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“Just leave it !!” の考え方で、生きるのはたぶんラクになる 【1/4】【ワーホリ、その後 #006】

“ワーホリ”とひとくちに言っても、その内容は千差万別。ワーホリって実際どんなことができる? その後は、どんな人生を送っている? そんな疑問に答えるべく、ワーホリを機に「その後自分らしく人生を楽しんでいる」ひとをたずね、話を聞いていく『ワーホリ、その後』。今回は、ワーホリ中に出会ったオーストラリア人と結婚して現地で暮らすことを選び、いまは子育てや家づくりなど、暮らしを楽しむユカさんに話を聞いた。

※本記事は全4回連載の第1回です。

※この連載は、2015年9月のインタビューをベースに、2018年7月に行った追加インタビューの内容を添えてお届けします。

■PROFILE
ユカ(仮名):1986年生まれ。大学卒業後、東京都内の有名ITベンチャーで営業勤務。25歳でフィジーへ語学留学後、オーストラリアでワーキングホリデー。ファームステイ中に出会ったオーストラリア人と結婚し、オーストラリアの郊外で緑や牛に囲まれ暮らす。2018年現在は1児の母として育児にいそしむ傍ら、大工の夫と、自分たちの家づくりプロジェクトを進行中。


■ プロローグ(2015年)

高層ビルの立ち並ぶ大都市シドニーから、電車をごとごと乗り継いで、2時間ほど。

どこまでも広がる草原の中で、ゆったりと草をはむ赤牛たちが続々と見え始め、ああ、ようやくオーストラリアらしい風景になってきたと、ひとりにんまりする。

この地にも、会って話を聞きたい友人がいた。だから、日本から会いに来た。

実はその数ヵ月後、日本に一時帰国した彼女とも会う機会があり。もちろんそれも楽しかったのだけれど、インタビューをまとめながら改めて、あの日、彼女の暮らす家を訪れたときに聞けたような話は、その土地の、あの日常の空間の中でないと聞けなかっただろうな、としみじみ思う。

周囲の環境から無意識のうちに受ける思考への影響は、想像以上に大きい。

彼女と私が出会ったのは、フィジー留学中。

日本で名の知られた有名IT企業を辞め、フィジーへ飛び出した彼女は、その後ワーキングホリデーでオーストラリアへ。ファームステイ中に出会ったオーストラリア出身の彼と結婚し、今(2015年現在)は旦那さんの実家の隣に広々とした一軒家を借り、1児の母として子育て中だ。

ちなみに今、「子育てに奮闘中だ」と書こうとして、いや、そういう感じじゃないな、と思い表現を変えた。なんというか……、私が垣間見させてもらった彼女とそのファミリーの日常は、もっとリラックスしていて、日本の私たち世代がイメージする“大変な子育て”とはだいぶイメージが違ったから。

その理由は、彼女の話を聞いているうちになんとなくわかってくる、と思う。

この日も、息子くんとリビングで遊びながら、なんとなくインタビューを開始。途中、オムツを変えたりもしつつ。そんな日常の中で聞けた言葉たちは、自然体で飾りがなく、そして強い。


■ 疲弊した先がみえず、会社を辞めて海外へ

今でこそオーストラリアの地に根を降ろして暮らす彼女。だが、20代半ばまでは日本で普通に暮らしていたという。そこから海外へ行こうと思ったきっかけは何だったのだろう。

「よく覚えてはいないんだけど、とにかく昔から、海外に行きたいっていう強い憧れがあったんだよね。日本の“お家制度”や、“しがらみ文化”みたいなところに抵抗もあったのかもしれない。学生のころから海外旅行に行くうちに、ただ旅行するだけじゃなくて『住みたい』と思うようになって。それに気づいたのは大学の4年くらいだったかな」

卒業後、まずは社会でいろいろな経験をして成長したいと、有名なITベンチャー企業に就職し、バリバリの営業ウーマンとして働いた。数年後、会社を辞めようと思ったときに「とりあえず海外に行きたいと思った」と、淡々と振り返る。

海外での暮らしについて話を急ぎたいところだが、この記事を日本語で書いている以上、日本で会社勤めをしている若い世代の目にとまることもあると考えると、もう少し、日本で働いていた当時の話にも迫って聞いてみたい。

「当時は、忙しいところに身を置くことで人よりも経験して、その経験が自分に生きるかな、と思ってたんだけど。朝から終電まで働く毎日で、本当に体力的に余裕がなくて。ならば組織的に改善できないかと、同期と一緒に業務改善案を考えて提出したりもしたんだけど、結局は『今までのやり方のほうが楽だから』って改善されなかったりもして」

一方で、将来への漠然とした不安がむくむくと膨らみはじめた。

「女性の先輩がほとんどいない中で、この先どうなるんだろうっていうのが全然見えなくて。社内にも、社外にも、憧れるような女性は働いてなかった。なんかみんな、消耗してる、疲れきっている感じで。それもあって余計に、将来の不安を感じていたのかもしれない」

そんな日々の中で、辞めようと決定打になった出来事は何だったのだろう?

「あるとき、社内で限られた人だけが知っている重要案件を担当していたんだよね。でも当時、大流行していた新型インフルエンザにかかって、私も休まなきゃいけない状況になって。他の人が対応できない、という状況を自分でつくってしまっていたのが反省点ではあるんだけど。とにかく、インフルエンザで苦しみながらもリモートで家から仕事をせざるをえないということがあって。それを決定打に、ああ、もう辞めよう!って(笑)」


■ フィジー留学を経て、シドニーで広告営業

自分自身でも「疲れきっていた」という彼女は、まずはゆっくりしたいと、南の島フィジーで4ヵ月間の語学留学へ。

「でも、ホームステイ先ではかなり苦労して、トラブルも絶えなくて。のんびりしに行ったはずが、結果、すごい疲れた(笑)」。それでも、休みの日には離島に行ったりして、やっぱり癒しの時間もあったかな、と振り返る。

そして英語を習得したいという思いから、日本を出るときからフィジーの後にはオーストラリアにワーキングホリデーへ行くことを決めていたそうだ。ワーホリを行う国としてオーストラリアを選んだのも、オーストラリアなら2年目のビザを取得することが可能だから。

「英語習得って1年じゃできないんだろうなと思ってて。2年4ヵ月あれば、なんとかなるかもしれないって思ったんだよね」。

なかなか長期の決断だけれど、当時迷いとかはなかったんだろうか。

「そのときは、日本に戻ってくることはあまり考えていなかった。戻ってきて、再就職するのかなぁってなんとなくは思ってたけど、じゃあ具体的にどういう業種でどういうことをするかとかは全然、考えてなくて。英語力があがれば、もうちょっと高収入な仕事になるかな、ってその程度。甘く見てたと思う」

フィジーから日本へ一時帰国をしたものの、その2週間後にはオーストラリアへ。日本人に人気の街といわれるゴールドコーストに降り立ったが、あまりの日本人の多さに戸惑った。

そんな折、シドニーに拠点を置く日本人向けフリーペーパーの編集部で、広告営業のインターンシップの口があると聞く。「面接だけでも受けたい」とシドニーへ。安いシェアハウスを見つけて暮らし始めた。

「面接を受けて、当時は無給インターンの募集しかしていないと言われて。でもいい経験になるから、他にアルバイトでもしながらかけ持ちしようかなぁと思っていたら、インターン初日、なんとスタッフとして採用予定の人がドタキャン。で、私が採用されて、ラッキーって(笑)」

たいしたことない、すべて運任せだよ、とでもいうようにさらさらと語るけれど、行動する人のもとに運もついてくるのだ、きっと。

当時のライフスタイルはというと、オフィスから徒歩3分ほどのアパートに、さまざまな国籍の人たちとシェア暮らし。「私の部屋には私と韓国人とラオス人とインドネシア人。他の部屋にもモンゴルとかベトナムとか台湾とか、なんかアジア人の巣みたいなところだった」。

「アジア人といっても自分より英語がうまい子がいっぱいいたから、それはそれでよかったかも。仕事は朝9時から夕方5時までで、内容は、フリーペーパーの広告営業。外回りする場合は、自分の決められたエリアに行って、日本食レストランを中心にそのエリアの飲食店をひたすら調べて営業に行ったりとか」。

外国の都市で働きはじめ、新しいシェアメイトと暮らし、新しい「日常」を作ってゆく。

そんな半年を経て、彼女に転機が訪れた。

(つづく)


■次回は明日7/24(火)にアップ予定です。内容はこんな感じ↓

“Just leave it !!” の考え方で、生きるのはたぶんラクになる 【2/4】【ワーホリ、その後 #007
・タスマニアで、運命の出会い
・流れに任せていたら、この国で暮らしていた
・子育てとバランスをとりながら、日本とつながる仕事をつくりたい

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※『ワーホリ、その後』を始めた理由はこちら

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