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むすめ2歳の入院日記(2)手術前日

8/27(火)大雨

ひとり自宅で過ごす夜なんて、1月にあった娘の検査入院以来だ。落ち着かず、夜中何度も目が覚める。眠りやすいはずの環境なのに、気持ちがそわそわしてなんだかちょっと睡眠不足。

夫に聞いたところによると、娘は朝採血。また、昨日の心エコーで、肺静脈が細いように見えるとの所見があり、11時からCTを撮ることになったとのこと。特に処置の必要がありそうなものではないと思うが念のため、とのこと。ああ、昨日に続き、今日も眠り薬になってしまうのだな。

外はとにかく大雨。

わたしは午前中に自宅で少し仕事をし、11時前ごろ、小ぶりのスーツケースをもってバス停へ。雨で道が混んでいるのか、いつもは20分ほどで着く主要駅まで40分ほどかかる。

そこから電車二駅、さらに別のバスに乗りついでゆく。こども病院は陸の孤島のような場所にあり、なかなか着かない。大雨で交通も乱れて、なおさらだ。11時前ごろに自宅を出て、着いたのは13時前ごろ。ふだんは車で40分ほどの道のりも、雨×公共交通機関で片道2時間の道のりとなった。同じ市内だというのに。

到着した旨のメッセージを夫に打ち、まずはこれからの長丁場に備え、病院の食堂でビーフカレーを流し込む。食べ終えてスマホを見たら5分もたっていない。カレーは飲み物ってほんとうだ。と、そんなことを思ううちはまだ心に余裕があるから大丈夫と、どこか他人ごとのように心の内でつぶやく。

病室へあがると、娘はCT検査のための眠り薬がまだ効いていて眠っていた。あとで夫に聞いたところによると、昨日と同じく、お尻から入れる眠り薬が刺激になって排便してしまい、薬が効かず、結局眠れないままCT検査へ移動して、点滴から眠り薬を入れるかたちをとったとのこと。結果的により深く眠ってしまうことになったようだ。

娘の左手は点滴がとられていて、動き回ってもはずれないように板に固定され、ぐるぐるにテーピングされて、布状のカバーでおおわれている。たとえるなら「ドラえもんの手」のような感じ。こうなると手が自由に使えないのでストレスがたまる。

残る右手も、CT検査の後だったので血圧などをチェックする器具が指につけられていた。どちらも、前回までの入院でも見ていた光景ではあるので、衝撃はさほど大きくない。一番最初に「ドラえもんの手」のまま数日間過ごす、という体験をしたときは、大好きなブロックでも思うように遊べずかわいそうだなあ、と思ってしまうのが素直な心情だったのだ、やっぱり。今は、数日間の辛抱だからがんばってね、お母さんが左手の代わりするね、という気持ちになっている。親のわたしは、娘に育てられてばかりだ。

わたしが到着してすぐ、気配や声を感じたのか、娘がぼうっとした表情で目を覚ました。「おはよう。娘ちゃん、検査がんばったね」と声をかける。まだ眠り薬の影響か、うつらうつら。横に寝そべって絵本を読んでいると、また目を閉じたりしてうとうとしていた。ほどなくして、義父も到着。娘はまだふらふらとしているものの、時間をかけて少しずつ、少しずつ意識がはっきりしてきたようだ。

運ばれてきていた昼食が机に置かれたままになっていたので、「娘ちゃん、ごはん、食べてみる?」と聞くと、「いや。いらない」という。まだふらふらして気持ちが悪いのかもしれない。それに検査明けは、水分から少しずつ、が原則。ひとまず家から持ってきた塗り絵ブックを見せたら興味を持ったので、夫、義父、わたしで娘を囲み、なんとなく遊んで過ごす。

14時になり、夫と義父はいったん、隣接するドナルド・マクドナルド・ハウス(前回参照)のチェックインへ。ちょうどそのころに娘も「おちゃ、のむ」といって、水分から口にしはじめた。午前中のおやつに支給され、飲む時間がなかったと思われるヤクルト(むすめは初体験)も、最初はおそるおそる口にしたが、「すき」といってごくごく飲んだ。

そのうちにようやく食欲が戻ってきたらしく「ごはん、たべる」と言うので、わたしのひざに乗せて昼食。

ちなみに、食事や飲み物は食べたり飲んだりした量を把握するため、すべて飲食の前後ではかりに載せて、実際に体内に入った重量を計量し、専用の用紙に記録することになっている。また食事の流れで書くのもあれだが、他にも、オムツも用を足したあとに専用の部屋に持っていって重さを計り、尿や便の重さを計算して記録することになっている。

途中で看護師さんの訪問があったので、右手の器具はまだ必要なのかを聞いてみる。「たぶん外せると思うので確認してみますね」と言われ、数分後に、外してもらえた。お昼ご飯にまったく手が出せず、ちょっといらいらしていたと思うので、片手だけでも自由に使えるようになってよかった。ブロッコリーを手づかみして口にあてて、くちびるにあてて感触を楽しんでいた。

結局お昼ご飯は8割ほど食べることができた。お茶はたくさんおかわりして飲んでいた。

食事後の計量をして、表に記録をしようとしていたら、扉が開き、手術室の看護師さんが説明に来てくれる。翌日、つまり「手術当日の流れ」について簡単に説明を聞く。麻酔については、麻酔科の先生から詳しく説明があるとのこと。

娘は慣れたひとたちの前だとよくしゃべるが、初めての人が来ると緊張して黙る。手術室の看護師さんが入ってきたときも、うつむいて静かになっていたが、その看護師さんはフレンドリーなひとで、説明が終わったあとも娘の普段のようすを知ろうという意味もあってか、声をかけてしばらく遊んでくれていた。最後のほうは娘も心をひらいてきて、かなり積極的に言葉を発していた。

そうして遊んでいるところに、麻酔科の医師が訪問。するとまた”新しい人の登場”で黙る娘。手術室の看護師さんとわたしが顔を見合わせて苦笑する。

麻酔科の医師も女性。ふわふわと、ゆっくりやわらかくしゃべることを意識しているのかな、という印象の先生だった。看護師さんも医師も、笑顔や、やわらかい話し方でわたしたちにやさしく接してくれるけれど、その背景には医療的な専門知識があってプロフェッショナルで……と考えると、ほんとうに頭が下がる。専門知識をつきつめてゆく研究者や職人とも違って、現代の医療従事者はこうやって、患者やその家族への説明など、会社でいえば営業やカスタマーサポートのところまでをプロが一括で横断的に担当するのがどう考えてもすごいなあと思うし、尊敬している。

その麻酔科医師が、手術当日の麻酔について説明してくれる。使用する薬剤や方法、合併症のリスクなどなどなど。

途中で夫と義父も部屋に戻ってきたので、一緒に説明を聞いてもらう。夫が到着したとき、何も言わなくともめんどうくさがらずにある程度巻き戻って、説明を繰り返してくれたのは親切でありがたいなと思った。同意書へのサインを求められ、夫がサイン。

ちなみに手術室へ運ばれるときは、病室から手術室へ行く道のりはわたしたちもいっしょに行けるが、手術室前の入り口でバイバイとなる。そのタイミングで、恐怖で泣いてしまったりすることが予想される場合は、あらかじめその前に、お尻からちょっとぼうっとする薬を入れておくことが選択できるという。「どうしますか」と言われて、ほんのすこしだけ考えて「おねがいします」と言った。

薬を多用することに抵抗がないわけじゃないけれど、こういうときは、娘の恐怖を和らげることを優先したいと思った。初めてのひとや場所では、まず静かに緊張してしまう娘のことだから、いきなり父母と離され、見知らぬマスクのひとたちにぞろりと囲まれたら、パニックになってしまうかもしれない。もちろん何度も手術についての話はしてきているけれど、おとなのように詳細な心構えはできていないはずだから。なに、こわい、いやだ!ぎゃああ!!で見送るのはあまりに双方ともにつらい。

それなら薬を用いてでも、うとうとしてくれていたほうがいい。専門家が安全な範囲でコントロールしてくれるというのを全面的に信頼するしか、いまのわたしたちにはできないのだから、その前提のもとで、娘にとっての最善を選ぶしかない。ちなみに、人見知りがはじまってくるくらいの子から、この薬を使うケースはよくあるそう。

おやつに牛乳とマフィンが届く。

牛乳大好きな娘、「ぎゅうにゅー、のむ」とうれしそう。マフィンも手づかみで、ぼろぼろこぼしながらむさぼり食べる。おうおう、食欲戻ってきたね。家じゃヤクルトもマフィンも食べてなかったけど、病院にきたらおいしいものたくさんあって、よかったね。

しばらく、入院のために購入した真新しいお絵かきボードにお絵かきをしたりして遊ぶ。これ、ほんと買っておいてよかったなあ。

安全上の理由から部屋での入浴は17時30分までと決まっているそうで、夕方にはシャワーをする。沐浴室もあるが、我が家は部屋に備え付けのシャワーを利用。手術前のため、シャワー前に看護師さんを呼び、おへその掃除をしてもらう。もちろん嫌がる。その後、なかなかシャワーしたがらない娘を、プラスチックコップで遊ぼうと誘ってシャワー成功。

入浴後、足に油性ペンで名前を書いておいてくださいと言われていたので、書く(手術開始前に名前を確認するため)。ついでにニコちゃんマークも書いた。娘が動くもんだから、目の部分がにじんでちょっといびつな笑顔になっちゃった。足に何か書かれていやがられるかと思ったが、まんざらでもないようす。あとで自分の足を見て「あ」と指さしていた。

もういいかげん病室内の景色には飽き飽きしていて、外へ出たがる。廊下を散歩して、おもちゃなどがおいてあるプレイルームに初めて入る。他にも3組ほどの親子が遊んでいた。18時以降のどこかで、手術医からくわしく手術の説明があると聞いていたので、15分ほどだけ遊び、18時に部屋にもどる。

”もうここ飽きた!”とばかりに、なかなか部屋に入りたがらない娘。

部屋前の廊下でうろうろしていたら、娘の夕食が運ばれてきた。食につられてようやく中へ。

夕飯は完食。よかった。手術前日のため、食事は今日の24時まで。水分は水、お茶、ポカリかアクエリ、果肉の入っていないりんごジュースに限り、明日の朝7時までOK、という制限があるのを説明されていたので、夕食を完食してくれてホッとする。朝ごはんはないからね。

わたしが部屋で娘にごはんをあげている間に、夫と義父が下に降り、売店でお弁当を買ってきてくれる。おとなたちも部屋でそれぞれ夕食。

夕食を食べ終え、また廊下に出たり入ったり、なんだか元気に活動する娘に付き合っていたら、看護師さんが「そろそろ先生が来るので」と呼びに来た。いつものように病室で説明されるのかと思っていたら、術前説明は別室でやるらしい。その間、娘は、看護師さんが預かってくれていた。離れるとき、「後で戻ってくるからね」と言っただけなのに、泣いたりせず、看護師さんに引っ張られていった。いつのまにそんなに聞き分けがよくなったのだろうか。

面会室のような個室で、手術室の医師から説明を受ける。

これまでの外来では内科の医師に説明を受けていて、今回はそれを、実際に手術を担当する外科の医師が説明してくれた。そもそもどういう病気で、なぜ今回手術をするのかという出だしのところから、とてもていねいに説明をしてくれる。基本的にはこれまで聞いてきた話も多かったけれど、今まででいちばんていねいに説明をしてもらい、より理解が深まった。ありがたい。この先生のことを信じたい、と思える。

そしてくわしい手術の手順。心房に開いている穴の大きさや、それをどう閉じるのかという話。ちなみに娘の場合は、心エコーで見るかぎり1.5cm径の穴があり、大きめ。ただ、もし楕円のような細長いかたちなら、そのまま直接縫い閉じる方法をとることもあるし、正円のようなかたちなら、心膜(心臓を覆っている膜)を一部切り取って、それを「あて布」のようなかたちであてて縫うことになるそう。これは直接、開胸してみないとわからないとのこと。そこまでは内科で聞いていた話とほぼ同じ。

わたしにとって初めての情報としては、胸骨という、心臓の前にある骨を、医療用ののこぎりで真っ二つに切る、ということがあった。たしかに骨があったらよく見えないし、作業もしづらい。言われればそうかなるほどと理解できるのだが、初めて「胸をひらいたら、胸骨という骨があるので、次にこれを医療用ののこぎりで切ります」という文がたんたんとした口調で耳から入ってきたときには、どきりとした。

一連の術法についての説明が終わったあと、思わず質問する。骨を切るって横に切るのか縦に切るのか、そのあと骨も縫い合わせるって言ってたけど、骨って固くて縫えるイメージがなかったので、いったいどういうことなのか。

まず切る方向は、縦半分。手術中はそれを器具で開いて、半分にきったすき間から心臓をのぞいて作業することになる。手術の終了時には骨を戻し、4箇所ほど縫い合わせるそうだ。「骨って糸で縫えるイメージがないんですけど、ホッチキスみたいな金属ということですか?」と聞いてみたら、針といっても太いものなので、2歳くらいなら糸で縫えるとのこと。成人になってくると固いので、金属のワイヤーを使うと言っていた。衝撃。骨が縫えるなんて。ただその糸は溶ける糸ではないので、基本的には一生残るものだという。骨自体は、しばらくすると自然とくっつくと聞き、少しだけほっとする。少しだけ。

人工心肺については以前も内科で説明を受けていたが、あらためて詳細に説明をしてもらう。「人工心肺」ってフレーズとしてはなんとなく聞いたことがあるひとも多いと思うけれど、一般人で実際それがどういうものか説明できるひとは、関わったことのないひとにはほとんどいないのじゃないだろうか。かくいうわたしだって30年以上生きてきて、娘が関わるまではそうだった。

心臓の手術をするためには、心臓をからっぽにしなければならない。だから心臓をいったんとめて、機械を使って血液を循環させるのだ。全身から心臓へ戻ってくる血液を、心臓ではなく人工心肺へ送り、本来なら肺で与えられる酸素を、機械を通して与えて、フレッシュな血をまた動脈血として全身へ送る。つまり、いつも「心臓」と「肺」がやっていることを代替する機械だから、「人工心肺」という。ちなみにこれは素人が聞いた情報から残している覚書なので、正式な情報が知りたい方は「人工心肺」で検索してみることをおすすめする。とても大きくて、いかめしい機械だ。

事前に聞いてはいたし、理解もしていたけれど、初めて外来で「いったん心臓をとめて、」と聞いたときはやっぱり、とてもどきりとした。たしかにどくどくと血液を送りつづける心臓にそのままメスをいれればどうなるかを想像すれば、手術するには心臓から血液を抜かなければならないというのは当然といえば当然なのだけれど。そうか、いったん心臓、とめるんだ。

心房中隔欠損はよくある病気で、めずらしい病気ではない。心臓病の中では、比較的簡単なほうの手術だと言われている。多くの実例がある。そういう情報を何度も脳内で反芻して、だいじょうぶだ、だいじょうぶだ、だいじょうぶだと自分の脳を納得させないと「いったん娘の心臓をとめる」というフレーズをとても処理できない。そうして今日まで納得させてきた脳だけれど、手術前日に改めて説明を受けながら、やっぱりどきどきとしていた。でももう、託すしかない。

最後にまた、ありとあらゆるリスクについての説明を受ける。医師は、とてもていねいに、誠実に説明してくれたと思う。

こういう合併症が起こる可能性があります。そのためにこういった対策をとっています。だから可能性は低いです。けれど0とは言えないので、説明させてもらっています。そうだ。もちろんわかる。そりゃあそうだろう。リスクについて事前に知るのは権利だし義務だと思う。だから説明してほしいし、わたしたちも聞かねばならない。

もちろん、命を失う可能性だってゼロではない。命があっても、一生ケアが必要な合併症を負う可能性だってゼロではない。もしかしたら、彼女のこれからの人生を180度違うものにしてしまう可能性は、ゼロではない。ある。

100%なんてどこにもない。もちろん、普通に生活をしていたって、そうだ。

けれどそれを、子どもが「自分で選択する」のではなくて、親のわたしたちが、選択するというのは、親としてかなりの覚悟だ。もちろん、いま苦しんでいるとか、緊急事態というなら迷う猶予などない。でも今回のように、「今は自覚的な症状もなく見た目にはじゅうぶんに元気で、にこにこしているけれど、将来にわたって長く元気でいるために、手術をしてリスクを負う」というのはまた、自分に何度も問いかけることになる。

もし、何かあったら、どうなってしまうのか。自分の感情も、子の一生も。子はわたしを許してくれるのか。恨みの対象になっても、おかしくはあるまい。

いま現在、何の不自由もなく元気でにこにこしている娘を見ていると、ほんとうにそんな思いにかられることがある。それでもわたしたちは、選んだ。

このまま穴を放置すると、大人になってからいろいろな病気のリスクが高まる。ならば心臓の元気なうちに、穴を閉じておく。この病気は再発したりする性質のものではなく、一度閉じれば、もうふつうの元気な心臓と同じようになり、とくにその後の生活に制限はなく、走ったりすることも普通にできるようになると聞いている。

元気な未来をプレゼントしたくて、わたしたちはいま手術をするという選択をした。それでよかったと、もちろん言える結果を期待している。無事に成功してほしい。でもあとは、プロに委ねるしかない。祈るしかない。

もう心は決まっていたので、迷わず同意書にサインをした。

医師からの説明が終わり、ナースステーションに娘を迎えにゆくと。看護師さんに抱かれた娘は寝てしまっていた。もうこのまま寝ててもいいか、と思いながら抱っこで受けとる。でも眠りが浅かったのか、起きた。

いったん病室へ帰って、夫と義父がドナルドハウスへ移動するのを見送りに、娘も連れて、みなで廊下を歩いてゆく。デイルームでバーバパパとアンパンマンの絵本を借りて、病室へもどる。

添い寝しながら娘に絵本を読む。目をこすりはじめた娘をみて、電気を暗くして、となりのトトロを歌っていたら、じきに寝た。のそのそとベッドを降り、安全用のベッド柵を一番上まであげる。

病棟を出て、自販機へ。PICUに預ける用の麦茶と、明日の朝食代わりの術前飲料として、果肉の入っていないりんごジュース(なっちゃん果汁20%)を買った。

病室へもどり、暗闇の中、シャワールームの前に椅子を持っていって、その明かりを頼りにひとり日記を書く。

忘れないうちに書かないと、通り過ぎてゆく感情が多すぎて、大きすぎて、消化不良になる。文字にしてゆくことで、わたしは気持ちを保つことができる。

(つづく)

自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。