医学部不正入試問題から一年

日記を見ると、ちょうど去年、2018年10月だったようだ。医学部不正入試問題が報道された。そして2019年4月に上野千鶴子の東大入学式での祝辞だ。

あの医学部不正入試報道は私に大きな衝撃と影響を与えた。今も影響を受けている。そして私の子どもたちは2人とも女の子だ。

僕は何を思えばいいんだろう
僕はなんていえばいいんだろう

と頭の中がイエモンのJAMになっちゃうようなテレビのニュースだったわけだ。世代!

進学校の卒業生なら、同級生に東大や医学部が、平均的な人と比べると、ゴロゴロいる。私もそんなようなもんなので、しかも女性だ。だから医学部や上野千鶴子は遠い世界ではない、我がこととして感じられた。

しかしながら地方で会社員をやっていると、同じ視界を持つ人は少数だ。女性に限らない。同級生に東大や医学部がゴロゴロいるタイプが多数派ではない環境にいる。

たしかに東大生って強者の論理がまかり通っているふしがある。強いものが強くあり、弱いものは弱くあって当然だ、みたいなところ。その強さは本来、恵まれたものであって、本人の努力だけではない要素がものすごく大きいのに。そういう考察を、小学校で、中学校で、してこなかったのだろうか?私は何度もした…。

医学部もそうだ。今になってみると、医者と結婚するのは良し悪しだ。高い収入のせいで夫婦で立場が同等であるという感が守られらにくいうえ、そもそも男女で立場が同等という感覚がないタイプの人の割合が多めのように思う。
特殊な職業柄、看護師などの医療系コワーカーが多数働く職場の中の、少数だが決定権の大きな専門家の位置付けになってしまうため、役割分担意識、あるいは上下関係意識が、日常的に仕事でも続いてしまう。そのうえ医学部はけっこう体育会系だ。しかも地域密着の狭い世界と来ている。あまりリベラルな風潮に寄る機会がない。

もちろん、これらはざっくりとしすぎる話で、医学部や東大の人がみんな差別的でハラスメント的かというと、一概にそうではない。
むしろ、やはり聡明だしひとりひとりは善良、時にはびっくりするほど穏やかであることもある。
そんな素晴らしい人々が多くいるのに、それでもなぜか、医学部不正入試問題も、上野千鶴子がピンとこない男子の存在も、そうだろうなあとうなずけてしまうのである。彼らの強者の論理ならそうだろうなあ、って。
彼らは聡明で善良だが、そんな彼らを盲目的にしてしまう何かがある。それは社会の仕組みにほかならない。同じ環境を過ごしたはずの女性の私が見ている世界が、何故か彼らには見えないのだ。

医学部や東大のあたりはめちゃくちゃ社会問題として重要だと思う。じゃあ自分としてはどうするべきなのか、となると悩んでしまうけれど。

「ママは生まれ変わったらなにになりたい?」

風呂に入る時に脱衣所で娘に聞かれた。うーん、と考えて、生まれ変わったら男をやりたいかなあ?いや違うなあ、

「ママわりとママ好きだから、もう一回同じママでもいいなあ」

と答えた。

確実に男子の方が社会的に心理的に恵まれていて、たぶん高校や大学での遊びかたや、仕事の幅や野望を持てることを考えたら、絶対男子のほうがいい。
それでも、こんなに世界のいろんな面が見えるのは、進学校で男子と肩を並べて生活した女子ならでは、という気がするのだ。
女子だけの世界でもなく、男子だけの世界でもなく、両方を良い面でも悪い面でも垣間見れるのは、おもしろいといえばおもしろい。

ただ、同じ視野を多くの誰かと共有できるわけではないから、それはちょっと、寂しい。

娘たちにはどんな道に行ってほしいか、は、それはあまり私の決めることではないからよくわからない。
でもまぁ、どんな道であれ、たくましくあってほしいものだ。

ほんの数年後か、10年後か、20年後か、その頃にはより良い世界になっていますように。

#日記 #エッセイ #ジェンダー #東大 #上野千鶴子 #医学部不正入試 #育児

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