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次の元号を生きるあなたへ

お母さんは、わりとぎりぎり昭和生まれです。

大学4年生になったとき、その年の入学生には平成生まれのひともいて、なんともいえない衝撃を受けたことを覚えています。同世代のはずなのに、何かがそこでぱっきりと分かれてしまったかのような感覚をもちました。

西暦で見れば地続きで、何かが変わっているわけでもないのに、変ですよね。ただ、血液型占いなどカテゴライズが好きな日本人にとって、元号はそんなふうに、アイデンティティのひとつとして根付いているものなのかなぁ、と一歩ひいてながめています。

おかしなもので、お母さん自身も昭和時代の記憶なんてほとんどないのに、「自分は昭和生まれ」という意識は強くあったりします。変ですよね。自分でもそう思うんだけれど。

あなたは、わりとぎりぎり平成生まれでしたね。

だからもしかしたら、お母さんとちょっと似たような境遇で、次の元号を生きていくのかもしれません。

そんなことを思いつつ、平成最後の夏にこれを書いています。

* * *

実はこの手紙は、「今のお母さん」と同世代になった、「30代のあなた」へ向けて書いています。

もしかしたら、「次の元号」に10代、20代を経験したあなたが、30代になってこれを読むころには、「次の次の元号」に変わるタイミングということもあるかもしれませんね。まあ、ややこしいですが。それならなおのこと、似たような境遇です。

というか、元号はいま世界で唯一日本だけで使われているらしいので、その制度自体がつづいているかもわからないですね。撤廃されたらされたで、変なカテゴライズ意識がなくなっていいかもしれません。

さて。

なぜ、「今のわたし」と同世代のあなたへ向けて手紙を書いているか。

大きな理由は、わたしがときどき、「自分と同世代だったときの親と、会話がしてみたいなぁ」と思ったりするからです。

一般的に、親はとかく、尊敬の対象にしろ、目の上のたんこぶにしろ、なかなか独特の存在として認識されがちです。

でもひとりの人間どうしとして同世代で出会ったなら、どんな会話をしたでしょう。

同世代だった親が、どんなことを考えていたのか。

わたしはそれにとても興味があるのですが、あなたのおばあちゃんへそれを聞いてみても「さあねぇ、どうだったかねぇ。もう、忘れちゃったわよ」と返ってきてしまいます。

だから、会話ができなくても、せめてどんなことを考えていたのか、そこへつながるヒントを置いておきたいなと思って、筆をとりました。

(↑いまキーボードでこう打ちながら、「筆をとる」という表現は、この先キーボードすらなくなって音声入力やその次の技術が主流の時代になっても、存在するのかな? なんてふと思いました。そんなことを考えるのが好きなのが、あなたの母親です。30年後、どうなっているかしら)

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もうすぐ1歳半を迎えるあなたは、とにかく食べることが大好きです。

最近は、お皿にたっぷりとよそった量でも絶対に満足できず、皿の残りが少なくなると鍋をさして「う、う!」と主張します。

まだお皿に少しあるでしょう、などと言ってすぐに鍋を持ってこないと、「うぎゃあああ!!」と言って頭をのけぞらせて、泣き叫びます。背もたれに頭を打ちそうで、危なくてひやひやします。

現時点で好きな食べ物は、かぼちゃ、みかん、にんじん。最近夏になって、ナスやとうもろこしも大好きだとわかりました。

なんでもペースト状の離乳食からスタートしたあなたが、輪切りにカットしたとうもろこしを自分の手で握り、前歯でかじりとっている姿を見るのはなかなか感慨深い。まだ不器用で微笑ましいけれど、とてもたのもしいです。

チキンと野菜のトマト煮込みも大好き。その食べっぷりたるや、まるで飲み物のようです。

こんなに小さい体のどこに、大人顔負けの量の食事が吸い込まれてゆくのか、お父さんとお母さんはふたりして、とてもふしぎがっています。食事のあとの抱っこは、いつもずしりと重たい。おなかもぽこんと出ています。かわいいです。

あ、夏といえば、スイカも好きですね。

そういえばあなたがお腹の中にいたころ、わたしはつわりがひどくて。とにかく気持ち悪くて何も食べられなかったその時期、唯一信じられないほど美味しかったのもスイカでした。そのときから好きだったのかな。

フォーク練習中のあなたは、サイコロ状に切ったスイカなら刺しやすいらしく、なかなか上手にちっくん、して食べています。歯が生えて間もないその小さな口から、しゃく、しゃく、しゃく、と西瓜を噛む音がするのは、なんとも愛らしいものです。

バナナだけは苦手で、頑なに食べません。

* * *

まだnoteというサービスは続いているでしょうか。

もし続いていて、この手紙を読むまで、もしまだそのページを見たことがなかったのなら、お母さんのアカウント“poconen”を探してみてください。

というか、インターネットというもの自体、今のような形ではないのかもしれませんね。お母さんが生まれたころには“ない前提”だったインターネットというものが、いまではインフラのように“ある前提”になっている社会を考えると、ここから30年後もまた、世の中は想像を越えて、大きく変わっているのだろうなと思います。

背景となる技術が変わったとしても、なんらかの手段で、わたしがnoteへ書きためてきたものが閲覧できるといいのですが。

noteには、あなたと同世代だったお母さんがその頃どんなことを考えていたのかがたくさん書いてあります。育児に関することももちろんあるし、仕事や、日常生活をどんなふうに見ていたのか、毎日の暮らしが垣間見えるものが多いと思います。

とりたてて役に立つような情報はないと思いますが、あなたの母がどんな人間なのか、30代のときにどんなことを考えていたのか、それだけは手にとるように伝わるのではないでしょうか。

あなたのおばあちゃんがもし、30代のときにこんないろいろな思考を書き溜めていたものがあったなら、わたしはとてもそれを読みたかった。

* * *

あとはね、もっとアナログに、紙のノートに記した育児日記のようなものもありますよ。これは、あなたが0歳だった1年間に主に書いていたもの。

尿や便の時刻や回数、ミルクや母乳の時刻や量を毎日、記録していました。あとはその日のようすや、思ったこと。新米母ちゃんとしての悩みも、喜びも、赤裸々につづっていたと思います。

毎日必死で、睡眠不足で疲れ切っていたから、ひどい文字で書いてあるところも多いかもしれません。夜中にあなたに授乳した後に暗闇で記入したり、腱鞘炎やら乳腺炎やらに苦しめられながら、その日のできごとを書いていたりもしましたから。

でも、そんな汚い字でつづったりしているノートですが、いつか大人になったらあなたに見せてあげたいなと思って、細々と記録を続けていました。

ぐちゃぐちゃの字から読み取れるリアルな葛藤も、そのまま伝わればいいやと開き直って。その必死さや葛藤も含めて、あなたをどれだけ大切に思って毎日を過ごしていたのか、伝わるんじゃないかと思います。

そしてあなたにもしこどもが生まれたなら、同じく母としてわたしが経験した葛藤を、その育児日記に見つけて笑ってやってください。「なんだ、お母さんも最初は全然できてないじゃん」って。あなたがちょっとクスッと気楽になるために、そのノートがあるのだから。

* * *

あなたのひいおばあちゃん(わたしの母の母)は、あなたが生まれた年、その約3ヶ月後になくなりました。

年をとってからのひいおばあちゃんは、アルツハイマーになって施設へ入り、自分の娘であるおばあちゃん(わたしの母)の顔もわからなくなってもうずいぶん、長いこと時を過ごしてきました。

お母さんが小学校のときはまだ、あなたのひいおばあちゃんも元気で、毎年家族で遊びにいっていたけれど、おとなになってからは遠方なのを理由に、わたしは数えるほどしか行きませんでした。

だからどことなく、距離を感じていたんですよね。でもあなたが生まれて、飛行機の距離にいる母(あなたのおばあちゃん)に産後のわたしを手伝いにきてもらっているとき、聞きました。

「あなたが生まれたときもお兄ちゃんが生まれたときも、おばあちゃんが手伝いにきてくれてたのよ」って。

それを聞いて、こんなことを思いました。別のnoteに書いています。

“長らくの間、なんだか遠くに感じていた祖母だったが、なかなかどうして、疎遠だなんだといおうと言うまいと、私が何もわからない乳飲み子のとき、もうそれはがっつりとお世話になっていたのだった。

泣き叫ぶ生まれたばかりの我が子をみながら「これがかつての自分だった」と思い、睡眠不足と闘いつつボロボロの疲労状態にある自分を「これがかつての母だった」と思い、そんな孫と娘を先回りして全力でフォローしつつ、こまごまと家事をしてくれる母を見て「これがかつての祖母だった」と思う。

こんな風景が、きっと自分が新生児のときにも繰り広げられていて。

そうしてひとまわりして、今のこのときにつながっている。”

―「さくらんぼと、雨の日の無駄なエッセイ」より
https://note.mu/poconen/n/n1cfc8f6be242

いま、30年後のあなたと60代のわたしは、どんなときを過ごしているでしょうか。もう一巡して、そんな日々を過ごしているでしょうか。

こどもがいる幸せも、こどもを持たないという生き方で得られる幸せも、ほんとうにそれは人それぞれあるので、どんな生き方でもいいと思います。

ただ、めぐりめぐることの面白さを感じて、このエピソードを書きました。

* * *

なんだか気の利いたメッセージを書けたらいいなと思っていたのですが、流れに任せて書いていたらそうはなりませんでしたね。つらつらと考えながら書くことしかできないのが、あなたの母の特性なんです。

でも、わたしたちの娘ならあなたもきっと、ひとから言われるより自分で考えることが好きなのだろうし、偉そうなメッセージなんて書いたところで、それ自体はあまり響かないでしょう。それに、これを書いているわたしは、「今のあなた」と同世代の親なので、人生の先輩なわけでもなく、偉そうに言えることなんてそもそもないでしょう。

それよりも、同世代のわたしとの対話を、脳内でちょっとでも楽しんでもらえたなら嬉しいです。「へぇ、そんなこと考えてるのね。わたしはこう思うなぁ」って。

わたしも同世代のあなたといま、話をしてみたいのですが、直接話すことはいまの技術では難しそうなので、ここにこうして手紙を書きました。

30年後には、時代をとびこえてほんとうに対話ができるようになっていたらおもしろいね。そうなったらなったで、「それはそれで寂しい」とかお母さんは言いそうだって? そうかもしれない。よくわかってるじゃない。

30年後には、60代になったわたしと、30代のあなたと、30代のわたしの文章のなかにいるわたしと、3人で呑みたいです。それができるように、健康管理をがんばらないとね。

* * *

いまのあなたがどんな状況にいるのかわからないけれど、ときに迷い悩みながらも、笑える日々を過ごしていることを、こころから願っています。

1歳半のころ、周りがとろけるような笑顔を振りまいていたあなたは、いまもきっと、最高の笑顔を持っているはずだから。

……同世代らしくといいながら、やっぱりちょっと、偉そうだね?

いま見ているあなたがあまりに小さくて可愛いので、どうしても親目線になってしまうかもしれないことを許してください。ごめん。

ああ、いま毎日触れているこのぷにょっとしたほっぺも、むちっとした手足も、ぽこんと出っ張ったおなかも、まあるくてふわふわのおしりも、顔をくしゃっ!とさせる最高の笑顔も、すべてが、懐かしくてたまらなくなるのだろうな。

読んでくれて、ありがとう。

―平成最後の夏、1歳半を迎えるあなたと過ごしながら。33歳の母より―

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