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年甲斐とは

「年甲斐もなく」という表現を、よく聞く。

意味を検索すると、「年齢にふさわしくなく愚かである。」という意味のよう。

じゃあ、年齢にふさわしい、って、なんだろう?
何歳で、何をすることが、「ふさわしい」と言えるのだろう。
愚かなことは、美しくないことなんだろうか?
私は「愚かな」人間って、人間らしくて、どうしようもなく好きです。

私たちは、
「"普通"こうだ」という概念で生きがちだ。
「普通」なんて、本当は、無いのに。
「普通」と思い込んでる虚像を、それぞれが抱えているだけだ。
しかもその「普通」って、人それぞれ微妙に違っていて、同じものなんて、無いのに。

だって私たちは、誰一人として同一ではないし、同じ人生を生きていない。

誰かの人生を幸せだと思い込んで羨んでも、
自分以外の人生は生きられないのだから、
その人が本当に幸せかなんて、その人以外誰も知ることはできないし判断することはできない。決める権利もない。

無いものをあると思い込んで、私たちは苦しんでる。
思い込みによって自分を追い込んで、苦しめてる。



私は昔から離島好きで、一番好きな島歴はイビサ島が一番長い。

イビサが好きな理由は色々あるけど、
イビサでは(というか海外では?)老若男女関係なく、みんなが音楽を楽しんで踊ってる。イビサはそういう場所。
イビサを思い出す時、私はいつもその場面を思い出す。
super peacefulだ。

今になって思うけど、その光景に私は、人間としての自然さを感じていたのだと思う。
人間本来の在り方。人間って、こうだよね、っていう姿。
だから惹かれていたんですね。

いくつであろうとも、自分が好きなこと、ワクワクすることをすればいい。突き通せばいい。
どうせ、地球や宇宙の年齢からしたら、人間の人生なんて、秒で過ぎ去ってしまうほどの一瞬のものなのだ。
何歳で何をしたって、たいして変わらないのだ。


誰に対して、「年甲斐」がある必要があるのだろう?
自分が「年甲斐ある」ことに、誰が満足するのだろう?


「年甲斐ある」ことに私たちはno attentionで、むしろつまらなさすら感じるのに
「年甲斐もない」ことに私たちは敏感で、恐れてしまう。


自分を解放すること、自分らしくあることの歓びを許してあげたら
私たちの人生はどれだけ豊かになるだろう?

年甲斐もなく、生きよう。
軽やかに。簡単に。ナチュラルに。

Be yourself.


xoxo,
Reina

2023.3.27



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