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老いnote - 最近何をしたか 5/23-6/2

老いnote
ふと気づいたがもう少ししたらnoteに書いたものを載せ始めて一年になる。一応定期的に載せているつもりだがどうだろう。定期的に載せても自分として何かがないと意味はない。それは自分にしか分からない。ほんの少しだけでも評価してもらえるのはとても嬉しい。しかし自分の書いてきたものが、なにか衝動以上のものがあるのかと思うと少し疑問だ。また、書き始めたときに比べて書き方は上達しただろうか。詩などはそのまま載せるしかないが、コラム的なものなど正直見返せば読みにくいと思うこともある。気づけば都度直しているがまだ読み返してないものも多いし、校正や校閲に難があるものも多い。直したい気持ちはあるが何がどうなのか分からなくなっている部分もある。自分の限界。単なる怠けかもしれないが、現時点では能力と時間に余裕がない。いや能力がないから時間に余裕がないのだろう。老いもある。昔のようにはできなくなった。それを感じる。ちょっとした不治の病気ということもあり不安があるのか、生まれてからの時間以上に老いていると感じる。物事を処理すること、運動能力、それら全てでだ。記憶などは酷い。もうだめだと何度も思う。これは自分だけなのかと思うし、若年性認知症なのかと不安になってもいる。ちゃんと学びもせず、努力もせず、偶然持っていた一般的な人の能力以下の力ですら年々減らしてきた。時間が経てばあまり感じることもなくなり感情も硬くなるのか、心に映る色が褪せているような気もする。若い感受性に辟易したりもするが実際はうらやましいとも思う。しかしそんなものは若くしてもなかった。いちいち感動したりする人は感情があふれているのだろうな、と思う。そういう人間であればもっとセンシティブな書き方や、言葉あふれる書き方ができたかな。そんなことも思う。
自分には限界があるとは思うが、それをどうにかして少しずつでも変えてゆきたい。老いてなお、か。そんな昔では思わなかったことも素直に思えるように、しかも書けるようになった。それはこの一年、noteに書いているからかもしれない。そうだといい。そしてまだ先があればいいと思う。肉体に限界があるにせよ心からそう思う。


名前じゃないよ

どこにでもあるのにどこにあるのか分からない。隅にあるのに気づかない。それなのにいてほしい。求めるだけ求めてる。気づけるのに気づかない。その価値は真理のように絶対的なもののようで実は分かりにくい。だから微笑んで。星の向こうからやってきてほしい。できれば早いうちに。


秘密結社の音楽の秘密

フィクションの映像作品と効果音や音楽について思う。人間の想像力の大きさや限界、ステレオタイプと化している部分、それらの多くは作品にとってよくも悪くも必要なものだ。それを考えると今回のドラマの音楽はまさにぴったりだ。音楽がドラマに影響を及ぼしているのか、ドラマのイメージが音楽になのか、それはどちらかは分からない。しかしそれらは多分どちらも正であり、それがより密接に絡みドラマの存在を大きくしている。このドラマの方向に偏った音楽はとても感情的で情緒にあふれている。それはどの音楽でもそうかもしれないが、これらはこのドラマに沿っていて浸りこんでしまう。そしてそれらは普段から聞いていても素晴らしい。そういう曲たちだ。

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