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来たぞ、イヤイヤ期。ー谷川俊太郎「いや」を読み、いのちを見つめるー

こんにちは、詩のソムリエです。すっかり寒くなりましたね。
子育てのなかで考えた、詩のはなしをちょこっと話す「こどもと詩」シリーズ。わが息子にも来ました、そろそろかなと思っていたのです、イヤイヤ期。そんなときに読みたい詩を2篇ご紹介します。

1歳7ヶ月、涙のウィンナー事件

去年の春に生まれた子どもも、もう1歳7ヶ月。元気に走ってジャンプして(ただし2センチ)、こちらの言うこともだいぶわかっているもよう。子どもが大きくなるのは早いなぁ…と感慨にひたりつつも、イヤイヤ期の片鱗が見え始め、戦々恐々としている今日このごろ。

1歳7ヶ月なんて、まだまだ赤ちゃんだが(※主観。定義としては「幼児」)、自我は芽生える。

しかし言葉が間に合っていないので、親のわたしにもわかってもらえず、ちょっと不憫でもある。

たとえば、今朝のこと。こんな事件が起こった。

子どもの朝ごはんは、自家製ミートソースのペンネ。わたしは自分の朝ごはんにトーストを準備し、ウィンナーを2本ゆでた。息子は目ざとくウィンナーを指さして「ん!ん!」とほしがるので、1本を子のお皿によそった。

…そしてわたしが自分のお皿からウィンナーを食べると、のけぞって大泣き。

あなたのもあるのよ、と子のウィンナーにフォークを刺すと、泣いてウィンナーをはねのけようとする。いらないのね、と食べようとすると余計に泣くので、あげようとするとまた怒る…で、わたしが最終的に食べると火がついたようにまた泣く。

うーん、理不尽。何をしたいのか、本人ももはやよくわからないのであろう。あなたも大変ねぇ…としみじみ泣き顔を見ながら思う。しかし、なにもウィンナー1本でそんなに泣くこともあるまいに…。

「いや」と伝えること


そんな息子はケロリと機嫌を直し、お気に入りのテレビを見て踊っている。母であるわたしは、散らかった食卓を片付けつつ、谷川俊太郎の「いや」という詩を思い出している。

いやだ と言っていいですか
本当にからだの底からいやなことを
我慢しなくていいですか
我がままだと思わなくていいですか

(中略)

いやだ と言わせてください
いやがってるのはちっぽけな私じゃない
幸せになろうとあがいている
宇宙につながる大きな私のいのちです

谷川俊太郎「いや」より一部抜粋

うむうむ。踊っている息子の背に、「いやだと言っても、いいですよ」と言ってみる。

実は3年ほど前から、NVC(非暴力/共感的コミュニケーション)というコミュニケーション方法を学んでいる。NVCは、1970年代にアメリカの臨床心理学者マーシャル・B・ローゼンバーグ博士によって体系化され、提唱されたプロセスで、マイクロソフト社などの大企業も取り入れているらしい。

このプロセスで特徴的なのは、あらゆる感情の奥に、「願い」(ニーズ)があるという前提のもと、対立やわだかまりをほぐしていくという考え方だ。

負の感情であっても、その奥底には願いが隠れていて、その願いを自分や相手が見つめることで、よりよいコミュニケーションがとれる…ということ。イヤイヤ期や「赤ちゃん返り」なども、「自分の気持を表現したい」とか、「かまってほしい」というニーズが隠れているのだろう。

この詩を読んでいて、ああNVCと同じことを言ってるのかもなぁと思った。

「幸せになろうとあがいている/宇宙につながる大きな私」の声が、「いやだ」だと思うと、息子のイヤイヤも愛おしい。そうだ、きみは幸せになるためにここに存在するのだもの。いやいやくらい、言えばいいさ。

まぁ、きみはなぜか「イヤイヤ」のかわりに、「よーい、よーい」というのだけど。(※いやー、いやー→やーい、やーい→よーい、よーいと変形した)

おとなになると、泣けなくなる


小さい子どものイヤイヤは、今朝のウィンナー事件のようにいったい何がどうしてそうなったのかよくわからないパターンも多く、途方に暮れることもある。のだけど、基本的に子どもが泣いていても「かわいいなぁ」とか「すがすがしいなぁ」と思いながらじっと泣き顔を見つめてしまう。(これぞ親ばか、である)

明治の詩人、山村暮鳥[やまむら・ぼちょう 1884-1924]の「子どもは泣く」という詩があって、その親心にはものすごく共感する。

「子どもは泣く」

子どもはさかんに泣く
よくなくものだ
これが自然の言葉であるのか
何でもかでも泣くのである
泣け泣け
たんとなけ
もつとなけ
なけなくなるまで泣け
そして泣くだけないてしまふと
からりと晴れた蒼天のやうに
もうにこにこしてゐる子ども
何といふ可愛らしさだ
それがいい
かうしてだんだん大きくなれ
かうしてだんだん大きくなつて
そしてこんどはあべこべに
泣く親達をなだめるのだ
ああ私には眞實※に子どものやうに泣けなくなつた
ああ子どもはいい
泣けば泣くほどかはゆくなる

※「真実」の旧字

『風は草木にささやいた』山村暮鳥

そうなのだ。わたしたちは、いつの間にか「子どものやうに泣けなくなつた」。わんわん思いっきり泣いて、泣いて、そしてもうニコッとしている…なんてことは、子どもの特権なのであろう。

わが子も、ほかの子も。どんどんいやだと言って、地団駄ふんで、泣いていい。泣けば泣くほどかはゆくなる

でも、「からりと晴れた蒼天のやうに/もうにこにこして」くれると、母はありがたいな。

***

これまでの「こどもと詩」シリーズ

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