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《比喩》を使う政治家には注意しなくてはいけない (エッセイ)

昔、難しい話をわかりやすく説明してくれる、お茶の間で人気の政治評論家がいました。
独特の不思議な髪型で、パイプを手に、
「だいたいやねえ、……」
と語りかける人で、各種のCMにも起用された。

この人の話がわかりやすかったのは、ひとつは断定的に語ること、ふたつめは《比喩》を多用したからではないか、と私は思っています。

例えば、おぼろげに憶えているのは、《国/政府》を「お父さんお母さん」、《国民》を「子供たち」に例えた上で、
「お父さんは子供たちの将来を考えて……」
といった具合に政策の意義について語っていたことがありました。
その時、私は本当の《子供》だったので、実際に父親の顔を思い浮かべ、この《たとえ》に強い違和感を持ちました。
けれど、あるいは《大人》たちは、
『なるほど、そういうことか!』
と《わかりやすい話》に合点がいったのかもしれません。

この人は政治評論家であって政治家ではないので政治責任はない。
《仕事》の中でこうした《技術》を使うことは、まあ、あるのだと思います。というより、彼を起用したテレビ局の期待に、きちんと応えていたのでしょう。


問題は、責任ある政治家がこのような手法を取ることです。

数年前にある政治家が、生放送のテレビ番組で《安保法制》について説明しました。

『なんでそんなに急ぐの?』と言われるんですね。
戸締まりをしっかりしていこう、ということなんですね。かつては雨戸だけ閉めておけば、よかったんです。雨戸だけ閉めておけば、泥棒を防いで自分の財産を家に置いておいても、守ることができたんです。

でも、今はどうでしょうか。たとえば振り込め詐欺なんて、電話がかかってきますね。それへの対応もありますし、自分の財産が電子的に取られてしまうという事態にもなってます。そういう事態に備えていなければいけない。

たまたま今は何も起こってないけれど、備えていなければ、そういう事態が起こるかもしれない。まさにそうした『戸締まり』。国民の命や自由や幸福を守るためには、今からしっかりと備えをしておくことによってですね。何かよこしまな考えを持っている人が、『日本を侵略するのをやめておこう』となっていくんです。

2015年7月某テレビ局のインタビューより

ここでは、安保法制の是非について意見を言っているのではありません。その重要性をつたえるための《手段》に関する議論であることをはっきりさせておきます。
(すぐに右か左か上か下か決めたがる人が多いことにはウンザリします)

この政治家の気持ちもわからなくはありません。彼はおそらく、
「どうしてわかってくれないんだ!」
と思っていたのでしょう。だからわかりやすく《たとえ話》を使ったんだ、と言うかもしれません。

でも、ことが重要であればあるほど、彼は《比喩》なんか使ってはいけなかった。重要なことは、正確な言葉で、統計的データや予測数値などを使いながら、現状とメリット、そしてリスクをきちんと説明しなくては《無責任》なのです。

比喩は勝手にひとり歩きする。
聞いた人は勝手にイメージを膨らませる
例えば、このたとえ話から派生して、米軍を単なる隣人と思う人もいれば、警備会社、あるいは警察だと思う人もいるかもしれない。

しかも、それぞれが「勝手にイメージを膨らませる」点を利用しているところが、本人が意識しているかしていないかにかかわらず、この《手段》利用の狡猾なところであり、無責任な本質です。

正確な言葉で、正しい状況や条件を説明した上で議論しなければ、誤った結論に至ります。

だから私たちは《比喩》を使う政治家には注意した方がいい、と思っています。
重要な政策に関して《比喩》を使う政治家は、基本的には国民を舐めており、正確さよりも《結果》だけを求めているのです。


もちろん、政敵をヒトラーになぞらえるような《卑怯な》政治家は《論外》です。

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