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1995年の今日だった

今朝は5時前に目が覚めた。

ガタガタっという揺れで目覚めたあの朝も、まだ暗かった。
震度3くらいだったのだろうか。

2歳の娘とお腹にはもうすぐ生まれる子どもがいた。

あの日は何かと忙しくて、朝からテレビは見ていなかった。
通販のことで大阪に問い合わせの電話をしたけれど、繋がらない。

銀行に行こうと車に乗ると、いつものFM放送からは、ひたすら人の名前を読み上げる声が流れていた。

そこでようやく、何かが起きたことに気づいた。

そこからは惨状を伝える映像に震えるばかりだった。

電気や水のない中、無事に出産した人のニュースがあった。
臨月のお腹を抱えながら、自分は大丈夫だろうかと不安になったのを覚えている。

10年後、旅行で出かけた神戸は、何もなかったように美しい街だった。
他所の者から見たら、何もなかったように…。

神戸近郊に住む叔父の家も、かなりダメージを受けたと聞いた。
従妹は危うくピアノの下敷きになるところだったとも。

話で聞くのと実際に経験するのとは、大きな違いがあるだろう。

今も能登半島では大変な状況が続いている。

ニュースの様子からも、高齢化や過疎化の進む地域だと感じられる。

少しばかりの義援金しか、私にできることはない。

3.11の東日本の時も同じだった。
せめて暖かい春が早く来ないだろうかと、祈るばかりだ。

うちにも写真と同じ、しましまのおのくんがいる。

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