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秩序の下で自分らしさを楽しもうとすることはクリエイティブな行為

うーーーーーん
あんこが大好きすぎて、最近あんこについて自己満自由研究しているのですが、
非常に楽しいですねえええええ
あんこの歴史、あんこの製造過程、あんこで有名な日本の和菓子屋さん、地域に伝わる伝統的なあんこ菓子…など、調べるのは楽しいです!
(その趣味のせいでまた太りそうで怖いのですが…)
ちなみに最近食べた中で一番感動したのは有楽町にある「おかめ」のおはぎです。
まじでお米自体が美味しすぎるのですが、あんこが黒々していて味が濃くて美味しいです。
きなことごまも最高。
東京交通会館の地下に入っているので東京付近の方は是非行ってみてください、お店の雰囲気も昔ながらな感じでとても素敵です。
ちなみにおはぎと言えば「おかめ」に並ぶレベルで一生忘れられないのは、宮城の秋保温泉エリアにあるスーパーだけで販売している「さいちのおはぎ」です。
田舎のスーパーなのですが、開店前からめっちゃ行列でビビりました。
(もちろんスーパーなのでおはぎの行列では無いですが、確実におはぎ売り場のところで流れが滞っていました)
さいちのおはぎは、どーん!としていてでぶっちょいので食べごたえ抜群です!
こちらもきなこ、ごまがありますが、きなこやごまの美味しさは「おかめ」より「さいちのおはぎ」のほうが美味しかったです。(個人的意見です!)
特にごまが忘れられない。さいちのおはぎのおかげでごまのおはぎの大ファンになりました。
ん?あれ、やべえ、前置き長すぎ大草原


私の大好きな小島秀夫監督が、
スーツを着るという定められた秩序の下で自分を見出す行為はクリエイティブだ
みたいなことを言っていて私の土器がムネムネいたしました。

人は誰しも不自由の下にいる、と思います。
そもそも国民である時点で様々な不自由が発生しているし、人との繋がりや社会に属する中で、人それぞれ、感じるものだと思います。
その不自由を嘆くも楽しむも自分次第だと思いますが、
私はそういう後者を強くリスペクトしたいと思っている自分に気づきました。

許容し難い不自由を諦めて受け入れるのではなく、自分が心地よいと思える不自由との距離感を探りながら大胆に生活をアレンジしていく人もとても魅力的です。
(転職する、無職になる、離婚する、家出する、引っ越す、絶縁する…など)
 私も上記のような経験を自分なりにしたという自覚があるので思いつく節がございますが、
そういった大胆な選択をし、厳しい道を乗り越え、心の安寧を手に入れた、という人は、
自分の心地よい不自由との関係性を築けていない(築こうと努力している最中である)人を軽視したり厳しい言葉をかける場面をしばしば見かけます。
なんかそれは違うなあ、
人それぞれ、心地よい不自由と自由の割合は違うので、
他人のあり方に対して人様がどうこう言うのはなかなかしょっぱくねえか?と思う次第です。
(すみません、完全個人的意見です)

例えば校則を守るとか、社会人としてのマナーを守るとか、
守りたくない人はどんどん破って自分の心地よい振る舞いをすれば良いのですが、
反対に守っている人を、
「あいつはつまらないやつだ」「簡単に服従する家畜みたいな人間だ(口悪すぎ)」「自分の頭で考えられないやつだ」
みたいに言うのは、それこそ自分をワンパターン化する行為ではないでしょうか。
ルールを守る、という選択をした上で、ルールの中で自分らしさを楽しむことは前述した小島監督の言葉を借りて言うなれば、
クリエイティブな行為
だと私も強く思うのです。

何が言いたいかというと、人のクリエイティブのあり方を笑うことは、クリエイティブな行為では無いし、自分を不自由にする行為だと感じる、ということです。
あんなやり方もある、あんな価値観もある、と受け入れる勇気こそがクリエイティブを広げる、と思うからです。

あれ、なんか人のことを責めるな、みたいなことでまとまってしまったような気がしてなんだか不本意です…。
私がこのnoteで言いたかったのは、
あれはだめ、これ人はだめ、みたいな姿勢は、結果的に自分自身を不自由に追いやるなと思う
ということです。
(思うのも自由ですが、私にとってはデメリットが多すると感じる次第です)
逆に、こういうのもいいよね!
って思えるって、自分を自由にする行為だし、それこそクリエイティブな行為だと思う次第です。
そして小島監督みたいかっこいい大人になりてえなあ…。(結局それかい)
願ってもあんなかっこいい人にはなれるわけ無いのですが、そういうかっこいい姿を見せてくれる大人って貴重だと思いました。
もちろん、かっこ悪いことも隠さないからかっこいい人になれる、と思いますが!

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