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6分の1の神経症

昨日から施設の利用者様と職員のワクチン接種を始めた。

職員も利用者様も3グループに分けたので、2回目の接種が終わるのは6週間後。7月の末頃になる。長いな。

前日は休みだったのだが、1日中配置医の医師からラインが来ていた。

「アナフィラキシーショックの対応表、送ったっけ?」とか「ワクチンの溶き方の動画、看護師さんたちに見せてくれた?」とか、なんやかんやで10数回。休んだ気がしなかった。

先生もワクチンの構造から学んで来られていて「大丈夫だから!」と仰っていたが、その実、不安だったのだろう。

職員が接種する広い会議室にもベッドを一つ設け、点滴、ボスミン、酸素等用意していたのだが、何事もなく無事に終了。

そりゃそうだ。ピリピリして準備して来た。事前に予測されることに関してはぬかりない。

何かあったときのために看護師陣も総動員していたが、何と、今晩夜勤だというのにKちゃんが出勤して来てくれて、予診票をチェックしたり誘導してくれたりと、受付の役割を果たしてくれた。

皆さんの協力のおかげで無事に終えた。この先はどうなるか分からないが、とにかくその日のワクチン接種は終えた。

しかし、その後、何度も何度も1階から3階まで、本日接種したご利用者様たちを観て回った。すぐには何も起こらないかも知れないけれど、何といっても高齢者。この後何が起こっても不思議はない。

「元気?痛かった?気分はどう?みんな、元気?」

あんまりしょっちゅう回ってくるものだから「大丈夫だよ。もう帰りなさいな。」とお婆ちゃんに笑われる始末。

だって、90年、100年と生きて来る間には、本当に色々なことがあったことでしょう。全部乗り越えて今がある。

こんなくだらないことで終わらせたくない。

自宅に戻ってからも、ずっと携帯を見つめて動けなくなった。

元々、夜間はオンコールという体制で、痰が絡んでいて取れないと言われれば夜中でも明け方でも自転車で走り吸引しに行ったり、転倒してしまって救急搬送するかどうか?ということについても、よくわからなければ観に行く。

けれども、それも慣れで、それなりに気楽な夜を過ごして来たが。が、昨夜は、これまでと意味合いが違っていた。何と言っても未知のものだったから。

お風呂に入るときも携帯をビニール袋に入れて持ち込むほどだった。

疲れた。でも、まだ6分の1か。あと5週ある。

私は普段、特に仕事の時の自分の、部分的神経症をやっかいだと思っている。ハッキリ言って嫌いだ。細かくてうんざりする。

でも、今回ばかりは自分にこう言ってあげている。

「そりゃ、おまえ、仕方がないよ。無理もない。これは神経症的になる出来事だ。それでいい。でも、休め。食べろ。野球でも見ろ。野球つけてても、電話の音は聞こえるから。」

しかし、出来上がった夕食を前に野球をつけていたら、いつの間にか箸が止まっていた。Kちゃんに「ちょっと、ちょっと。瞳孔、開いてるよ。」と突っ込まれた。

もう、これは仕方ない。好きなだけ瞳孔開かせておこう。

神様、一つだけ聴いて下さい。

この国の子供たちを育てたり、この国や時代を作り、この国を護って来てくれた人々です。

例え、自分の生活だけで精一杯だったという環境に置かれていた人だったとしても、例え、今が経管栄養や点滴で生きているのだとしても、生きていてくれています。

生きて来てくれたから、私たちがいるってことには間違いない。生きている、生きて来たという手柄をあげて来た人たちです。どんなことがあっても、生きるという偉業を果たして来た人たちなんです。

どうか、余生を楽しく過ごせますように。くだらない無知や準備不足、ずさんな体制で命を落とすことがありませんように。

皆が無事に家族に会えますように。

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