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母校って思ってしまった話と、それと『下校路』

 さて、書くためにこんな場所を作っておいたのを忘れていた。下書きの欄にはどうやら俳句甲子園を終えたら書こうと思っていたらしい「どうも、僕です」から始まる原稿があったけれども、まあもう忘れてもいいことかな。そのくらいでしょう、数ヶ月前の自己顕示欲。そんなこんなで前回どんな書き口で書いていたかを覚えていないのでこんな乱雑な文章になっているんだけれど、できれば幻滅しないでね。これもわりと僕みたいなのよ。
 まあそれはさておき、ひょんなことから無事に卒業してしまいました。2000年・2001年生まれの我々も卒業ですよ。これを読んでいる僕より年齢が少〜しだけ上のお兄様お姉さまがたは今頃震え上がっている頃だろうな。なんせ僕が震え上がっているんだから。
 ご存知の通り高校生活を浮いた話の一つもない青春にして、その上あろうことか俳句とかいう文化に捧げてしまったのですが、それ以外にも活動は意外としていて、生徒会、ピア・サポーター、学年委員会、地歴研究部、その他様々に仕事があったのですが、まあ生徒が自分から望んで仕事量を増やすと、おおよそ学校への不満しか増えないことはこの世の真理としてあるわけだ。ここにその例が一人いるしね。というわけで別段教員と仲が悪かったわけでもなく、同級生からひどいいじめを受けたわけでもなく、比較的真面目に、いや遅刻も欠席も多かったけれど、それでも信頼を得るくらいのサブヒーロー的青春を送ってきた僕はあの高校がわりと大嫌いだったのです。まあ、思春期ってそういうものなのでしょう?大人さん。
 いや、別に具体的に嫌いってことでもないんですよ。ただ、口先だけの「生徒の主体性」とか、不真面目が正義面しちゃう十代らしさとか、なんかもう、そういうのが嫌いで、しかも僕は自分で言うのもなんだけれど、仕事をこなしてしまえる生徒だったので余計に鬱憤がたまって、しまいにはあの夏の「俳句文化を滅ぼしてやろうと思います」と同様に、「職員室占領して改革でもした方がいいんでね〜の?」みたいなことを言ってしまう生徒だったんです。それでもって僕は卒業直前にも、友人からの「自分の学校、クソだと思うけれど好きだろ?」という質問に「ねえよ。」と格好つけてしまっていまして。いや、当時の本音でしたけど。
 まあ、タイトルの時点でお察しの通りこの認識は意外と間違いだったわけよ。卒業式やって、ひょんなことから壇上に上がって賞状貰い、「健全な学校生活」だかなんだかを送ったことにされ、答辞のコールアンドレスポンスに学年全員が付き合わされ、よくわからん謝恩会にでて、先生がたに片っ端から謝罪をしてみたら、なんか知らないですけど、母校になっちゃってたんですよね。感慨に浸れてしまうんです。満足してしまうんです。罪だね。

 とまあ、いろいろありまして卒業をしまして、そんな雰囲気なのかどうかはそれぞれ違うだろうけれど、思ってしまったものをちょっと記念に伝えようかと企画したのが先日までネットプリントの形で配信(?)していた『下校路』なわけです。みなさん読んでくれましたよね?編集大変だったんですから。GibsonをGuibsonってタイプミスするくらいには。
 今回集まってくれたのは僕を含めて5人。トップバッターは僕が勤めましたが、ほら、自句自解は野暮ってものだと思うので、粋に生きたい僕は二人目から一句ずつみていくわけです。わりと親交のあるメンバーでやった上で企画主が感想書くのって恥ずかしいね。

膨らますことなく解夏の救命具

 僕の中のもち四天王の一角を担う持田もちかさんは、多分僕ら世代の中でも特に有名なもちもち感の持ち主ではないでしょうか。というか苗字ついたんですね、持田さんになるのか。これからもよろしくね。
 彼女が、俳句に表すのがうまいのは前々から知っているのですが、この句も相変わらずです。使われていない救命具って平和なはずなんですけどね。どことなくただよう緊張感。よく刃物のようなって形容するような、そういう空気感。これは「解夏」という、どうやら本意らしい仏教云々修行云々ということとか、純粋な夏の終わりとしての意味とか、そういう季語の力だけではないように思えて、題材の見つけ方、そしてその題材の切り取り方が俳句意外の部分、詠者の心境とか触覚とか、そういうものを”見せてくれる”やり方なんでしょうね。こう、映画とかでいうところのとてつもなくよくできた予告編の感じ。ねえ、貴方はどう感じた?って別の人と話したくなった句です。

雪と閑寂ならば夜咄ディセイブを

 日比谷虚俊くんは、実をいうと今回の参加者で唯一”面”識がないんです。いや、知り合いですよ?例のSNSでダル絡みできるくらいには。ただ、唯一お会いしていないんだよね。まあ、それはどこかの機会で。
 正直この句に、すごく良いとかうまいとか、そういう感動を覚えたわけではないのですが、僕ら世代は触れておかなきゃかなあと思い取り上げてみます。カ◯プロですよカ○プロ。僕らが中学二年生の頃あたりに、サブカル史に残ってもおかしくないくらいインターネット上で流行っていたVocaloid発のコンテンツです。信者とも言えるようなファンを生み出し、悪い記憶も良い記憶もまだ古くはないですかね。その中でも夜咄ディセイブといえば、嘘つきなキャラクターを題材にした、ベースやドラムが結構効いているイメージの楽曲。閑寂を埋めていくにはまあ確かにぴったりかもしれない、我々世代じゃないと出ない句ですね。ちなみに、かくゆう僕もあまりに大きな黒歴史を抱えてしまったものでして、正直、ため息が出てしまいますね。はあ……卒業。次に会う時はもう少し笑える嘘を頼むよ。

片耳の赤きピアスや風光る

 春明氏とも仲良くさせて頂いていて、敵に回したらヤバいんだろうなと感じている相手でもあります。いや、とても良い人、良い友人なんだけれど。
 それはさておき、この一句。いやあ、デビューしてる感じですよね。卒業記念って感じがいよいよしてきました。なんとなく実直な詠み口から、ちょっと御洒落な内容に触れてくる一句かなあと。僕は痛そうだし、怖いので、ピアスを開ける予定はないのですが、多分こういう機会に開ける人って一定数いると思う。単に心機一転とか、デビューとか、そういうニュアンスもあるだろうし、この時期って、一つ大きく反抗できるギリギリの時期でもあって、そういう上での片耳だけにつける赤いピアス。きらきらと春の風に揺れるピアスに感じることは様々で、例えばいじらしさとか、例えば力強さとか、例えばこの作中主体を敵に回さないほうがいいこととか。

地図に岸あり流氷の果とも

 牛田大貴は僕の親愛なるのつく友人であると勝手ながら思っているので、親しき中に時々礼儀を失ってしまう僕はあえて彼を呼び捨てることから始めてみた。なによりもこの機会に言うべきことをいうと、実は俳句とか、それに伴い「界隈」と表現されるグループにいることとか、そういうものに僕が残留している理由の一つが君です。こんなこというと君はなんとなく迷惑がりそうだけどさ。そもそも確か俳句甲子園同期組の中で、しっかり触れた人は君が初めてだった気がするんだ。確かね。こんなことばかり言ってるとどこかから「また見世物の青春してるよ」とか言われそうですが、マジなの。
 それはさておき、僕は彼の作品のファンです。この句も好きでした。地図をみながらの旅って、最近それすらも減っていそうですが、それはそれで粋な旅ですよね。そしてたどり着く岸には一面の流氷があって、その続く白のその果を示された地図と、その場所と。好きでした。僕は流氷のポエジーをいつか使ってやろうと意気込みながらうまく使えていないわけですが、この句は引き出してきましたね。悔しいなあ。

 というわけで参加してくれた4人、ありがとうね。おめでとうね。印刷してくださった方々もありがとうございます。印刷できなかった方、知っていますか?僕は復刻イベントって響き好きですよ。ということでいろいろ考えてみています。今後もよろしくね。それじゃあまた。

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