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アドバイスした側にとって貴重なアドバイス

ジブリパークが2005年の『愛・地球博』の跡地利用であることから、別アカウントでこの万博についての簡単なおさらいをしました。
それに関連した個人がらみの話題をこちらに書きます。

2005年の愛知万博は、当初は長久手と瀬戸の両会場で実施する予定でしたが、瀬戸会場は予定された森林伐採が、
「環境博と謳っているのに、環境破壊じゃないか!」
ともっともな批判を受けて規模をほぼ長久手のみに縮小し、かつ、コンパクトで省資源な環境配慮型の会場構成(建物は規格モジュールで、参加国はモジュールの外装・内装のみで個性を発揮)を徹底しました。

ジブリパークのある街・長久手|谷 俊彦 (note.com)

1994年に愛知県から示された最初の基本構想のテーマは「技術・文化・交流―新しい地球創造―」であり、会場は、大阪万博の約2倍の約650ヘクタール、予想入場者数は、4,000万人、跡地構想は「あいち学術研究開発ゾーン」と「新住宅市街地開発事業」でした。

2005年日本国際博覧会 - Wikipedia

県の当初案は、明らかにディベロッパー色の強いものですよね。実際、瀬戸会場は『海上かいしょの森』という県有林を切り拓いて住宅開発をする、そのきっかけとして博覧会を利用するのでは、と疑念を持たれ、反対運動も起こりました。

さて、そんなころの夕食の場 ── ちょうど、テレビでこの問題を取り上げていました。
当時、小学生だった次女が、珍しく口を開きました。
「なんで万博なんてやるんだろう? そんなことより、自然の方が大事じゃん。森の木を切ったらもう元には戻らないんだよ」
2歳上の長女はおしゃべりですが、次女はどちらかといえば無口なタイプなので、少々驚きました。

「なるほど、そうだよな。でもさ、今のお前の意見、ほら、イチ、二イ、サン、とここにいる3人しか聞いていないぞ」
私は彼女以外の3人を指さしながら言いました。
「新聞に投書して、お前の意見が載れば、たくさんの人が読んでくれるよ」
「ふーん、……書こうかな」
次女がボソッと言いました。

食後、彼女は机に向かい、親にも見せずに投稿し、それは2週間ほどして毎日新聞のローカル版に掲載されました。
『小さな成功体験』ですが、晴れやかな顔をしていたのを憶えています。

長女は、日本で両親に指導されて自転車に乗れるようになりましたが、次女は米国でひとり黙々と練習していました。
長女は日本でスイミングスクールに通いましたが、次女は米国のプールでひとり黙々と練習し泳ぎを習得しました。
私たちは次女を《独学の人》と呼んでいました。
塾には高校時代に2,3週間だけ通い、「時間のムダとわかった」と言って辞めました。

彼女は人生でほとんどのことを自分ひとりで決めており、父親として何かアドバイスしたこと、と言えば、この『万博反対投書』案件しかありません。

いや、もうひとつありました。
その10年ほど後に、1度だけ私に電話をかけてきて『相談』してきたことがありましたね。そもそも電話など初めてで、驚きました。
その2回のみです。

そのことをこうやってたまに想い出しますが、海外で忙しく働いている彼女はもう憶えていないかもしれません。
その意味では、このアドバイスは、
《アドバイスした側にとって貴重なアドバイス》
だったかもしれない ── そう思うのです。

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