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何でも出来るスキルより、自分の欲求に従う勇敢さを身につけたい。

向上心が高いということは素晴らしい。
部活も頑張るし勉強も頑張る生徒。
夢を語ることが出来る上に、自分に課せられた目の前の仕事でも高い評価を得られたり、そつなくこなせる大人。
家事もこなす上にいつも容姿に気を使い、夫が夢見る「美しい妻」という期待に応える女性。
何をやらせてもピカイチ。
何をやらせても一生懸命やる。
どこに行っても「この人は優秀な人だ」「この人に任せれば間違いない」と言われる。
とても素晴らしいことだと思います。
当人がそれで本当に幸せであるならば。

私霜降り明星がめっちゃ好きなんですけど、せいやさんが仰ってた言葉を最近よく思い出すんですよね。
それは、せいやさんがアルバイトをしていた頃のことを振り返って言っていた言葉です。
「バイトでよく怒られましたけど、あんまりそれについて気にしたことはありませんでした。俺はお笑いでやっていくっていう気持ちがあったので」
みたいな感じです。(曖昧)
オールナイトニッポンだったか…何で言ってたのかは忘れてしまったのですが、とにかくこんな感じのことを言っていたんです。
(ソースが曖昧ってよくないね)
当時この言葉を聞いた時私は「いや、仕事は最低限一生懸命やっといた方がよくね?」って思ったんです。

今思い返すと、以前の私は何て自分に期待しすぎていたんだろう、自分に苦しい思いをさせていたんだろう、と自分で自分にカルチャーショックです。
仕事は出来て当たり前。すぐ覚えて当たり前。
その上で、早くプラスアルファを見出して働かないと社会人として価値が無い。
仕事もプライベートも順調にいくようにコントロール出来ないなんて、生きるの下手すぎる。
(そもそも順調って、どういう状態を指すのでしょうか何のためでしょうかとかツッコミどころが満載すぎる)
親ともうまくやれ、友達ともうまくやれ、仕事もうまくやれ、あ、あと夢を持つことも当たり前だからな。子供を産め。30になったらリスクが高まるからなるべく20代のうちに結婚して産んどくべきだよ。投資の知識もあって当然…などなど。
以前の私はそう思っていました。
(書店のビジネス書で変な風に洗脳された人みたい。ビジネス書読んだことないけど)
「これは出来てなきゃだめでしょ」
みたいなラインを無意識に引きまくっていて、それが出来ていないとなんだか落ち着かない、逆に他人がそれが出来ていないとこの人はこのレベルなんだなとか思う、みたいな、てめえ何様だよ状態でした。
つまり、自分に期待して自分を苛め、他人に期待して他人をも苛めている、という状態だったのだと思います。

で、今はじゃあどうなのって話ですが、
いつの間にか自分への期待を上手に少しずつ手放すことができている自覚があります。
(別にこれが正しいって言いたいんじゃないです。ただ今はどういうフェーズなだけ)
だからこそ、冒頭で書いたせいやさんの言葉を思い出せたのかな、と思うのですが。
そもそも何でもかんでも完璧な状態を保ち続けるなんて自分がかわいそう、苦しむために生まれてきたようなもんです。
(人生とは…)
そして何でもかんでも完璧な状態を保ち続ける労力を使い続けるためには、本当にやりたいことに使う労力が一向に増えない、ということにもつながります。
自分のやりたいことではなく、自分が自分で勝手に課した期待に応えるために、疲れて果てて、毎日物事を「こなしたぞ」という上澄みの満足感だけが満たされ、「やりたいことをできなかった」とか、「今日も自分の希望に応えられなかった」というやるせなさや寂しさ、諦め(勝手に自分で諦めてるだけなんだけど)みたいなものを感じることに慣れていきます。
そうなると、いつしか「好きなことばっかりやって生きていけるとでも思ってんの?」と子供の夢を潰すような大人になってしまいます。
(はい、しつこいタイムですが、私があくまで思うこと、私のこのちっさい脳みそで思っている勝手な考えですので、お前きもいんだよと思う方は今日も良い日をお過ごしいただくためネットの無限の彼方へさあ行ってらっしゃいです。)

好きなことばっかりやって生きていいんです。(と私は思います)
むしろ好きなことやらずして、誰かのため、自分の期待に応えるため、に生きていると、毎日疲れます。
それは夜満足感とともにぐっすり眠れる類の疲れではなく、アリナミン飲んでも朝すっきり起きれないような疲れです。
たとえお休みを1週間もらったとて取れないような疲れです。
別に疲れることが悪いとか、人の期待に応えたり、自分の期待に応えようとすることが悪いって言ってるんじゃありません。
誰かからの期待に応え、評価されたり、達成感を感じたり、それによって得た仲間というのはかけがえのない存在になり得ることでしょう。
でも、その中でもし、万が一、違和感を感じるのであれば、手放してよくない?
ていう話です。
それを手放すことに対してもし誰かに「そんなこともできないようでどうする」とか怒られたら、「じゃああなたは一生それをやってればいいんじゃないですか?」という話です。
(昔私の友達がそうやって数々のバイトを辞めてきた、と言っていたのを聞いて、胸がときめきました)

何が出来なくたって、別に死ぬことはない。
周りに「あの人は勉強・仕事が出来ないよね」とか「こんなんで社会でやっていけないよ」とか「今まで何やってきたんだよ。何でこんなこともできねえんだよ」とか、言われること、言われたこと、あるかもしれません。
悔しいかもしれません。情けないかもしれません。
その悔しさや情けなさをバネにして、スキルを磨く人や、ぎゃふんと言わせるために努力する人もいるでしょう。
でも、この物事の対処方法はそれだけじゃないってことをこれからも忘れずにいたいのです。
「私が完璧じゃなくちゃいけないという決まりはこの世にはねえよ」
っていう真実を勇敢に抱きしめ、生きていくっていう方法があるということを、いつも忘れずに生きていきたいのです。

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