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不妊治療前段階:(妊活目線で)私のバックグラウンド

を書いてからもう2ヶ月半くらい経ってしまった。
今日妊婦健診に行ったら全部順調であとは赤ちゃんが産まれるのを待つだけ、って言われて、なんだかやっと私産める確信が持てたのでちょっとずつ不妊治療に至るまでを書いてみる。
以下、興味ない方、見て不愉快になりそうな方は画面閉じることをおすすめ!読み進めたい方はスクロールしてね。




中高生時代

なんか、月一めっちゃお腹痛い。痛すぎて泣くんだけど。って感じだったのに普段から冷えないようにするわけでもなくとても短いスカートを履いて寒い寒い言ってました。今考えればそのスカート丈、お腹に良くないのよ。

大学生時代

この時も冷えてもいいから可愛い服着たかったし、途中からアルコール飲みだしちゃった。ショートパンツやお臍の見えるようなジーンズを履いて飲み会に行く。良くないってば…!オーケストラサークル、バイト、勉強全部好きなようにやって睡眠パターンも荒れ始めて、でも何とか全部うまいことやり切る生活がスタート。月一お腹は更に激痛。それはそうなるよね。

20代前半から半ば

中東の航空会社でCAとして働いてた私。新人研修で、ベテランの男性インストラクターが” 失礼を承知で言わせてほしいし、あなたたちには私の忠告を無視する権利があるけど、将来子どもを持つことを考えているなら飛ぶのは3年間以内をおすすめする。Just saying. ”って言ってて(本当に私は3年で辞めました)、言われた時はこの意味がよくわからなかったし、男性に私は何を言われてるんだろう。って思ったけど後になって感謝したよね。

(3年間楽しかったけど、本当に夢みたいに楽しかったけど)
あの生活を続けてたらもう私、本当に生理さえこない身体になってたかも。
どんな生活かというと、毎日の決まったパターンやリズムがない生活。月の半分超えるくらいはフライトなんだけど、ある日はUTC ±0 ある日は-7 ある日は+9の国に行く。流れる時間と自分の体内時計はsyncせず、フライトをしっかりできるように体調と睡眠を合わせにただただ過ごすだけだから過密スケジュールになると本気で”ここはどこで何時”状態、になったりする。

仕事じゃない期間も時差ぼけで身体は疲れてるのに36時間ぐらい寝れなかったり、その後20時間くらいぶっ続けで眠ったり。たまたま元気で長時間起きてられる日は心ゆくまでよく飲んで、観光して、踊って、食べて…めちゃめちゃ楽しい。ほんとに楽しい生活だったけれどもう生理のスケジュールなんて置いてけぼり。
ここでインスタントに解決策として使ってたのがYazっていう低容量ピル。
海外では薬局に行けばすぐに買えたので、便利に使ってたけど、今考えれば飲む間隔24時間で守れてなかったし…例えるなら睡眠スケジュールで痛めつけた子宮に、Yazで蹴りを入れてたなあ。

3年で辞めた方がいいっていうインストラクターの指導を聞いたことだけが今私が良かったなと思えること。

20代後半から30代はじめ

CAを辞めて日本帰国後、私は”みんなより(いわゆる普通の会社で働く)社会人経験3年足りない”焦りに駆られて猛烈に働いてた時期(今も働くの大好きだけど、こんなに追い込んでない。)。もう本当に社畜。
だから空いた時間はゆっくりすればいいのに、大好きな遊びとオーケストラの練習は諦めたくなくて仕事以外の日の予定は常に埋まってたし、仕事後もハードなヨガに週2-3回。彼氏ができたらほんのちょっとの隙間時間も埋めちゃう。やりたい事をやり尽くして満足し、寝る時は気を失うように寝てたと思う。
そしたら…CA時代と同じく生理なんて生活の中から置いてけぼりになってしまって、また産婦人科でYazをもらう日々が始まった。今考えると、健康の優先順位を低くしすぎた時期。

今の夫と出会うちょっと前から

↑で書いたようになかなか子宮に対して当たりの強い生活をしていたため30歳すぎてちょい経った時に ブライダルチェック というのに興味が湧いて毎年受けていた。自分の行いが悪かったから何かありそうで。結果…奇跡的に病気はなかったのだけど、毎回 AMH の値だけ割と低いから子ども欲しいなら遅すぎにならないように計画しようねっていう結果が。簡単に言っちゃうと、卵巣年齢が高いって意味でして。お医者さんからその件言われた時の気持ちは、”だろうねー。”だったことを覚えてる。子宮が喋れるなら”だろうね、じゃないよ!”って怒ってたよね。ごめん。

夫と結婚してから

結婚してから、すぐコロナ禍突入。新婚当時私は32歳だったから、妊娠してもいい気持ちではあったのだけど、あの時期は妊娠しても安全に出産までできるのかな、って不安だったのもあり、状況が落ち着くまで妊娠は計画しないことに。で、その選択したし(?)リモートで無限に働けるっていう状態もコロナ禍だから実現してしまって長い時は朝7時から夜22時まで働く社畜に戻ってもーた私。すごく楽しく仕事してたっていうのもあって、苦に感じなくて心と頭はハッピーだったけど、身体をまた酷使してしまった…

その後、もう産んでもいいかな、って思える時期になってもこんな風に長年酷使された私の子宮に赤ちゃんは簡単には来ず。ちょっと本気だそ、って思った時には、私はもう34歳後半だったんだって。

つぶやき

ここまでつらつらと不妊治療に至るまでの私について書いてみたけど果たして需要はあるんだろうか。とりあえず備忘録として公開&次回は不妊治療そのものについて書いてみるぞ。




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