見出し画像

ミヤザキサヤカの「ZINE」~小さなわたしのメディアを作ってみた~

前回のnoteに引き続き、人間活動家の宮﨑です。

気候危機に問題意識を持ちながらも、環境活動家ではなく、人間活動家を自称する者として、私なりの「活動」を拡げていきたいと思っています。

ここにおける「活動」とは、ハンナ・アーレント『人間の条件』にある、人の営み「労働」「仕事」「活動」の中の、3つ目の「活動」です。

「活動(action)」:言葉を用いて他者とコミュニケーションを行う営み。誰かとおしゃべりしたり議論したりすること。

気候災害が深刻化する昨今、「人間活動」が地球温暖化の主因であることは、疑う余地がないと言われています。

しかし、この文脈における「活動」とは、アーレントの3つの営みにある「活動」ではなく、むしろ、人間の「労働」あるいは「仕事」にあたる「活動」なのではないかと、考えています。

これだけ物にあふれた現代でも、私たちは一日に何十時間も働き、休むことを知りません。精神を疲弊させてでも、”食っていくために”働いています。しかし、その結果として地球環境に負荷をかけ、台風や熱波などの災害は年々頻度を増し、明日を生き抜くために身を粉にして働いたことが、気づけば何年にもわたり被害を被る、取返しのつかない事態を生んでしまっています。皮肉な状況です。

では、どうすれば私たち一人ひとりは、持続可能な社会をつくっていくことができるのか?

その鍵は、「人間活動」における「活動」の転回にあると思います。

「労働」や「仕事」に忙殺されるあまり、今、自分は何を感じているのか?何に嫌悪感を感じ、何に癒されるのか?そういった感覚が麻痺してしまう気がします。

社会からの要請に従い続け、自己疎外を重ねた結果、実感というものを見失い、SDGsで取り上げられるような貧困や環境問題などにも関心を払う余地はなくなっていきます。

この傾向に抗うためには、「活動」の領域を増やしていくことが不可欠です。

他者との対話や議論を行う中で、自分が揺さぶられ、あやうく吞み込まれかけていた、自分が本当に大切にしたいものに触れる。自分を取り戻していく。

こういった営みは、直接的にCO2を削減することではないとしても、価値あるものだと思います。感染拡大がおさまらないコロナにしても、これまでの人間の生き方そのものが問われているのであり、近視眼的な対策だけに終始していては、同じことが繰り返されるだけではないでしょうか。

では、具体的に何をするのか?

本当にささやかですが、私は読書会の開催と、ZINEの制作を継続していきたいと考えています。

読書会についてはこちらをご参照いただければ。

ここでは、ZINEについてご紹介したいと思います。

先日、シブヤ大学のイベント、『歩くようなはやさで生きる人のためのリベラルアーツ』に参加をしました。そこで、ZINEの存在を久しぶりに耳にしました。

ZINEとは、英語で「個人または少人数の有志が非営利で発行する、自主的な出版物」のことです。

時々、雑誌などで見かけていたZINEですが、シブヤ大学でZINE制作のプロジェクトが始まるということで興味深く、聞いていたところ、イベントの中で、野中モモさんという方の本が紹介されていました。


「小さなわたしのメディアを作る」という表現に惹かれて、早速読んでみたところ、今の自分にドンピシャな本でした!


大きな資本力もコネも持たない個人が、誰にも頼まれていないけれど作らずにはいられなくなって作ってきた、「小さなメディア」としてのジン
ささやかだけれどかけがえのない人の心の動きを宿したジンたちは、生活と芸術、個人と公共とが分かちがたく結びついていることをそっと教えてくれる。
ジン活動は自分の人生を主体的に生きるための練習であり、同時にかけがえのない本番。この拙文が、これまで大きなメディアであまり顧みられてこなかった経験に光を当てる新たな語りを誘発することができれば、恥ずかしさに悶え苦しみながら書きあげた甲斐があるというものだ。

個人的に励まされた部分は以下です。

大きな企業スポンサーや公的な助成、いまだとクラウドファンディングで資金を集め、ビッグネームを起用して洗練されたメディアを作ろうとする世知に長けた若者というのは常にいて、すごいなと思うけど、そうやって体裁を整える能力とは別のところにも大切なことが絶対にありますから。有名人の協力を仰ぐにしても、それはまず読者の興味を引くためのフックとして利用して、あなたの視点と、あなたの身の回りにいるまだ世間に知られていないすごいやつのことを教えてほしい。そのほうが絶対あとでおもしろいことになる。読者としてもそういう地味で切実な良さや未来の予感に気づける人でありたいなと思っています。


ZINEを実際に作っている作者たちへのインタビューもありました。

アーティスト活動をする中で、思想とか自分の考えを伝える必要があるなと常々思っていたんですけど、伝える方法としていちばん適温なのはなんだろうといつも考えていたんです。瞬時に反応が来るのは苦手で、プログをやるとかはちょっと違うような気がして。でも、紙メディアのパーソナルなジンを読むと、このジンを書いてる人とは友達になれそうだなって思うことがたくさんあったんです。自分が孤独だったときにこういうメデイアをもっと知っていたら気が楽だったんじゃないかって思いがあります。だから、過去の自分と未来のまだ会っていない友達に向けてジンを作っているのが、自分の中で表現活動としていちばん正しいんじゃないかと。

「伝える方法としていちばん適温なのはなんだろう」

SNSに嫌気がさしながら、でも簡単に逃れられない自分がいて、誰かと気持ちを分かち合いたいと思うけど、その想いに見合った手段って何があるんだろう。

私も、そう思っていたところでした。

おしゃれだとか、「アーティストだから作る」という前提で話が進んでいたりすると、そういうわけでもないんだけどな、と思います。もうちょっとカジュアルにできたらいいですよね。ジンに限らず「プロじゃないとやっちゃいけない」みたいな意識がみんな強いんじゃないかなって思っていて。仕事じゃなきゃやっちゃいけないとか。ジンって仕事とそうじゃないものの中間にある気がする。本気の趣味みたいなもの。
お金にならないことを世間があんまり認めてくれないんですよね。それやって何になるの?とか。やること自体がおもしろいんじゃだめですか、と言いたい。おしゃれじゃなくてもプロじゃなくてもやったらいいと僕はずっと思ってます。発表しなくてもいいし、発表したとしても少人数に配るだけでも
いいし、やること自体にもっと価値を見出してほしいですよね。お金が得られるとか注目されるとかじゃなくて。
まず作ることが自分自身との対話ですしね。ーそうですね。(中略)セルフセラピーみたいな効果もあると、僕は実感として思っています。

実績とか利益とか、評価とか。そういうことに振り回されず、ただ心のおもむくままに、書いてみたい。野中モモさんの本を読んで、率直にそう思ったので、早速私もZINEを作ってみました。


タイトルは、「ふたりっきり」

ZINE1_表(画像)

裏はこんな感じ。

ZINE1_裏(画像)

表面に載せたのは、働き方研究家、西村佳哲さんの文章です。『自分をいかして生きる』という著作に綴られているものです。大学生のとき、社会学部のゼミでインタビューをさせていただいたご縁から、ことあるごとに、西村さんの言葉に立ち返ってきましたが、改めて自分に言い聞かせるように書いてみました。

裏面は、ZINEを作ろうと思った背景をつらつらと記しています。

「自分を丸ごと脱いでハンガーにかけたい」という、漠然とした欲求が起点です。会社を退職してから、いろんな人に会って、いろんな話を聞いて、自分を再帰的に捉えなおせたことはいいものの、なんだか気持ちがざわざわしたり、疲れたり、不安になったりすることもたくさんあったので、一度吐き出してみました。

結果、初回から大ボリュームのZINEができあがりました!

書きたいことがあふれるあまり、文字が小さいうえに、ものすごく読みにくい(汗)

まあ、これもZINEならではということで、大目に見ていただければ...

友人や、お世話になっている何人かの方に、ミヤザキサヤカのZINE「ふたりっきり」をお届けしてみたところ、ありがたいことに、なんかわかる気がするという、共感のコメントをいくつかいただきました。

このnoteを読んでくださった方々も、もしよければ、ぜひ眺めてみてもらえると嬉しいです。


自分のいる場所が肩書や見た目で値踏みされる心配のない、伝えようとすればちゃんと耳を傾けられる安全な空間だと感じられたら、おしゃべりが苦手な人でものびのびと振る舞えるものだ。
「やる気があれば誰でも自由に作ることができる」ジンの特性を尊重し、そうした個人のコミュニケーションが活性化される空間がもっと広がっていけばいいと思う。

何者でもないけど、何者でもないからこそ、肩ひじ張らずに、吐露できる。

何かとせわしない世の中で、自分なりのペースを保って歩くことは、ままならないですが、ZINEがあるおかげで少し、穏やかになれる気がします。

何号まで続くかわからないですが(笑)とりあえず、ZINEを拠り所に生きてみます。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?