腐れ書評1:食道楽

どーも、元文学少年です。
と言うわけで、今年読んだ書籍の冊数を述べよと問われても答えられないおれ。
読み過ぎてではなく、読まなさ過ぎてなのは皆さんのご想像の通りなのであります。

昔は「夏休みの宿題やってくる!」と言って、隣の学区にある図書館に開館と同時に雪崩れ込み、置いてある小説を読み漁ったり、ソファの内側に小銭が落ちてないか探り漁ったりしていた。
※100円みつけた喜びを帰ってかーちゃんに報告したらこっぴどく叱られたわ、あの時の100円、今どこで何してるかな、まだ地元にいるかな、優しい人のところにいたらいいな…

と、このように感受性豊かに物事を考えられるようになったのは天性のものではなく、あの頃の読書によるモノだと、良いように解釈していただけると至極ありがたい。

閑話休題。

今は小学生よりも本を読まなくなってしまった悲しい事実がありつつも、たまに、極たまに、読むことがある。
最近(何年前?)読んだのは、村井弦斎の「食道楽」という昔の小説。
明治時代に書かれ一大ブームを巻き起こしたと言われている。

ストーリーとしては、食い意地張った(おそらく)デブが料理上手の美人と結婚しようとして手料理を褒めまくるけど、家が決めた許嫁も出てきててんやわんやという、ラヴ&イートな話。
皆さんに読んでもらいたいという気が全く感じられない、覇気のないあらすじになってしまったことに対して、後悔は全くないことを前もってお伝えしておく。

この本が面白かったのはストーリーもさることながら、そこに出てくる料理や食材の扱い方、書かれた明治時代の人々の生活が食を通じてリアルに感じられるところ。

昨今(と言ってもしばらく前に)流行ったタピオカも、「平成の初めの頃にも流行って、みんな食べてたのよ」と言っちゃっているかもしれないが、この食道楽にもしっかりばっちり書かれていた。
なんと明治時代からタピられていたようだ。

江戸時代に生まれた明治のヤング達が「タピオカやんごとねぇ、美味でござる」と言って青春を謳歌していたと考えると、昭和に生まれた平成キッズとしては、むずがゆさの奥に佇む「先輩ちょりーっす」が否定できない。
ぜひ、お供して令和のタピオカミルクティーで一献交わしたいと思う所存である。

さらに果物なんかも、こんな時から食べられてたんすか?というものもあって、マンゴーは果物の王、マングスタン(マンゴスチン?)は果物の女王と評されている。

現在使われていない名称を推理しながら読むのも楽しい。
わかりやすいところだと、トマトのことを「赤茄子」と言っていたり、プリンを「プデン」、チーズを「チース」など、他には「ペラオ飯」と言ったハーバード大学の国語の試験に出てくるような難読ワードも出て来て、現代語に訳しながら、その時代に思いを馳せながら読むのが楽しい。
※ちなみに小説全体も現代文とは異なるため、読むのを躊躇う人が頻出すると思う。

また食材だけでなく調理方法の紹介も内容の大部分を占めるが、もちろんのこと時代的にIHもガスもない。
炭火オンリー。
炭火使わせたら右に出るモノはいない小説。

大抵3ヶ月もすればペラオ飯の作り方も忘れるので、何度も新鮮な気持ちで読めるとても素敵な作品。

歴史好き、明治好き、料理好きな方はぜひご一読あれ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?