気負わず、平常運転でまいりましょう
“1月7日、ついに待ちに待った平日! 気合いいれていくぞー”。
年末年始は義実家にどっぷりとお世話になってオフラインを存分に満喫したから、きりよく月曜日からは仕事しよう、あれもやろう、これもやろうと、頭の中にはやりたいことがダバダバとあふれてむずむずしていた。
そんなわたしの思いを知ってか知らずか、1月7日の朝、娘はまた熱を出す。
その瞬間、わたしの意気込みや予定なんてものは簡単に崩れさる。
ぱりん、ガラガラ、どっしゃーん。
はああ、と行き場のないため息をつきながら、でも同時に、「そうだよなあ」なんて妙に納得する。
ああ、そうだよね、そうだった。自分の思い通りにはいかない毎日を、なんとか周りと連携してのりきってゆく。これぞ平常運転であるよと。
新年早々、たいせつなことを忘れて空回りするところだった。
* * *
そんなわけで昨日も、突如舞い降りたファーストプライオリティのTODOは、娘の健康確保。
これまでの経験から、これから悪化しそうな咳であるという勘がはたらき、早めにかかりつけ医を受診しておくことにする。
年末にもたいへんお世話になった小児科に、年始早々、娘を抱えてえんやこら。諸事情あって遠くのかかりつけ医まで、バスと電車をのりついでゆく(これはペーパードライバーの自分が悪いだけ)。
いつにもまして抱っこを求める娘をどっこいしょとかつぎ、腰がくだけそうになりながら、駅から病院への道を歩く。娘、重たくなったなあ、いつまで抱っこできるかなあ、なんてぼんやり思いながら。
* * *
病院で、顔なじみの看護師さんに名前を呼んでもらう娘。
それを見て、ああたしかにここも、わたしたち家族の日常の一片であるなあ、とまた思う。
予定が崩れた。自分のやりたいことが進まなかった。なんだか出鼻をくじかれた。それはたしかに事実としてそうで、それによってもやもやしてしまったりすることもないとはいえないんだけど。
ああ、でも平常運転、大事だなあ、なんてことを待合室で考えていた。
これまで生きてきて、自分には、気づかないうちに調子に乗ってうわすべってすってーん!みたいな傾向があるのも承知しているから、また同じ感じになっていたかもしれないな、とか。
周りが新年モードで、なんだか何かを語らなければならないような気がして焦りを感じていたけれど、こういう行き場のない感情も含めて、わたしたちの日常だったな、とか。
思い出したというか、娘が身をもって教えてくれたんだな。「おいおい母ちゃん、日常ってこういうもんよ」ってことをさ。
肩の力をぬいて、ごはんはしっかり食べて、ちゃんと睡眠をとって。
平常運転でまいりましょう。
自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。