商売上手な美容師さん
日々消費者としてふつうに生活をしていると、ときたま「くはぁ、この商売上手ぅ!」とむしろ気持ちよく敗北するような快感に遭遇する。
先日、近所の美容院がリニューアルしてはじめて髪を切りに行った。
店に入って第一印象、ああ変わったな、と感じる。
内装はそれほど大きく変わったわけではないのだが、スタッフが総入れ替えになり、醸す雰囲気がガラリと変わったのだ。
ひとことで言うなら、以前よりも、若い。
前はメインの美容師さんが同世代の男性で、全体的に落ち着いている印象だったのが、今回訪れたときは女性2人のみ。年齢も自分よりちょっと若い感じだ。
見た目もそうだが、なにより他のお客さんと話している感じが、圧倒的に若いのだ。スクリーン上で表すなら「えーー、やばいーーww」みたいな、そんな感じのテンションである。独断と偏見であることを大前提として表現させていただくなら、“キャピキャピきらきら元気系”女子スタッフさんである。10代20代向けの洋服のショップスタッフさんにいそうな感じだ。
うう、まぶしい。まぶしいよう。
地味系もっさりな自分は、美容室という場にいるだけでも申し訳なくなってしまう性質なので、キャピキャピ全開さんがスタッフだと、さらに居場所がなくなってくる。
ああ、お洒落さんでもないわたしがいっちょまえに美容室に髪切りにきちゃってすいません。そんな感覚、共感してくれる女性も20人に1人くらいはいるんじゃないだろうか。いやいや誰もお前のことなんて気にしちゃいない、ともわかっているのだが、どうにもその感覚は、10代の頃から水面下にびたーーっとはびこっている。
だからこの時点で、私のこの店に対する印象は、「うーん」であった。
近所で行きやすい立地だったけど、キャピキャピ全開系女子がスタッフさんではなんとも落ち着かないし、再来店はないかなぁ。これを機に新しい美容院を開拓するか。
そんなことをぼんやり考えながら順番を待っていた。
* * *
ところでその日、わたしは、結構待たされた。
まあ予約したのが直前だったので、しかたがないところもあるのだろう。そう思って待っていたが、なかなか順番が回ってこない。
次の予定の時刻が決まっていたので、それまでに余裕を持ってカットを終えられるように予約していたんだけどなぁ。だんだん、間に合うのか不安になってくる。
しかたがない、もし間に合わなそうなら日を改めて来店しよう。
そう決心して「17時半までに出たいのですが、間に合いますか?」と努めてフラットに聞いてみる。もし間に合わなそうなら日を改めて来るので、と明るめに付け加えて。
答えは大丈夫ですというので、ならばと信じてもう少し待ってみる。
“うーん。大丈夫かなぁ。間に合うにしても、時間を気にするあまり、雑なカットになったりするなら嫌だなぁ”
正直なところ、心のうちにそんな気持ちを抱えて待っていた。
* * *
そんななか、ついに「お待たせしました!」の声。
鏡の前に座ってカットの方針を決めたあと、シャンプー台に移動する。シャンプーを担当してくれるのは、件のキャピキャピさんだ。
促されて椅子に座る。
しかし椅子を倒す前、彼女は普段のキャピキャピ元気な声のトーンとは打って変わって、ひゅっと声をひそめ、耳元でささやいたのだ。
“お待たせしてしまったので、トリートメントサービスしておきますね”
もちろん、わたしにだけ聞こえるように、ヒソヒソっと。
え、いいんですか? 驚いてそうつぶやき返すわたしに、にっこりと微笑んで、ささやき声のまま、耳元でつづける。
“どこか気になるところはありますか?”
いやぁ、くせ毛なので広がりやすくて、とこちらも声をひそめて返すと、“じゃあ、毛先中心にやっておきますね” と言う。
そして最後に、絶妙な笑顔とともにこう付け加えた。
“ナイショでお願いします!(にっこり)”
* * *
もうこのやりとりで、わたしの彼女に対する株は急上昇である。
見たところ、別に上から指示をされていた様子もなく、彼女の独断で即座にトリートメントのサービスをしてくれたようだった。そんな彼女の判断も、背景としてアシスタントの彼女にその権限を与えてくれているその店の判断も、やるじゃないかと思ってしまう(何様)。
シャンプー台に載せられて、ウィーンと倒され、シャンプーされているあいだじゅう、わたしは単純な自分の心のわかりやすい変化を楽しんでいた。
ついさっきまで、予約したのにずいぶん待たされるなぁとか、待たされたうえに雑なカットをされるのじゃないかとか全体的にネガティブに染まっていた気持ちは、ほんの数秒の会話で「あら嬉しい!」というポジティブな気持ちに変わってしまった。
やるなぁ、やるなぁ。商売上手だなぁ。
まさにこれが、冒頭に言っていた「くはぁ!」という快感である。
「ピンチはチャンス」とよく言うとおり、トラブルやクレームなど何かよくないことがあったときこそ、お客をファンにするチャンスだと、彼女はよく知っている。さらにはギャップで魅せることをよくわかっている。さぞモテるだろう。
そうしてファンになってしまったら、リピーターになる。目先の利益よりも、長期顧客獲得のためのサービス提供。
そんなふうにわざわざ、頭のなかで難しいことばに転換してもっともらしいことを言っているような自分はちゃんちゃらおかしい。そう思えるくらい、目の前のキャピキャピ女子は本能的にそれを知っているように思える。
彼女の、流れるように自然な行動や、それによっておもしろいくらい操られた自分の心理。わかっちゃいるけど気持ちよくのせられちゃう、という気持ちのよい敗北感。
くはぁ〜、やられた、である。
* * *
そんな気持ちのよい敗北感をまといながら帰路についた……のは、実は数ヶ月前の話。
そろそろまた、髪が切りたいなぁと思ってふと、このときのことを思い出したのだった。
“再来店はないかなぁ”。一度はそんなふうに思っていたはずのその美容院へ、わたしは迷わず予約をするのだろう。
商売上手なキャピキャピさんに、また教えを請いにいきたい。
自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。