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スーダン1(先史時代など)

世界各国史まとめ、今回はスーダン共和国の先史時代や民族について書いていきます。


共存と対立

スーダン北部の先住民族であるヌビア人はニロ・サハラ言語に属するヌビア語を話す人々で、ナイル渓谷中央部の初期の住民に起源を持つ。ヌビア人の主なグループはノビン語を話すケンジ族、ファディチャ族、異なる文化を持って移住してきたマハス族、そしてドンゴラウィ語を話すダナグラ族である。ヌビア人についての詳しい解説はクシュ王国の記事でやる予定。

ヌバ族はヌバ山脈に居住するニジェール・コンゴ語族コルドファン語派の民族の総称で、シコクビエ、トウモロコシ、ゴマ、ワタ、タバコなどを栽培する農耕民族である。また牛、山羊、馬、豚などの畜産も盛んである。肉体的疲労鍛錬を美徳とし、独自ルールに則った格闘技が盛んに実施されている。

ダルフールの北部に住むザガワ族(自称ベリ)は牛の飼育とラクダの繁殖技術で知られる牧畜民である。詳しくはチャドの記事で書く予定。

ダルフール最大のグループであるフール人は定住生活を送る農耕民族であり、村の長老が統治する伝統的な社会構成である。ダルフールという名前は『フール人の故郷』を由来としており、彼らは主にダルフール中部の山岳地帯に住んでいる。

ジェベル・マラ山脈に於いて水と放牧地へのアクセスを巡って彼らと対立関係にあるバッガーラ族は、アラブ人とアラブ化アフリカ人の祖先が混合した遊牧連合である。詳しくはアラブ人移住後の記事で書く予定。


ジェベル・サハバ

スーダンのナイル川東岸にある墓地遺跡で、人間の戦いがあった事を示す最古の遺跡の一つである。発掘された人骨から外傷の治癒痕が見つかり、人々が複数の戦いに関与し暴力的な攻撃を生き延びた事が示唆された。

外傷の半数は槍や矢のような飛び道具による刺傷である。これらの傷は集団内の紛争でなく、集団が遠くから攻撃を受けた際に生じたという仮説を裏付けている。

頭や胸などの骨に石器が突き刺さっている遺体が数多く出土しており、複数の腕の骨折など接近戦の証拠も残っている。発掘された58体の人骨は4歳の幼児から老人まで様々である。

紛争の原因として有力なのは、気候変動によって作物の収穫量が減少した為、限られた資源を求めて闘争が始まったとする説である。


カダン文化

ヌビアで発祥した古代文化。ヌビアはエジプト南部からスーダンにかけての地方の名称である。もともとエジプトとヌビアは同一の祖先から分かれた国であり、鉱物資源に恵まれたヌビアはエジプトにとって重要な役割を担ってきた。

カダン文化はヌビアに住んでいた中石器時代のコミュニティの集合体と見なされており、ナイル川の水位が比較的高い時期に石器産業などの専門化の程度が高まり差別化された地域グループが形成されたと考えられる。

グループ間の紛争の証拠が幾つかあり、侵略または部族間の紛争を示唆している。


ブタナグループ

スーダン東部にあった新石器時代の文化で、特徴的な陶器は指紋を含む刻まれた線で装飾される事が多い。また彼らは石器も製造していた。

基本的な経済基盤は動物の繁殖だが、小麦や大麦が栽培化された証拠もあり農業が行われていた事を証明している。貝塚は陸生カタツムリが食用として広範囲に利用されていた事を示している。

彼らは丸い小屋に住んでおり、決まった位置に埋葬され副葬品は個人的な装飾品がほとんどだった。この後に続くガッシュグループはエリトリアの記事で書く予定。


マハル・テグリノス

スーダン東部にて、2つの墓地とその間に居住区がある大規模な集落が発見された。集落の中心には最古かつ最南端の日干しレンガの建造物がある。

集落の東端には大型の墓地があり、死者はその中の様々な位置に埋葬された。唯一の副葬品は個人的な装飾品である。集落の西側墓地ではエリートのものと思われる粗石の石碑が発見された。この墓地では副葬品として器が埋葬される場合もあった。

集落の中央には、おそらく葬儀の儀式に関連した大規模な食糧生産の証拠がある。更に集落内では印鑑や印影も発見され、高度な組織化が図られていた事がわかる。

マハル・テグリノスの住民達は既にエジプト、ヌビア、アラビア半島南部と交易を行っており、ガッシュグループの初期から後期に渡って定住を続けた。


ジェベル・モクラム・グループ

ガッシュグループに続く、スーダン西部とエリトリア西部で栄えた新石器時代の文化。このグループの特徴は厚くて丸い縁の陶器で、多くの場合切り込みの入った網状の模様で装飾されている。また様々な石器が使用されていた。

このグループは小さな泥人形を制作した。基本的に牧畜民であり、いくつかの定住地が知られている。

ジェベル・モクラム・グループの集合体でエジプトの陶器の破片が見つかっており、エジプトとの交流を深めていた事が窺える。


ナイル峡谷

アファド23はスーダン北部にある中期旧石器時代の考古学遺跡で、保存状態の良いキャンプ跡(世界最古の野外小屋の遺物)と多様な狩猟・採集が行われていた痕跡がある。

アファドでは1万体以上の石化した動物の死骸が見つかっている。家畜牛の野生の祖先であるオーロックスの頭蓋骨の断片とほぼ完全な角の芯も発見されており、この種の世界最南端の生息域となっている。

新石器時代のナイル峡谷の人々は要塞化された日干しレンガの村に定住し、ナイル川での狩猟や漁労を穀物の収集や牛の飼育で補っていた。

やがて乾燥したサハラ砂漠から農業と共に現地の人々がナイル川流域へ流入し、この文化的及び遺伝的混合によって生まれた人々は社会的階層を発展させ、アフリカの黒人最古の王国であるクシュへと繋がる。

−つづく−


日本にいると一つの国に一つの民族が当たり前だと思いがちだけど、実際はたくさんの国がたくさんの民族で成り立ってるし、なんなら“国”という概念すらあやふやなんだなぁと思わされます。


参考サイトなど

『Nature 考古学:先史時代のジェベル・サハバでの暴力行為は一度だけではなかったらしい』
https://www.natureasia.com/ja-jp

『voi 研究者はジェベル・サハバで数千年前の先史時代の流血を明らかにする』https://voi.id/ja/news/57298

『Wikipedia −Jebel Sahaba−』https://en.m.wikipedia.org/wiki/Jebel_Sahaba

『Wikipedia −Nubians−』https://en.m.wikipedia.org/wiki/Nubians

『Wikipedia −Nobiin language−』
https://en.wikipedia.org/wiki/Nobiin_language 

『Wikipedia −Mahas−』https://en.m.wikipedia.org/wiki/Mahas

『Wikipedia −Danagla−』https://en.m.wikipedia.org/wiki/Danagla

『Wikipedia −ヌバ族−』https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8C%E3%83%90%E6%97%8F

『Wikipedia −コルドファン語派−』https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E8%AA%9E%E6%B4%BE

『Wikipedia −ザガワ族−』https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%82%AC%E3%83%AF%E6%97%8F

『Wikipedia −Fur people−』https://en.m.wikipedia.org/wiki/Fur_people

『Wikipedia −Baggara Arabs−』https://en.m.wikipedia.org/wiki/Baggara_Arabs

『Wikipedia −Qadan culture−』https://en.m.wikipedia.org/wiki/Qadan_culture

『Wikipedia −ヌビア−』https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8C%E3%83%93%E3%82%A2

『Wikipedia −History of Sudan−』https://en.m.wikipedia.org/wiki/History_of_Sudan

『Wikipedia −Butana Group−』https://en.m.wikipedia.org/wiki/Butana_Group

『Wikipedia −Kassala−』https://en.m.wikipedia.org/wiki/Kassala

『Wikipedia −Jebel Mokram Group−』https://en.m.wikipedia.org/wiki/Jebel_Mokram_Group


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