見出し画像

【一級建築士試験】合格を勝ち取るまでの記録

久しぶりの投稿です。

2021年12月24日、私は令和3年一級建築士試験に合格しました。
色々なことを犠牲にし、人生が狂わされるほどの過酷な試験だったので、その記録を残すことにしました。ただの自己満足な記事になりますが、流し読みでもしていってもらえると嬉しいです。


↓一級建築士試験の関連記事はこちら↓


一級建築士試験の概要

一級建築士の試験は、年1回、毎年7月に「学科の試験」、10月に「設計製図の試験」が実施され、双方合格することで取得できる資格です。製図試験は学科試験に合格した人のみ受けることができ、もしその年の製図試験が不合格だったとしても、翌年以降の残り2回までは学科試験免除で受験をすることができます。

合格率は低く、私が合格した2021年では学科の試験15.2%、設計製図の試験35.9%、総合9.9%ととても難易度の高い資格であることがわかります。受験資格の要件は色々ありますが、建築系の学校を卒業していること、二級建築士を取得していることなど、少なからず建築に関する知見を持っている人でないと受験できない資格試験です。


受験遍歴

私は3回目の受験で合格しました。
受験遍歴は下記のとおりです。

R1初受験。独学で学科試験に合格◎
▶︎R1設計製図試験[美術館の分館]
 ランクⅣで不合格×
▶︎R2設計製図試験[高齢者介護施設]
 ランクⅣで不合格×
▶︎R3設計製図試験[集合住宅]
 ランクⅠで合格☆

学科試験免除で受けられる最後の年(建築士試験において通称「角番」と呼ぶ)で、ダメだったらまた学科からやり直しという状況でしたが、崖っぷち合格を果たしました。


令和元年(2019年)

初受験 独学で学科試験にチャレンジ

令和2年(2020年)から一級建築士試験の受験資格が緩和され、大学の建築学科で指定科目を修めて卒業すれば直ちに受験できるようになるのですが、令和元年(2019年)までは所定の実務経歴がないと受験できなかったため、2年間の実務経験を経て初受験となりました。

「今の時代は資格学校に通わないとこの試験には合格しない」と某資格学校の営業から執拗な勧誘を受けましたが、色々と情報収集してみると、学科試験に関しては独学でも合格している方が多数いらっしゃることが分かりました。某資格学校への対抗心もありましたが、大手企業のように資格学校に通うお金の補助や、毎週末約束された休日がないことを考え、まず第一関門である学科試験は独学で挑むことにしました。

受験日(7月中旬)の約半年前から勉強を開始
幸いにも同時期に独学で受験することを決めた友人(以後、友人A とする)がいたので、その彼と切磋琢磨しながら、平日休日問わず、空いた時間はすべて勉強に費やしました。


7月 学科試験当日

本格的に勉強を開始して半年。あっという間に学科試験当日を迎えました。少しだけ不安はありましたが、やるだけのことはやってきたので、自信満々で試験に臨みました。

試験では見たことのない問題がたくさんありましたが、過去問を理解していれば解けるような問題がほとんどでした。法規に関しても法令集を引かずに解けてしまう問題が多かったように思います。各科目とも半分以上時間が余ってしまい、何周も見直しをした記憶があります。


ドキドキの自己採点

学科試験を終えると、その日のうちに各資格学校が解答速報を出します。試験後、ともに独学で臨んだ友人Aとカフェに集合し、自己採点会をしました。

自己採点の結果は、、、
125点満点の116点!
友人Aも110点を超える点数で、各学校の予想合格基準点を大きく上回る点数でした。マークミスさえなければ2人とも学科試験合格を確信しました。この年は例年より易しかったらしく、合格基準点97点、学科合格率22.8%と近年稀にみる高い合格率でしたが、独学でも学科試験に一発合格できることを証明できた瞬間でした。
その日は友人Aと喜びを分かち合い、3ヶ月後の製図試験に向けていろいろ話しました。その夜、あの時しつこく勧誘してきた某資格学校の営業から久しぶりに電話があり、
「独学で学科合格とはすごいですね〜!おめでとうございます!ところで製図のことなんですけど(以下略)」
とさっそく製図講習のお誘いがありましたが、丁重にお断りをしておきました。(※後述しますが、のちにこの学校に通うことになります。学校自体の質はとても素晴らしいのですが、この営業スタイルはやめた方がいいと思います…。)

学科試験に関する詳細は別の記事で紹介しようと思います。


設計製図試験 初挑戦

学科試験の合格ラインを超えたことは確認できましたが、製図試験のために何をしていいのかわからなかったので、とりあえず各資格学校の説明会に参加したり、周りの合格された方々に話を聞いたりしました。話を聞くと、特に初受験生は製図試験を独学で合格することは難しいとのことだったので、資格学校に通うことに決めました。ただ仕事が年中忙しかったので、自分のペースで学習を進めることができ、かつ受講料が割安な学校に決め、契約をしました。ともに学科に受かった友人Aは私と別の資格学校に通うことになり、情報共有しながら合格を目指しました。

私が通った資格学校では、週1で9-18時ぐらいの無駄のない授業、週に2課題程度の適度な課題量で、消化不良を起こすことなく学習を進めることができました。しかし与えられたカリキュラムをこなすだけでは、他の大手資格学校に通う大多数の受験生に比べ、圧倒的に作図量・学習量・情報量すべてが足りていませんでした。それでも学校の課題をしっかりこなしてきたので大丈夫と自分に言い聞かせ、試験前3日ぐらいは無理矢理有休をとり、最終調整をしました。


10月 大型台風直撃により試験延期に

試験直前、未曾有の大型台風が日本列島に近づいてきていました。
不運なことに、試験当日に東日本を直撃するような予報が出されており、前日まで試験が実施されるのかされないのかギリギリまで分からない状態でした。試験元のホームページを30分に1回ほどリロードしても確定されない、外は暴風雨で勉強に集中できない、翌日行われる試験の最終調整どころではありませんでした。

試験前日の午後、ようやく試験元から実施の有無について公表されました。台風の影響が少ない西日本の地域は試験実施、影響が大きい東日本の地域は試験延期というなんとも不公平な試験となりました。
延期…。すべてはこの日に向けて仕事を調整し、今自分が出せるベストな状態まで勉強してきたのに。再試験がいつ実施されるか分からないけれど、そこまでモチベーションを保って勉強を続けられる自信と体力がない。
そんな不安を抱きながらも、緊張感からの解放と疲れからか、その日はスッと眠りにつきました。

明くる日の朝、前日の嵐が夢だったかと思うほどに快晴。
何事もなければ自分は今頃試験を受けてるのか。西日本の受験生たちは今頃必死に試験を受けてるのか。どんな問題が出たんだろうか。
複雑な心境を抱えつつぼーっとしていたら、友人Aから連絡があり、外に出て遊ぶことになりました。外は快晴で、久しぶりに何もない休日がとても楽しかったことを覚えています。いつになるか分からない再試験日の公表があるまで試験のことは考えず、現実逃避をしていました。


12月 1回目の設計製図試験(再試験) 本番

数日経ったある日、12月に再試験が実施されるとの発表がありました。
私が通っていた資格学校は、試験までの追加講習を無料でやってくれるという太っ腹の対応で、再び同じ学校にお世話になることになりました。しかし、後ろ倒しにしてきた仕事がどっと押し寄せてきたのもあり、学習に全く身が入らないまま再試験当日を迎えてしまいました。

本番当日。もうどうにでもなれ、なるようにしかならない、と意外にも冷静な気持ちでした。11:00に試験開始の合図が出され、ザッと問題用紙全体を見回しました。
『10月本試験の問題に似ている!いけるかもしれない!』
と謎に余裕の気持ちが生まれたのも束の間、エスキスが3時間経ってもまとまらず、焦って記述に移行。記述はとにかく未完成にならない最低限の文章を書き、作図に移ってからは試験終了ギリギリまで無我夢中でペンを走らせました。
見直しの時間も取れず、あっという間に試験終了。6時間半の試験が一瞬に感じるほどでした。10月本試験と設計条件がほとんど同じだったので、簡単な再試験と思わせといて、簡単には解くことができない難しい試験でした。
完成はさせたし、失格ではないだろうと少しの希望を抱きつつも、2ヶ月後発表された結果はランクⅣで不合格。焦りすぎてほとんど何も覚えていない状態で試験を終えてしまったので、ダメだった原因がはっきりしないまま、あえなく1年目を終えました。
友人Aも不合格だったので、来年こそは一緒に受かろうと慰め合いました。


令和2年(2020年)

製図2年目 過労で倒れる

2年目の製図も初年度と同じ資格学校に通学することにしました。学習スタイルを変えない方が良いと思ったのと、この年も相変わらず仕事が多忙だったため、課題量が多く、授業の拘束時間が長い資格学校ではついていけないと判断したからです。
それでも毎週の課題をこなすだけでも精一杯でした。仕事は毎日終電で、朝も早く、昼休みもほとんどないような状態だったので、授業の前日に徹夜をして宿題を済ませ、そのまま授業に行く日々が続きました。

試験1ヶ月前、9月のある日。普段通り仕事に向かいました。午前中の会議が終わり、もうすぐ昼休みだと思いながら席を立ち上がった瞬間、バタッと倒れてしまいました。意識が朦朧としており、気づいたら救急車で運ばれていました。
診断の結果、幸いにも大きな異常はありませんでしたが、睡眠不足と過労による貧血状態だったみたいです。色々なことが重なり、気づかないうちに精神的にも大きなダメージを受けてしまっており、当時を思えば闇のような精神状態が続いていたように思います。


10月 2回目の設計製図試験 本番

最悪のコンディションで2年目の製図試験本番を迎えました。
学校の課題は最低限こなしていたものの、前年より学習量、モチベーション、体力、メンタル、全てにおいて不足していたので、ダメ元で試験を受けました。周りの受験生に比べ、製図試験対策が圧倒的にできていないことは自分でも分かっていましたが、角番にはなりたくないという想いもあり、ここで受からなきゃというプレッシャーはありました。

無常にも、あっという間に試験時間の6時間半が経ちました。
なんとか完成はさせましたが、最終チェックができずに終わってしまいました。1年目と全く同じ終わり方で、まったく成長がないまま2年目の製図試験が終わりました。
1年目ははっきりとした原因が分からないままランクを知ることになったのですが、今回に関しては重大なミスが多数あり、ランクⅣになることは試験直後には分かっていました。

試験後は友人Aとお疲れ会。エスキスを見せ合い、「致命的なミスをいくつもやらかした。来年角番頑張る。」と伝えました。友人Aは多少のミスはあるものの、良くできていました。
彼は、最後まで何があるか分からない、試験元は気づかないかもしれない、と私に慰めの言葉をかけてくれましたが、願い叶わず予想通りランクⅣ。2年目も不合格という結果でした。
友人Aはランク1、合格を見事に果たすことができました。一緒に合格できなかったことは悔しかったですが、彼は仕事しながらも試験に本気で取り組み、私は中途半端な状態で試験に臨んだので、当然の結果でした。


令和3年(2021年)

製図3年目 転職を決意する

あっという間に製図3年目。ついに学科試験免除で受けられる最後の年、角番になってしまいました。
仕事は全く落ち着く様子がなく、慢性的な人手不足で典型的なブラック企業と化していました。このままでは心身ともにボロボロになるし、人間らしい生活ができないし、一級建築士にも一生受からないと思い、転職することを決意しました。
年明けの1月頃から転職活動を開始。本格的に試験対策が始まる7月末までに退職することを目標にし、細々と半年ほど転職活動を続けました。
目標とする退職日の約2ヶ月前、希望する企業の最終面接を受け、結果待ちのタイミングで新しいプロジェクトを次々と振られそうになったので、内定前でしたが勇気を出して退職交渉を持ちかけました。強い引き留めにあいながらも、なんとか退職交渉をクリアし、引継ぎと挨拶回りを終え、予定通り7月末に退職することができました。その間に希望する企業からも無事内定をもらい、転職先には一級建築士試験に専念したい旨を伝え、試験日である10月10日以降の入社に調整してもらいました。


8月から10月の製図試験まで

2ヶ月以上の離職期間をとり、一級建築士試験のためだけに時間を注ぎ込むことにしました。時間に余裕ができたので、これまでしつこい営業を受け続けてきた、某最大手資格学校の短期コースに通うことにしました。もちろん自分の意思で。
受講料はオプション諸々含めると、昨年まで通っていた学校の3倍以上かかりましたが、一級建築士に受かるためなら背に腹はかえられなかったので、最も実績があり、受験生の過半数が通う学校に懸けることにしました。

通ってみると、やはり講義内容や教材が充実しており、講師の質も高く、朝8時〜夜10時までの熱血講義(長ければ長いほど良いというわけではありませんが…)など、絶対に受からせようという本気度がすごかったです。途中からついていけずにドロップアウトしていく受講生もいましたが、仕事をしながら学校に通っている人が多かったので、無職かつ既受験者である私は絶対負けられないという思いで必死に勉強しました。そして幸いにも私が通うクラスには、同じような境遇の人や優秀な人が多かったので、互いに高め合うことができました。講師とも相性が良かったので、クラスにはかなり恵まれたと思います。


10月 角番で迎える製図試験 本番

いよいよ3年目の製図試験本番を迎えました。
もう後がないので、過去2度の製図試験とは比べ物にならないぐらいのプレッシャーでした。ただこの試験はメンタル試験でもあるので、気持ちを落ち着かせ、今まで解いてきた課題のプランを頭の中で整理し、試験開始の合図を待ちました。

試験開始。全ての用紙に名前を記入し、問題文を眺める。すると、敷地条件が前日解いた課題とそっくりで、思わず心の中で笑ってしまいました。これはラッキーだと一瞬思いましたが、過半数の受験生が前日に同じような問題を解いているので、あまりそれに引っ張られないように、問題文を冷静に読み込みました。あとは時間配分だけは自分が設定した時間を厳守し、今までと同じ轍を踏まないよう心がけました。

昨年までは出来ていなかった十分な中間チェックを確保し、問題ないことを確認した上で記述へ移行。記述は学校で教わった内容がほとんどで、作図時間も毎日の作図トレーニングのおかげで短縮することができたので、初めて最終チェックに30分以上かけることができました。

最終チェック中、一発ランクⅣ項目である防火設備の描き忘れがあったのでヒヤリとしました。たったこれ1個だけでも描いていなければ不合格だったことを考えると、改めて見直しの時間が合否を分けるといっても過言ではないと思い知らされました。

試験後は校舎に戻って復元会。大きなミスはありませんでしたが、プランは少数派で、細かいミスもいくつかあったので不安な気持ちが押し寄せてきました。1週間後の採点会ではA評価を受け少し安堵していましたが、その後講師も気づいていない、今までやったこともないようなミスに気づいてしまい、冷や汗が止まらなくなりました。
でももう終わったことなので、あとはもう祈るだけでした。


12月 運命の合格発表

あっという間に合格発表を迎え、発表の1週間前からドキドキが止まりませんでした。それまでの間、落ちる夢を何回も見てきました。逆夢であることを祈りつつ、2021年12月24日の10:00に試験元のホームページの受験番号一覧PDFを開きます。

「あった。」

周りの人が静かに仕事をしている中、思わず声が出てしまいました。間違いがないか何度も確認しました。何回見ても自分の受験番号が確かにそこにはありました。この日はずっと放心状態で、仕事が全く手に付きませんでした。

帰ったらすでに合格通知書が届いており、そこでようやく終わったんだ、一級建築士に合格したんだ、と実感が湧いてきました。お世話になった人、結果を気にしていた人、家族に連絡をし、その日はクリスマスイブを楽しみました。

合格図面については別の記事で紹介しようと思います。


おわりに

この試験は人生を変えてしまうほどの破壊力があります。総合合格率は毎年約10%と難関資格なので、並大抵の努力だけでは合格することができません。
特に製図試験に関しては採点基準がブラックボックスで正解がないため、大きなミスがないのに不合格、とんでもないミスをやらかしているのに合格、という摩訶不思議な結果になることがよくあります。なので運要素もある不公平な試験だとも言われますが、運を頼りにしていたらいつまでも合格できない試験だと思います。要求されたことを満たし、採点官に有無を言わせない図面と記述が書ければ合格できます。
そこに行き着くためには長期的な努力、精神力、マネジメント力、自分自身をコントロールする力といった様々な力が試されますが、それを乗り越えた先は何物にも代えられない喜びと社会的な信頼を手に入れることができます。一人でも多くの方が一級建築士試験に合格し、建築業界で活躍されることを願っています。

かなりの長文になってしまいましたが、ここまで読んで下さった方、ありがとうございました!

この記事が参加している募集

振り返りnote

転職してよかったこと

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?