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田舎はのんびりして自然があっていいなんて勝手なことを言っている都会人

=僕が実家(田舎)に入らないたった一つの理由=

本家と分家とは如何なるものか?

実家である柴田家は本家にあたり、僕は長男なのでその家を継ぐということになっているらしい。

さて、分家の同じ苗字である柴田家のうちの人が100歳で亡くなったので、明日は通夜、明後日は葬式ということになった。長寿で大往生、むしろメデタイ。

僕には本家も分家も全くわからず、親戚、近所関係の知識、体系が頭の中に入らない構造になっているようで、人間関係がわからない。
母は91歳だが、この人間関係が脳の中に完璧にインプットされている。
近所のうちのそのまた親戚縁者まで職業、家柄、居場所まで即座に答えられる。
僕からすると他人の人生なんて全く関係ないのだが、母にとっては他人でないのだ。

実にその情報は良くもまあ覚えているのものだと思う。
これはもう「八つ墓村」の世界である。

一方、僕は「村」(ムラ社会)とか「親戚付き合い」というのが大嫌いなのだ。
はっきり言って、煩わしい。楽しくない。
自分の時間を奪われるのが一番ストレスがたまるからだ。
それが身になる時間ならいいが、神経をすり減らすだけ。
生産的な時間でないもの(僕のとって無駄な会議、セレモニーなど)は不愉快になる。

都会に行けば行くほど、ムラ社会はなくなり「隣は何をする人ぞ」になる。
これが一番、快適である。
若い人は都会に行くに限る。

干渉しない、干渉されない。
「本家分家とは」と検索したら

「家」(イエ)制度において・・・とか
荘園の頃より・・と書いてあって、
おいおい「荘園」ってそういえば日本史でやったなあと思った。

まだまだ藤枝市の田舎には江戸時代が残っているのだ。
田舎の自然は素晴らしいが、「ムラ」社会はいたたまれぬものがある。
都会の人間は表面だけ見て「空気が美味しい」とか「緑があって気持ちいい」とか
「歳取ったらこんなところでのんびりしたいね」とか
勝手なことを言うが、その内情は魑魅魍魎の世界だとは知らない。

では、しばしタイムスリップしてくるか。


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