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精神科と宗教の関連について


前回、宗教について書いたので、職場(精神科病院の入院病棟)で目にする宗教について考えてみる。


キリスト教

やたら聖書を持ち歩く人が多い。

絶対数としては決して多くはないのだが、なぜか目を引いてしまう。聖書を片手にウロウロ歩き回る。部屋にいるときは聖書を眺め続ける。しっかりと読み説いている感じではない。ただ常に聖書と触れ合っている。そんな感じだ。

長期で入院していて、頼れる家族がいない。そんな患者さんに定期的に面会にくる牧師さんもよく見る。

精神科において、宗教に救われている人は多いと思う。それは一般と比べて、ではなく、単純に精神科において多い印象があるという意味。

アルコール依存症の例でいうと、AAという組織がある。アルコホリックス・アノニマス(Alcoholics Anonymous)。いわゆる自助グループってやつ。近年薬物関連でテレビでもよく耳にするDARC(ダルク)も自助グループの一つで、同じ苦しみを持った人達が集まって助け合う団体。

そのAAも教会でやってくれてることが多い。AA自体はあらゆる人種や宗教に縛られない、って言ってるけどね。なぜか教会さんでやってくれてます。


創価学会

多いね。頻繁に集まりに行ったりとか、同じ創価学会の信者さんが面会とかサポートによく来てる。心の支えや、実際に生活の支えになってる。

やめて欲しいのは

①入院中に布教活動をし始めちゃうこと                     ②お祈りをする時間と場所を提供してくれ、と訴えてくること。

①は感受性の高い方が多いので影響されやすかったり、クレームが出ちゃう。②は自身で対処して、部屋で静かにやるなり、外でやるなりして欲しい。


世界救世教

たまに聞くよく分からないやつ。なんかデイルーム(共用の広間)で家族が「浄霊」という儀式で、患者の背中に手を置いてパワーを差し出してた。ちょっと怖い。

中にはその浄霊を過信して、「医学なんかでは治りません」と言って無理矢理連れて帰る家族もいた。

本人もそれでいいならいいんだけどね。

自身で判断できない患者さんが多いから困るんだこれが。絶大なる信頼を置いてるお母さんが言うんだったら選択肢もないよ。

総じて思うのは、偏見かもしれないが、精神的な拠り所がなかったり、周囲のサポートが弱い人たちにとって宗教は大きな支えになりやすいということ。

精神科の患者さんには、劣悪な環境で育ってきたり、人間関係が苦手な人が多い(全てではない)。

本来ならば家族や友人が支えになる所を、宗教の教えや礼拝としての活動、教会などの居場所、他者との関連付け、あるいはアイデンティティまで補ってる。

末期の病気がわかったとき。医者にも匙を投げられたとき。家族の力ではどうにもならないとき。我々は何をするか。

きっと神だのみをする。

精神科の患者は常に不安だ。絶望感に苛まれている。先行きが分からなければ、信頼できる人だっていない(場合が多い)。

そんな時に手を差し伸べてくれる宗教。

こう考えると悪くない。


悪くないが、ハマりやすい、と思うと怖い。

弱者を食い物にする。そんな悪い考え方をもつ人も世の中いっぱいいるからね。自宅訪問に行くと、大量の教本やら、お祈りグッズみたいなのがズラリ。

そんな光景をしばしば見るので何とも言い難い。

そういえばテレホンショッピングを大量に注文してる人も多い気がするな。あれも情報弱者を狙ったタチの悪い商法なんじゃないか(過大広告著しいし)。


よくも悪くも人の心の隙間に入り込むのが宗教。


なんとなくそう感じた、初夏の早朝。





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