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「推し活、向いてないよ」

「ねえ、あんた、推し活向いてないよ(笑)」

って言われてきた、さっき。


で、で〜す〜よ〜ね〜〜〜ッ!

知ってる知ってるぅ〜。


3/9〜3/11は東京にいるのだけれど、贔屓にしている芸能人のファンミーティングがちょうど3/10に東京で開催された。

つまり、今日、数時間前だ。

もともとこのタイミングで東京に来られるか未定だったのと、落選して落ち込む確率が高すぎて、怖くて応募すらしなかった。

でもフタをあけてみたら見事に丸かぶり。

そういうタイミングが合わないときはお呼びでないときだとも思いつつ、ニアミスだったな〜とちょっとだけ悔やまれる。

どうあがこうとファンミには参加できないというのに今日は朝からウキウキで、一緒に過ごした友人に「ね〜〜〜え」などと呆れ顔でツッコミをくらいまくっていた。

きっと、から元気、というやつである。

いじらしく可愛げがある、ということにしておいてほしい。

どうかそんな憐れむような目で見ないでおくれ。


その友人も、別界隈で「推し活」なるものをしている。

わたしより楽しみ方がうまく、とても尊敬している。

わたしはというと、今日のファンミには参加できなかったものの、チケットが無くてもOKという物販のために、その友人に手を引かれて会場には行ってみた。

“友人に手を引かれて” ね。

いや、ちがうの、きいて。

わたしは心のどこかで、「ファンミ」だなんて華々しいイベントは自分に向けられたものじゃないなって思ってたの。

それに、イベント参加者ばかりのいる幸せ空間に身を置くなんて辛すぎるだろ!!!!とも思ってたの。

だから会場に行くの怖いな、と。

つまるところ、傷つきたくなくてビビっていた、尻込みしてたんである。

でも本音では、贔屓にしている人のなんとなくの気配は感じたい……。

そういう、わたしのめんどくせ〜〜〜部分をその友人はよく分かってくれている。

「会場には行くだけ行ってみようよ!」

「写真だけでも撮りなよ!」

「ほら元気だして!」

などと励ましの言葉の応酬。

あたしゃマラソンランナーか何かか。

どこからかZARDの『負けないで』が聴こえてくる。

でも友人の言葉のひとつひとつ、存在そのものが、小心者のわたしにはものすごくありがたかった。

その友人は、わたしの扱いがめちゃくちゃうまい人なんである。

友人というか、推し活においては先輩、もう大先輩、お師匠様ですらあるのだ。


結局、その物販も目の前で完売してしまったので、電光掲示板の写真だけ撮ってきびすを返したのだけれど。

しかし今となっては行ってみてよかったと思う。

その友人と、「推し活」の話がたくさんできたからだ。

ファンミに参加できた/できなかった、物販を買えた/買えなかったよりも、いつもひとりでひっそりと楽しんでいる推し活を、わたしをよく知ってくれている友人とシェアできたのがうれしかったのだ。


で、言われた。

「ねえ、あんた、推し活、向いてないよ(笑)」

と。

で、で、ですよね〜〜〜!?
奇遇ですね、わたしもちょうどそう思ってました!!!!

その理由は前にこの記事に書いたようなところにある。

この文章にもにじみ出ているが、心が揺れ動きすぎるし、俯瞰しすぎて余計な遠慮をしてしまうし、「好き」に恥じらいがありすぎる。

一言で言えば、
夢中になりきれないんである。

だから友人の指摘があまりに痛快で、2人で大爆笑してしまった。

その上で、
「でも、その楽しみ方でいいんじゃない?」
とも言ってくれた。

わたしのこんな不器用な愛し方でも、い、いいんですか……?

その一押しのなんと心強いこと。


友人の存在が、ありがたい。

一言でいえば今回はそれが書きたかった。

やっぱり、世に言う「推し活」はわたしには向いてないと自他ともに認めざるを得ない。

それを今日、確信した。

それでも、自分なりに疲れない楽しみ方でひっそりと楽しんでいけたら、とも思う、願う。

というか、自分なりの楽しみ方で全然いいし、結局そうしかできないのだ。

それも今日、確信できた
(……みたいなことを、定期的に書いている気がするが)。


そんなわけで今日は、「推し活」について目の前をおおっていた霧が晴れたような1日だった。

いやー、推し活、むずかしいけれど楽しみ甲斐がある。

のび代たっぷり、ということにしておこう。

友人……いや師匠にご指南をいただきながら、わたしはわたしの推し活の楽しみ方や距離感を、模索していけたらと思う。

まだ定まらないなりにも
「これでいいのだ」
とつぶやいてみる。

なんだかいい1日だった。

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