活の中で、誰でも経験するようなことしか書いていない文章なんて、わざわざ読む必要はない。

 どうせ読むなら、自分の価値観を完璧に破壊してしまうような血で書かれた文章を読みたい。
 とてつもない嫌悪感を抱いてもなお、心が惹き付けられるような文学に出会いたい。

 ハッピーエンドなんて、しゃらくせー。バカじゃないの?

 

 


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