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【書評】笑い合う日も、泣きたい日も、ご飯を食べる

どんなに具合が悪い時でも、ふと、「お肉を食べたいな」と思うようになる。
それは自分にとって「元気になる第一歩」の符号で、あ、これでやっと元気になれるな、とほっとする瞬間だ。

そうそう、そうなんだよ、と、角田光代氏が綴る『彼女のこんだて帖』は応えてくれた。

この本には、様々な人が現れる。
突然、恋人から別れを告げられてしまった女性、息子に何もしてやれなかったと嘆く老年の女性、単調な生活に苛立ちを覚える主婦、独り身で食事を楽しむ女性。妻に先立たれ、一人になってしまった男性。

この人たちは、自分で丁寧に料理を作る。
もちろん、料理が苦手で豚肉と牛肉の違いが判らないレベルの女の子だって、何かをきっかけに料理を作る。

1話目の主人公、失恋した協子は、4年ぶりに恋人がいない週末を泣かずに過ごすため、「そうだ、肉を食べよう」と思い立つ。無理やり立ち続けるために週末を豪勢に過ごそうとするのだ。
インターネットで探すのは、ラム肉。
かぶりついてあごを使うような、ワイルドな肉を求めて探し出す。

彼女の日曜日の晩餐は豪勢だ。
肉厚のラムチョップにそら豆のスープ、ラムと一緒に買った生ハムとパルミジャーノをたっぷりと乗せた前菜のサラダ。

そして、肉をかみしめながら、彼女はふと気づくのだ。

無理に忘れることなんかない、まして打ち消すことなんかない、だって、私は得こそすれ、何にも失ってなんかいないんだから。
-中略-
この寂しさも、ラム肉みたいにしっかりと噛んで味わうべきなんだ。それさえ、私の栄養になるに違いないのだから。

隣に誰もいない孤独を思い出す体に、生きるエネルギーを与えた噛み応えのあるラム肉。

当たり前だけれど、食事とは、その人の血肉になるのだ。
悲しい思いでさえ、寂しい思いさえ、一人の人間を構成する栄養になる。

もう一人、主人公を挙げておこう。
ちかげという名の彼女は、作中で最もタフな女性かもしれない。

彼女には恋愛相手はおらず、ましてそれを寂しいと思うこともない。

そんな彼女の習慣は、毎月一回の「お皿で世界旅行」だ。

ドイツ料理やタイ料理の店に一人で入り、「食べきれるのか?」と心配される量を注文する。
それをすべて平らげる最中、彼女は目を閉じ、こめかみに人差し指をあて、「わかった」と感じる瞬間を待つ。

家に帰り、彼女はその料理を再現する。
ただし、食事を作る前に、彼女は招待状を書くのだ。食同好会という名の、独身女性ばかりが集まる会へ。

「私たちが独り身なのは、つまるところ、ひとりで食事に行けてしまう、というせいじゃないかしら」

この言葉を読んだとたん、自分は本気で爆笑してしまった。
なるほど、なるほど。それは言えている、と思いっきり共感してしまったのだ。

実は自分も、一人で居酒屋に入るのが全然、苦ではないのである。
もちろん女の子同士で、男女混合で行っても楽しい。

けれど、それ以上に、一人で入ることの気楽さは最高だ。以前、一人で満員に近い店に入って日本酒を頼んだら、若い店員さんが「俺も日本酒飲みたいなぁ」と言わせてしまったことがある。

そんなにルンルンしていたのか、自分。

いいぞ、呑むがよい呑むがよい。
誰と行っても楽しくて、一人で行っても楽しいのだから、もうどうしようもなかろうよ。

閑話休題。

そんなちかげが作る今回の料理はタイ料理だ。季節は夏。汗だくになりながら、「からーい!」と言いながら、楽しく料理を食べる。

恋人がいないから不幸なんて、それこそ不幸な考え方だわ。
‐中略‐
高級ホテルもすばらしいけど、貧乏旅行でも豊かな体験ができる。こうして食卓でできる旅だってある。
幸せや満足のかたちは人によって違うんだもの。

今、一人暮らしを始めても食事に困ることは稀だろう。
コンビニに行けば結構おいしいお弁当もあり、宅配だっておいしいものであふれている。

それでも、著者は言う。

「料理とは、手間を超えた何かである」

時に人同士の結びつきを強めることもあり、作るという行為で心を支えてくれる時もあるのだと。

今日もどこか誰かのこんだて帖が、周りにいる誰かを幸せにするのだろう。


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