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みかん農家になった友人のこと

サラリーマンを辞め、突如みかん農家になった20代の友人から、「初めてのみかん」が届いた。

家族3人でダンボール箱を囲んでいそいそとあけてみると、箱いっぱいのみかんがずらりとあらわれた。

みかん好きの1歳娘は思わず、その上におおいかぶさる。次々とみかんを取り出し、横にいる夫に手渡してゆく。「うれしいねえ。ごはん終わったら食べようね」。そう声をかけると、ちっちゃな手を口に運んでパクパクと食べるまねをし、にこぉ、とあふれんばかりの笑顔を見せた。

「今年のみかんは初めてだから、あまり期待しないでください」

事前のメッセージで友人はそんなふうに言っていたけれど。食後、みなでいただいたみかんは甘くて、驚くほどに甘くて、とてもおいしかった。

土地柄、ふだん食べているのが熊本や福岡のみかんなので、ひさびさに食べた愛媛のみかんは味わいが違って新鮮でもあった。前者は甘酸っぱいおいしさで、それも大好きなのだけれど、いただいたみかんは純粋にびっくりするほど甘くて、なんだろう、他のフルーツのような、巨峰のような、ゴージャスな甘さが詰まっているような感じ。

そっかあ。これを、彼らが育てたんだなあ……。

東京時代、進路に悩んでいたときの顔を思い出しながら、なんだか勝手に、ひとりとても感慨深い気持ちになった(年下なので、勝手に親戚のおばちゃん目線になってしまうのをお許しいただきたい)。

* * *

そもそもわたしがその友人と出会ったのは、フィジー留学をしていたときだ。

当時わたしは、3年ほど勤めた会社を辞め、思うところがあって海外暮らしがしてみたいとフィジーへ。彼は当時まだ大学生で、有名大学を休学してフィジーに短期留学に来ていた。

当時から変わった子だなあと思っていたけれど、なんというか、わが道をゆくその感じは見ていてすがすがしくて、嫌いになれないタイプでもあった。

後々になって振り返ってみれば、どちらも既存の日本のビジネス社会に適合しづらいという意味では、きっと似たところがあったのかもしれない。

* * *

大学卒業後の彼は会社員で営業をしたり、疲れ果てて会社を辞めてまた世界を旅したり、フリーター期間を経て、塾に就職して高校生の進路指導担当になったりしていた。

当時わたしはシェアハウス暮らしをしていて、ちょっとしたワークショップをやったり、周りにいろいろな生き方をしている人たちがいたりしたので、それもあって彼はたまにふらーっと訪ねてきてくれたりした。

フリーター時代、ひさしぶりに会ったら「今度、忍者の修行に行こうと思うんだよね」と言っていたときは、どこへ向かうんだろう……と思ったけれど、まあきっと、いろいろ見たうえできっと彼は好きな道を見つけてゆくのだろうなあ、なんておもしろく見守っていた。

その後わたしも関東から引っ越して、結婚だ出産だとバタバタしていて、しばらく特に連絡をとることもなく疎遠になっていた。

そんな彼が、みかん農家になったと知ったのは去年のこと。

農家になるぞと2017年の3月にサラリーマンを辞めて、奥さんと一緒に愛媛の宇和島市に引っ越し、みかん農家の見習いをはじめたそうだ(ここでついていける奥さんの存在はとても大きいと思う。素敵だ)。

その理由については、彼がとてもおもしろく読めるブログを書いているので詳しくはぜひそちらにゆずりたい(彼の文章好きなので、noteも書いてほしいなあ、なんてひそかにずっと思っている)。

農家になろう!と決断するまでいろいろと背景はあれど、決め手となった「自分自身で経営ができる」「食べ物を生産し、販売するという、シンプルなビジネスである」という2軸を読んで、とても彼らしいなと思った。

いろんなことに疲れ果てて人生を模索していた時期、だれかの下にいるの向いてないよね、絶対自分でやったほうがいいよとおせっかいに言い、彼は彼でやっぱそうだよねと笑っていたけれど、その後も再びサラリーマンを経て、ついにストン、と自分が納得できるところに向かっているんだな。

そんな気がして、またおばちゃん目線で勝手にうれしくなってしまった。

* * *

「今年のみかんは初めてだから、あまり期待しないでください」

そう書いたあとに、「年々よくなる味をお楽しみください。笑」とつづいていた。

着実に、未来へ向かっていく意志のこもったそのフレーズを、とても頼もしいと思う。

娘がもう少し大きくなったら、愛媛まで家族みんなでみかん狩りの旅に行きたい。

太陽のもと、みかん畑の中で、彼ら家族がどんな表情をしているのか、とても楽しみだ。

(おわり)


▼関連note:夫がみかん好きの称号を1歳の娘にゆずった話。


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