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リモートワークでモチベーションが下がってしまったら

生きている時間の9割ぐらいは何でもやってみたい好奇心とときめきで構成されていて、基本的には自分のペースを保って機嫌良く生活している鈍感気味の私でも、やっぱり1割ぐらいは全くそういう気持ちになれない日がある。

特に仕事に関してはモチベーションコントロールとか、モチベーションを下げそうな要因を事前に潰しておくリスク管理の術がある程度は身に着いているはずで、そう簡単にがくっと下がったりしない……はずだが、直近はまさにその1割の中の1割の低迷期にいた。

「あ-これはたまに来るやつだ」と一旦受け止めて「気づいたら終わってた!いい経験だったわー!むしろ得したわ!」と思える(だいたいそうなる)まで、いつもの如く静かに耐え忍ぼうとした。


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いつもはこう。

そういう日でも朝無理やりメイクはして、服を選び(そういう日は「赤!」とか、ハッキリした色にする)、電車に乗る。

すると通常稼働している街の様子が嫌でも視界に入ってくる。みんないろいろあっても今日もちゃんと前に歩いてて、素晴らしい。

オフィスに着く前にカフェに寄って、出社した自分に花丸をあげましょう、とラテを買う。(普段はブラック)

デスクに着いたら誰かに「おはよう!」と声をかけられ、チームの人に「なんか今日の服いいっすね!」とか言われて、とりあえず今日一日を乗り切る為のエネルギーを獲得する。今日それを選んだ朝の自分をまた褒める。

集中していたらいつの間にかお昼になって、誰かとランチして、「昨日チームの人とこんな言い合いしてさー!」みたいな、自分の悩みよりもっとややこしそうな話を聞く羽目になったりする。


1日が始まった時は凝り固まってずうんと鉛のように重かった気持ちが、たくさんの刺激によって1日が終わる頃には分散して小さくなっていて、「なんだかんだ今日もそこそこ楽しかったし、私にはこの人達がいて必要としてくれるから、まーいっか!」という軽い心持ちになっていたりする。

低迷期に入りそうになるもっと手前で、複雑な思考とか説明できないもやもやとした気持ちがナチュラルに発散されていく仕組み。それが会社という組織であり、社会なのかもしれない。と今になって思う。


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しかし、一人暮らしのリモートワークではそうはいかない。(ちなみにリモートワーク6ヶ月目、3月末からオフィスに行っていない)

求めに行かなくても自動的に入ってきていた刺激がなくなってはや半年。

人とのコミュニケーションは自分で求めてわざわざ機会を作りにいかねばならない。し、本流の派生で会話して発散させていくことが難しく、口頭コミュニケーションのすべてが『ミーティング』へと形式化されているので、(これはこの半年みんなが口をそろえて言っているのでもう聞き飽きていて、ニューノーマルでは言い訳にも聞こえてあんまり言いたくないのだが、やっぱり)目的のはっきりしないコミュニケーションが生まれづらい。


私のように100%リモートワークを遂行している会社で働いている人にとっては、これまでの社会という概念はもうなくなりつつあって、バーチャル化した別の概念になっているのではないかと思う。これは社会であり、社会じゃないのかもしれない。なんて思ってしまう。


そういう社会なのかそうじゃないのか分からない環境では、「ちょっともやもやしてて雑談させて欲しいからお時間下さいな」と、相手の時間をエキストラで自分に費やしてもらうことへのハードルが上がっている。

私のような遠慮と配慮の塊みたいなビジネスマンには、相手も自分と普段付き合っていてきっと得しているだろうというそこそこの自信が要るし、そういう信頼している相手に対してこそ、相手の忙しさを第一に気遣ってしまう。(私だけ?その気遣いは私の良さだったりもする。と信じたい。笑)

ケアされなくてもそれなりにたくましくやっていけるであろう私よりは、他の人に時間を割いてあげて欲しいな、と純粋に思ってしまうのだ。本当に。

アンナチュラルな形で時間を奪える図々しさを、持てない。これはニューノーマルをサバイブする為の必要スキルの1つかもしれないのだが。


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だから、ひとまず内にこもって自己解決しようとするのだが、以前と違ってその間職場の人と十分なコミュニケーションを取らず、物理的にも距離があり、視界にも入ってこなかったので、急に「もしかして私って必要じゃないのか?」という気分になった。(実際には誰一人そんなこと言っていない。)

一瞬でもそういう気分になってしまったことには、結構驚いた。

もしかしたら、必要以上に問題に向き合えてしまう環境なのかもしれない。ともすればすぐに離脱できてしまう環境でもある。

バーチャルな社会で働くということは、そういうものと常に隣り合わせであるということを初めて感じた。


これは私だけではないと思えてならない。仕事をしていると波が必ずある。リモートワークという環境が長く続くと、多かれ少なかれそういうことにたくさんの人が直面する気がしている。

どんなご時世でも(いや、こんなご時世だからこそ?)、やる気を急降下させるような出来事は空気を読まず容赦なくやってくる。だから、平常時から対策を考えておくべきだし、コロナ前に実践していた対策には少々アップデートが必要かもしれない。


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私がリモートワーク環境に対応すべく今回アップデートした、一度は底までいったモチベーションを回復させる為の小さな習慣は、こういう感じである。



こういう時は、徹底的に無理しない

人間だから、365日もあれば何にも気が進まない日もある。かつ、現在は社会的な生き物人間が過去あまり経験したことない、遠隔で仮想の組織に属するということをやっている。

「ニューノーマル」という言葉に、あたかも「みんな適応していくのが普通ですよ」というメッセージが含まれているかのように聞こえる時があるのだが、私がたくさんの人と面談している限り、実は全然適応できていないと思っている。

そういう環境で過ごしてこなかった人類がその環境に100%アジャストしていくにはたくさんの時間とフォローアップできる仕組みが必要なので、今はまだ普通ではない環境である。このバーチャルな社会は、インターネットが発達した21世紀だからこそ生まれたものであることを忘れてはいけない。


そういうまだ自分にとってはイレギュラーかもしれない環境下で、活力低めなモードに入っている自分に鞭を打って無理やりたくさんのことを詰め込むと、後々自分が傷つくのは目に見えているので、そういう日は徹底的に頑張らない。

思い切ってお休みして睡眠に充てても良いし、気分転換の為に働く場所を変えてみても良しとする。そういう自分を責めずに、許してあげる。また気力が回復した日にいくらでも取り返そう。


前述した通り、リモートで働くということは、ぐっと気持ちが下がることと常に隣り合わせであることも冷静に捉えながら、

だからこそ、いつもに増してコンディショニングと持続可能性を一番大切にしたいと思う。いつもより自分のキャパシティと相談しながら。その少しの意識さえあれば、あとは全力でやれば良し。

良い仕事は、健康な心身でしか作れない。たまには自分がトップアスリートでいて、かつ自分がその監督であるかのように、自分自身をマネジメントしてみる。


今は理由が明言できなくても白旗を挙げる日があっても良い。私はそう思うことにする。



目的がなくても時間を作ってもらえる人に頼る

話に明確なゴールがなくても、テンションが上がらない自分でも、受け入れておしゃべりしたり会ってくれる人が職場にいたら、自分の為に時間を作ってもらう。職場の人じゃなくてもいい。

相手も人間なので、その人にも下げモードな日は必ずやってくる。その時は自分が支えられればチャラになる。

こんな時はお互い様精神。頼らずして潰れてしまう方が、悲しい。

私が苦手な分野なので、この考え方を新たな習慣にしようとトライしている。



いつもより多くの発散手段をストックしておく

抱えている気持ちを少し解放できたり、直接的な問題解決にならなかったとしても気が晴れたり、まぎれたり。

つまり、自分がどんな状態でも無条件にときめけることを探してストックしておく。自分の気分が上がるトリガーって何だろう?を普段から見つめておけば、いざ発散したい時の選択肢が広がっていく。


それは、場所であり、人であり、時間であり、モノであったりする。


私の場合、まずは場所。場所が変われば人もモノも変わり、そこに時間の変化も加えれば、結構簡単に気分が変えられる。

日常に行き詰まったら旅行に行って非日常に身を置くのはおきまりの処方。近視眼的になっている自分の流れを一旦止めることができる。帰ってくる頃には日常を俯瞰できるようになっており、少しだけ昔に思える過去の自分と距離を置いて再スタートを切れさえすれば、大抵の場合はまた良い循環が生まれていく。


すぐに非日常へ逃避出来ない場合は、日常の中で小刻みに場所を変えて発散する。実際今週は朝いつもより早起きして新しくできたカフェに行き、いつもは控えているパンを朝ごはんに仕事してみたり、夕方まで家にこもってしまった日は早めに切り上げて、しばらく行ってなかったお気に入りのご飯屋さんに立ち寄ってハッピーアワーしながら店主とお喋りしたりした。

こうしていつもと違う刺激をたくさん受けられる環境を自分に用意したら、オフィスに通っていた昔のように、今日も少しは発見があったなと思えるものである。そういう小さな仕掛けをしてあげることは意外と重要なのかもしれない。



できれば、仕事以外でも社会とつながれる領域を作っておく

リスクを分散させておくという発想で、そこそこ熱心に取り組んでいる領域が私には常にいくつかあり、何か1つうまくいかなくても別のものがうまくいっていて、トータルではバランスが取れているという状態をいつのまにか目指すようになった。

今回、私はこれに一番救われたのかもしれない。


仕事でのダメージはプライベートの出来事だけでは埋まらない性分で、やはり結局は社会から必要とされたいタイプなのだと思う。だから、自分の中で常にいくつかのプロジェクトを走らせておきたい。

できれば多くの人と繋がり、自分が持っているものが社会へ還元される可能性を秘めているものがいい。仕事はその1つである。


今回はたまたま仕事が不調なタイミングで、noteの#これからの仕事術 という企画での受賞が公開になった。皮肉にも、仕事について語った記事である。笑

今時点で仕事がうまくいってないこととは全く無関係に、ポジティブなリアクションが舞い込んでくる。これもまた良い仕組みだなと思った。


このきっかけは、今日始めて今日やってくるものではない。普段からの種まきやチャレンジの積み重ねがこういう時に効いてくるから、何にでもチャレンジし継続する精神を重んじておきたい。



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そんな新習慣たちを試しているうちに私のモチベーションは幸運にも回復期に入りつつあるのだが、リモートワークは長期戦になりそうなので、次の低迷期に備えて日頃からたくさんの術をまたストックし、習慣化していきたいと思う。


「ニューノーマル」にはまだ完全には馴染めそうにないが、社会が変わっている今、これまでの「普通」にはあまりとらわれず、まずは自分と身の周りのことを粘土のように都合に合わせてふにゃふにゃと変形させて作り変えられる、柔らかな気持ちを持っていたい。

そういう心持ちで、仕事もプライベートも変に無理することなく小さなことから工夫して楽しんでいくことが重要だということは、どんな状況になってもきっと変わらないのだと思う。


場所を変えることが発散になるという話をしたが、私にはかねてから一生に一度は住みたい!と願っている街があるので、そんな街にステイしながら働く、いわゆるワーケーションというやつに年内にトライしてみようと今企んでいる。これも新たなプロジェクトであり、新たな習慣が生まれそうな予感がしている。


安定的にパフォーマンスを上げていく為に、どうやったら自分のモチベーションや気分が上がるのかを探っていく。これからを賢く生き抜く為の、大事な活動である。


もちろん、ウィルスには細心の注意を払いながら。健康第一。安全第一。

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