音楽の記憶と昨日のカレー
年の瀬だというのに昨日はちょっとイライラもやもやしてしまうことがあって、気づいたら夕食の時間が近づいていて、「あぁ、なんか今日ばかりは何もしたくないなぁ」と思ったけれどなんとか気持ちを奮い立たせてカレーとサラダだけはつくった。
昔聴いていた音楽を、キッチンでかけながら。
こんなときは、いつもよりちょっとボリューム大きめに限る。
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ふと思い立ってかけたその曲は、私が大学を卒業して会社員になったばかりのころ、通勤電車で毎日のように聴いていたものだった。
今ではいろんな固定観念から開放されて、だいぶ気ままに楽しく生きさせてもらっているけれど、当時の私はまだ「ならねば」主義的なところがあって、随分と生きづらさを感じていた、と思う。
自分の思い描く理想と、毎日の会社のあれこれとの乖離。つまらない愚痴や不満をむりやり聞かされるやりきれなさ。くだらない人間関係に翻弄されたくないという気持ち。同期もゼロで誰とも思いを共有できない孤独。均質均一を求められる日本のビジネス社会の閉塞感。
そんなもののすべてが、もうなんだかやりきれなくて、けれどよくある「とりあえず3年はここで頑張ってから辞めるんだもん」信仰中だった私は、なんとか自分の気持ちを前向きにしてがんばっていた。
そしてそのために欠かせなかったのが、毎日の通勤電車で聴いていた、あの曲たち。
どこへ続いているのかわからずにもがいている日々、朝の電車の中で、来る日も来る日も、その音楽に励まされていた。
* * *
それからもうずいぶんと時が経ち。
最近はめったに聴いていなかったその曲たちを、ふと思い出してかけてみた昨夜。
ちょっとしたイライラともやもやを抱えて、いつもよりちょっと雑な玉ねぎのみじん切りと、どこかいびつな人参やじゃがいもの乱切りと。
でも曲を聴いているうちに、いつのまにかなんだか気持ちが上向いて、だんだんといつものカレー作りになってくるから、不思議だ。
それは単純にその曲が持つ曲調や歌詞のためでもあるし、さらには「過去の自分が毎日その曲を聴いて気持ちを奮い立たせていた」という記憶が脳内にインプットされているためでもあるだろう。
あれからもう何年もの年月を経て、かつての自分には見えなかったものがいろいろと見えて、肩の力をふうっと抜いて、生きるのが楽になったという実感があって。
当時と同じ曲を聴くことで、そのときからの変化をしっかりと感じる。
そして同時に、今抱えているイライラやもやもやも、しばらく時がたてば不思議なくらいたいしたことないものになっていくのだろう、と思える。
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カレーは、それなりに美味しくできた。
イライラやもやもやも一緒に煮込んでしまったかなぁと思ったけれど、どうやらそれは適度なスパイスにとどまってくれたようだ。
かつての私を支え続けてくれた曲、そして今日のカレーを美味しくしてくれたその曲に感謝しながら、はふはふと、温かなカレーを頬張った。
自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。