宇野将実

大したことありませんが、読んでおもろいやないけ、と思ってもはえるものを書きたいなと思い…

宇野将実

大したことありませんが、読んでおもろいやないけ、と思ってもはえるものを書きたいなと思います。随筆 、詩、怪談。

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最近の記事

赤い屋根

 幼児の僕は泣いていた。幼稚園に行くのが嫌だったのである。なぜ嫌だったかは思い出せない。親と離れ離れになるのが嫌だったのか、それとも幼稚園の生活が嫌だったのか、さて分からない。嫌だった記憶はあるが、それも今思えば月並みな嫌さだったのだろうと思われてくる。このように記憶がはっきりしないことの方が多いのだが、妙に鮮明に蘇ってくる情景もあるのである。  ある日の僕は、幼い頭で効率について考えたようである。年少組の僕の教室は一階にあった。胸には黄色い名札を付けていた。リノリウムの廊

    • 適材適所

       昔々、当時入社した会社の新人だった頃、長野県に出張に行くぞ、と連れて行かれた。安物のチンピラのような細身でガラの悪い部長と二人、大阪から車で長時間掛けて向かうのである。車中にはミスチルが流れ、部長は「ええわあ、歌詞がええわあ」としきりに唸っている。助手席で僕は相槌を打っていた。松本に着いたのは二十時頃だったか。美味い蕎麦屋があるとチンピラが言うので腹を鳴らしてついて行く。確かに美味かった。そこで僕ははじめてビールをガッツリとジョッキで飲んだ。二杯飲んだのだが、気持ち悪くも良

      • 【詩】山の子

        熊笹の乾いた音に釣り込まれ 小枝を踏み踏み山道をたどる 霧雨が身を取り巻く気配がある 油断ならぬとはこのようなこと 樹皮の破れから覗く子に誓うが 山の神をたぶらかしはしない この誘いを不意にはしまい 受信機のつまみを捻って 感度を最大限にし 腹に息を吸い溜めて 現には戻らないと決めた

        • 【随筆】危ない奴

           小中学生の頃、友達に研磨の会社を経営している家の子がいた。少しだけ所謂オタク気質で、色の薄い猫ッ毛だった。この友達は空手を習っていたが、その所為もあったのか、ちょっと戯れにからかわれると忽ち豹変してよく人を殴った。普段はニコついているだけに、その変りっぷりには皆が肝を冷やしたものである。体は小さくむっちりとしていた。親友に選ばれるというタイプではなかったようである。しかし僕らがギターを持ってある友達の家に溜まっていると、どこからともなくよく現れた。そして昼時にもなれば彼は輝

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        • エッセイ
          22本
        • 16本
        • 手紙
          2本
        • 雑記
          6本
        • 掌編
          6本

        記事

          【随筆】烏は光りものを持ち帰る

           先日、あまりにも広告が鬱陶しかったので、YouTubeのPremiumに入会した。まんまと、である。私はあの構造も珍妙なものだなと思い、世の中のおかしなパズルの境界線を眺める心地だった。それというのは、YouTubeは巨大プラットフォームなわけで、常におびただしい数の人々が寝転がりながら、また無謀にも歩きながら、行儀悪くも食べながらYouTubeに首を突っ込んでいる。そのような人類の集う場所だから、おたくも広告流したら客増えて儲かりまっせ、というふれ込みである。要は利を謳っ

          【随筆】烏は光りものを持ち帰る

          【詩】春風

          終端が眩ゆい煌めきをある者に放ち 生命の燃焼の幕引きを刷り込む 薄桃色の春風が体を撫ぜ 渦を巻いて 見返りながらさってゆく その者は川端に沿って続く道に立ち 胸中に芽吹いた植物の匂いを 鼻腔いっぱいに溜め込んで 土に還るという標本的な定めを 薫風を睫毛に受けるが如く心持ちで それを身に引き寄せた

          【詩】春風

          【詩】汽車と私

          いわゆる二等星です 汽車の脇腹に飾るのです よく空を走らせるから なかなかの見ものですよ 金砂子をうしろに引いて ほとんど縦に翔ますから 見あげる私も星ごと 宇宙に放り出されたように 上も下もなく回りはじめます

          【詩】汽車と私

          【怪談】田舎の家

           友人が和歌山の田舎へ行った時の話である。父方の祖父母の家で、来るのは幼時以来、朧げな記憶しかなかった。屋敷のような日本家屋である。畳敷の居間も広く、妙に落ち着いた。特に気に入った一室があった。その部屋も畳敷で、八畳程の部屋だった。そこに寝転んで天井を見ていると、何だか吸われていくような心地がして、それがとても気持ちよく、安堵を感じていたらしい。すると祖父が来て部屋から出されたという。友人は、夜寝る部屋はあそこがいいなと思っていた。目を盗み、またその部屋に近づいた。閉まる襖の

          【怪談】田舎の家

          【詩】西の方

          天井に巣食った丸が脈動する条件を、駅の印刷物から探すことの大切さを、甥に説かなければならないが、私には私の孤独もあるのだから、まずはこちらに茅を葺かなければ話にならない。水米を渓流に還してもこの真理は変わるまい。柿の襞にとまる蜻蛉のようである。文庫の背に和芥子とはよく言ったものだが、意味がわからない。西の川に、キーボーと鳴く鳥がいるらしいが、上方の妖か何かであろう。

          【詩】西の方

          小春日和の憂鬱

           最近昼間なんかけっこう暖こうてね、ちょっと歩いててもじわっと汗かいてくるぐらいで。まあ心地ええわけですけども、昼夜の寒暖差が大きいもんで、とりわけ夜が難儀するわけです。暑気みたいなんの残りで暑かったりして、こら堪らんと思てちょっとエアコンを付けまして、そしたら今度はえらい冷えてきたりして、こらさぶいってことで止めましたらまた暑ぅなってくる。日中の陽気はええもんでも、夜はちょっと中途半端でちょうどええ塩梅にはなかなかならへんもんです。布団に転がってようやく寝付いても、ちょっと

          小春日和の憂鬱

          素敵な文章にふれて

           何かを書こうとする時、例えば今なんてのはノートパソコンでカタカタ打っているわけですが、昔はこのような手元にありませんでした。子どもの頃に文章を書くと言えば原稿用紙でしたし、けれどあれは、まあ苦役でしたわね。子どもなんてそんな思慮深くはない(目を見張る洞察がある)し、つぶさに何事かを思惑的に考えるなんてことより、めまぐるしく移り変わる目の前のきらびやかな世界のエンターテイメントに魅了される連続なんですから。これを胸に感じて面白味を実感することで精いっぱいです。そのように書かれ

          素敵な文章にふれて

          急がせるということについて

           日常に猶予なく感じることが常態化している。趣味などにおいて長い目で見て楽しみむことが気分的に難しくなってきている。週末の土日の二日間が最長の余暇であり、平日を通して楽しもうとする余裕がなくなっているのである。仕事が忙しすぎて、殺伐としていて、納期のお化けに憑りつかれているのだ。ああ、また明日から急ピッチでこなさなければ、そう思うと余暇はブツ切りになる。  なぜ人はこれほどまでに急いでいるのだろうか。無理難題が舞い込み、それに応えようとし、結果として下げざるを得ない口角をパ

          急がせるということについて

          粒立ってゆらめいて けぶる雲のたなびきは 僕の胸のなかに似て それなら僕の胸には 空を見上げる僕がいる? この胸の奥の奥 その僕の胸にも僕がいて 空の向こうにも僕がいる

          時期尚早のクリスマス

           今朝の目覚めは凍えていた。ツンドラかと思った。口元まで布団に潜り込んで、身体は丸まっているのに、異常に冷える。えらい寒さだと思っていると、背中に布団が掛かっておらず、オマケにシャツが捲れて貧弱な背骨がむき出しになっていた。そりゃ寒いはずである。  秋ってこれほど暖かいものだったっけ、と思うのを待っていましたとの如く、いきなり寒くなりやがった。十一月中旬である。気象庁に言わせると十一月はまだ秋で十二月からが冬だということらしいので、今はまだ秋なのであるが、この落差から、私は

          時期尚早のクリスマス

          日曜の憂鬱

           日曜の夜である。それもめっきり日が落ちるのも早くなり、十七時半にもなればもう暗い。そのような季節にある日曜の夜である。尚、悪い。  仕事は好きどころか人生に重ねていたところがあったのだが、身体を壊してからそのような働き方は間違いであったと気づいた。気づいたら気づいたで、忽ちにしてその職業に身を捧げることなどが阿呆らしくなって、本来本当に好きだったことに少ない自分の時間を使うようになった。そうなると、必然的に、仕事が億劫になる。が、億劫というとはぐれ者のようだが、そういった

          日曜の憂鬱

          眠るということ

           朝早くに目が覚めたのに二度寝したばっかりに十二時前に起きる。はじめに目が開いた時に起きられず、欲に勝てずに再び眠りに落ちたくせに、午前中をふいにしてしまったことを悔やむ卑しさが胸を掠める。それでも上体を起こすことはなく、暫くベッドの上でだらだらと転がっている私である。しかし、このような怠惰な状態であっても、なるべくスマホは見ないようにしている。このところ、スマホを見ていると疲れるのだ。次から次へと流れるテキストや動画。あれは人間にとめどない反復を強制する、言わば習性を利用し

          眠るということ