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日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか

"一体なぜ。本書はこの問いからはじまる。なぜ一九六五年をもってキツネにだまされたという物語が発生しなくなってしまうのか。一九六五年に、日本の社会の何が変わったのか。私は次第にこの謎を解いてみたいと思うようになった。"2007年発刊の本書は、シンプルな問いを切り口に哲学者が歴史とは?近代化とは?を丁寧に考察した知的刺激に溢れる一冊。

個人的には、タイトルに興味をひかれて。著者の本は初めて手にとりました。

さて、そんな本書は表題通り、群馬県と東京の二拠点を往復しながら暮らす著者が釣り人として北海道から九州までを旅をし、宿の人や近所の人から山のように聞いた【キツネにだまされた】という話が、なぜか1965年(昭和40年)頃を境に共通して発生しなくなっている『事実』を切り口に確かに始まるものの、本書はその【答えを明確に提示するのではなく】むしろ、その問いを繰り返したことをきっかけにさらに向き合う事になった【自然と人間の歴史、里の歴史、民衆の精神史】をとおして『歴史とは何か』をあえて【抽象的、哲学的に考察していく】内容になっているのですが。

まず、多くの方がそうではないか?と思うのですが、てっきり民俗学や妖怪話的な展開をしていくと思っていたので。良い意味で予想を裏切られる内容で、読み進める途中からはむしろ山村で著者と対峙しながら【着地の見えない禅問答を聞いている】ような心地よさがあって、あらためて私たち日本人の社会や価値観が『近代化(西洋化)』で、どのくらい変わってきたのか。を考えてみたくなりました。(キツネに騙されない西洋人に『むしろ驚く明治日本人』のくだりは面白かった)

また、そんな本書なので【わかりやすい答え】を読書に求める方には一方であまり向かない本かもしれませんが。それでも支配者層や勝者が民衆を【効率よく支配するのに便利な】教科書に載っている『見える歴史』つまり、新しくなればなるほど右肩上がりに『進歩している』そんな価値観に肌感覚的に違和感を覚えている人はぜひ本書を手にとって『見えない歴史』【知性では語りえない領域】について想いを馳せていただきたいと思いました。

明治まで日本には存在しなかった言葉である『社会』とは、あるいは歴史について。または近代化で失われた自然観について。じっくり考察したい方にオススメ。

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