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ウラ・百花


きれいな言葉と、
読み易く修正された文章だけじゃ、
私の本音が見えない気がして、
【ウラ・百花】を。

私がこのnoteを始めた時から、
ひそかに読んでくれている人は、
身近にたくさんいて。(有難い)

前に、そのうちの一人から、こんなことを言われた。

「なんか言ってることが難しくなってる」と。


あん?


それを言われたときは、
???
だったけど、
最近やっと意味が分かってきた。

始めた頃は、
誰かに読まれることなんて全然意識していなくて、
見られたら恥ずかしい日記のように、
自分の言葉や想いを溢れるままに綴っていて。
下手くそだけど、だからこそ、伝わるものはあったのだと思う。

だけど、
人に読んでもらえることを意識し始めてから、
なんかかっこつけちゃってるのかもしれないと思う。

少し難しい言葉を使ったり、
収まりをよく見せようとまとめたり、対比したり。

いつしか自分の本当に伝えたいことが見えなくなって、
ただ綺麗な文章だけが結果として残るようになった気がする。

読み返しても、刺さらず残らず、みたいな。

それに、このnoteを書くことが先行しちゃって、
本を読みながら何を題材に書こうかなんて考えることもあって、
純粋に読書を楽しめない時なんかもあった。


将来、「書く」ということを武器に
仕事をしたいと思うからこそ、
言葉で伝えることの難しさを改めて思うのです。

そして、百花について書いた前回も例外ではなく、
読み返しても何も残らない文章だったから、
今回【ウラ】を書くに至りました。

前回の内容を修正して出し直すことも考えたけど、
なんかそれはいやで、
不格好なものも自分のものとして残しておこうと。


百花の主人公、泉は、
認知症の母の介護の中で、
妻の妊娠、出産を経験する。

症状が少しづつ、だけど確実に進行していく母の隣で、
多くの決断を強いられる泉。

何が、正解、なのか。

忘れられてしまうことはとても辛いけど、
自分自身の記憶や思い出が日々消えてなくなってしまう方が、
やっぱり悲しくて、怖いと思う。

自分が生きてきたという証が無くなってしまうようで。

でも、
忘れることは決して悪じゃない。

記憶や思い出を綺麗さっぱり忘れて、
自分が誰かも分からなくなっても、
きっと、大切な何かは残るはずだから。

私が泉のような立場になっても、
母のような立場になっても、
そう強く信じて生きたいと思う。

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