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他人からお母さんと呼ばれるのキツい。

「お母さん」

って保育園の説明会で言われたとです。

あ、私のことか…!って。

もうね、

そう呼ばれることに永久に慣れる気がしないのですよー

今、目の前の保育士さんが呼びかけたのは、

彼女の目の前の、赤子を抱いた女性を指すのだろうけど、

でもそれは決して私のことではない。

そんな気がして気持ちが悪かったのです。

その「お母さん」は概念で、

多くの人が想像する「お母さん」というものなのだろうけど、

私はそれに全然ハマってない。

てかハマってる人、いるの?

そもそもすーちゃん(子)からもまだお母さんとか呼ばれてないからな。

「お母さん」という呼びかけだけが宙に浮いたような

そう呼ばれる以上、決して「私」として相手と知り合えないような

そんなやりずらさがありました。

四角井さんって苗字で呼ばれたい(o_o)

なんなら下の名前の方がマシなくらいなんだが。

無理だろか。

子を預かるというセンシティブな仕事ゆえ幾多のトラブルを乗り越えてきたであろう保育園と保育士さんが

「お母さん」と私を呼ぶなら、

結局それが1番無難なやり方なのでしょう。

でもさでもさ

自分の子以外から「お母さん」って呼ばれちゃうと

キツイこととか言いにくくない?

なんか穏やかさを求められてるよーな、

優しさを期待されてるよーな、

物腰は柔らかでいるべきかなーと

そんな圧のようなものを感じてしまうのです。

だから私を概念呼びしないでほしいと思った2022、春。

ああーきっと私は

この先年老いた時に

その辺の若い人におばあちゃんとかお母さんとか言われた時に

あんたを産んだ覚えはないよ

なんて毒づく

可愛がられない老人になるんだろーなー

でもいいんですそれで。

だって四角井さち子だから(・∀・)

個性は活かす方向で。

自分を取り巻く概念に負けず、そんな老人に俺はなる!

それではまたね!

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