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気ぃつかいは嫌いじゃないけれど

私は人前で泣くことが恥ずかしいことだとは思わない。(その割には泣かないけど)

ただ、その涙にも誰かのために泣いている涙と自分のためだけに泣いている涙というのがあるようだ。

人の感性とか人生経験というのは、その人の泣き方にまで出るのだから恐ろしくさえある。

特に昭和の男性陣の多くには『人前では泣いてはいけない』という心意気と、もう一つ、『自分が泣くとこの人たちに迷惑がかかる』という優しさがある。

何故そんなことを思い出しては一人胸がいっぱいになっているのか?と言うと、勤めている特別養護老人施設での色んなな出会いがそうさせる。

Aさんは長年夫婦で飲食店を営んでいらしたが、奥様に先立たれてからはご自身も病弱になられ店を畳んだのだとか。

大腸癌を患ってストマを造設したり、肺炎で長いこと入院していたり。

お子さんたちは彼を愛していらっしゃるが、介護をしていくことが困難で、うちのショートステイを選ばれた。
退院してすぐにご自宅ではなく、今まで使ったことがない介護施設でのショートステイを間に挟んでみようというお考えだった。

しかし、彼には特別養護老人ホームという場所は少し早すぎたようだ。年齢の割に頭の回転が速く、日常生活動作もストマの管理を除けば問題ないのだから。

それ故、ここでの生活は、とても退屈だったのではないか?と思う。

自分以外の人たちが介護されている現場をしげしげと眺めては、職員に向かって『大変だなあ。今日も頑張ってるねえ。休み取れてる?』と気遣い、いつも冗談ばかり言って笑わせてくれた。居酒屋さんをやっていただけあって、ユーモアのセンスが素晴らしくて、いつも色んな人を笑わせてくれた。

そんなある日、ご家族様が次のステップとして有料老人ホームを選ばれたと聞いて、差し出がましいようだけど、私の方が少しショックを受けた。
でも、有料老人ホームなら彼のように若めの方も沢山居るからきっとここよりも楽しいだろう。そう思い直した。

退所の支度をしつつ、いつもと同じように冗談を言って私たちを笑わせていた彼。

しかし、エレベーターに乗る寸前にくるりと振り返り『ありがとね。』と言った顔が歪んでいた。泣くのを我慢して笑っているその顔で「大丈夫だよ。俺はどこへ行っても元気だから。また会えるよ。」と私たちにそう言った。

人の気持ちを想像してしまうのだろう。感じ取ってしまうのだろう。人を笑顔にするために働いて来た人なのだろう。

『楽しかったよー!ありがとうー!』と完全に泣き顔になったところでエレベーターがしまった。

認知症がないのだもの。彼は自分の状況も家族の葛藤も理解していたのだろう。

それがどうというわけでもない。ただ、秋が近づいて来たせいなのか、彼を初めとする優しい人々の別れ際の泣き笑いが浮かんで来るのだ。

悲しいとき、寂しいときは、どうぞ手放しで泣いて下さい。それでもあなたは充分男らしいよ。

ありがとう。元気で暮らされていますように。

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