もやもやするのもわるくない
最近、気持ち的にちょっと打ちのめされたような感覚を味わう機会があって、さあどうしたもんか、と自分の身のふりみたいなものをうじうじ考えている。
ちなみに、だれかになにか嫌なことを言われたわけじゃない。むしろその逆で、ものすごくシンプルにいえば「すごいひとたち」に囲まれて、その前からわかっちゃいたけど、自分の「何もできていない感」をいやというほど思い知ったというだけの話である。
でもそれが「落ち込んでいる」とはちょっと違う感情だと感じる(ややこしいわ)のが、自分でもちょっとおもしろいというか、じっくり捉えておきたいところだ。
どっちかというと、違和感、異質感というほうが近いのだと思う。
キラキラした宝石みたいな石が色とりどりに並び、また一方ではたくましく個性的な鉱石が数々並び、どちらもそれぞれに存在感を放っているなかで、じぶんだけがぽつんと、木片としてそこにころがっているような感じ。
あれー、なんか、そもそも、ちがうのかも。
まず自分が輝けていないのは確かなのだけれど、じゃあこれから宝石や鉱石を目指したいか、といわれると、それともちがうこの感情。さあどこに向かおうかなと、ぐるぐるさまよっている。
そんな違和感、異質感みたいなものを夫にぽつりぽつり話して、じゃあわたしはどうしたいのさともんもん考えていたら、なんとなく向かいたい方向がぼわっと、頭に浮かんできた。
もしその状態が実現できたら、いままで自分のなかにくすぶっていた過去のいろいろな経験も、すべてがつながって、自分にとってのたのしい暮らしが現実になるかもしれない。
まずはいろんな下調べからはじめなければいけない、ちょっとロングスパンの話だけれど、その方向へ、ちょっと向かってみよう。
宝石や鉱石を見るとかっこよくて、ついつい自分と比べてあこがれてしまうのだけれど、そもそもたぶん、わたしは木片だから。
たぶん居心地のいい環境もちがうし、加工方法だってちがう。
それに気づくことができたから、たまには打ちのめされるのもわるくない。
自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。