元気がない日は気持ちを飛ばす

ああ、なんだか今日は気持ちに元気がないなあ。

いっかいそう自覚してしまうと、もう今日は何をやってもうまくいかないような気持ちになって、ずるずると底のほうに落ちていって、貝みたいにパタン、と殻を閉じてしまいたくなる。

ときにはどっぷりそこに浸かったりする日もあってよい。そう思うほうだけれど、たいした原因もなく「なんとなく気持ちに元気がないなあ」程度のときは、早いところ気分を切り替えてしまったほうが1日をたのしく過ごせるということは、自分でもわかっちゃいるのだ。

そんなとき、あなたはどんな方法で気分を切り替えるんだろう?

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わたしはときどき、全然関係のないひとに意識を飛ばしてみる、ということをやる。

たとえばいま、とあるビルの高層階からぼうっと外を眺めていたら、向かい側のビルの屋上から、窓掃除のスタッフらしき、ヘルメット姿のおじさんが顔をのぞかせた。ぼうっとしていたら転落して命にかかわる仕事だ。

それを見て、ああ、わたしいまあのひとだったら「なんだか今日は元気ないなあ」とか言っている場合じゃないなあ、たとえちょっと元気なかったとしても、少なくともこの瞬間にはそんなこと思っていないだろうなあ、なんてことを想像する。

そんなことを考えながらようすを見ていると、窓掃除のおじさんは、用具を片手に、命綱を伝ってシュルシュルとおりながら、上の階から手際よく仕事をすすめてゆく。慣れているとはいえ、身ひとつでゆらゆら揺れながらあの高さ。一歩間違えば大変なことになる。

ああ、ますます「今日は元気ないなあ」とか考えている場合じゃない。

そんなことを思いながら、わたしはそのおじさんを眺めている。

* * *

それ以外にも道を見ていると、忙しく往来する宅配便のお兄さんや、足早に通り過ぎてゆくスーツ姿のビジネスマン、スマホ片手に信号待ちをしているお姉さんなどなど、いろいろなひとが行き交っているものだ。

そのひとの「過去」も「未来」も、もっと小さく言えば今日の朝ごはんも今日の昼ごはんも知らないけれど、わたしはそっとそんなことを含めて、その人の状況を勝手に妄想してみたりする。

早足で歩くオフィスカジュアルの女性をみながら、「あーギリギリになっちゃった、間に合うかなあ」ということばを思い浮かべたり、仕事の作業着姿で通り過ぎていった2人組の男性を見て「いやーでもあの現場はちょっと厳しいっすよねえ」「まあねえ」なんて会話を思い浮かべたり。

書いてみたら、けっこうあやしい。

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けれど自分の気持ちを切り替えてみたいとき、自分のこころと自分の脳をいったん切り離すために、どこかの誰かに意識を飛ばしてみるというのは、意外と悪くない……と思うのだけど、どうだろう。

そうやって街ゆくいろいろな人の日常を想像してみて、そのひとの気持ちを妄想してみたりすると、“自分が、自分が”となっていた気持ちがちょっと薄れて、フラットな状態にもどれる感覚がある。

まったく関係ない誰かに、意識をそっと飛ばしてみる。

ああなんだかなあ、って日には意外と、おすすめかもしれません。

自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。