40歳・厨二病リーマンが、妻の緊急入院で、ワンオペ家事・育児の大変さを思い知った件(反省と備忘録) 〜前編〜

私は、ただのサラリーマン、40歳。ただのサラリーマンのくせに、いい年こいて「俺は会社から期待されてる」「自己研鑽積んで社会に貢献するんだ」など、厨二病的な思考や言動が全く抜け切れないでいる。自己肯定感や達成意欲が強いこと、それ自体は悪いことだとは思わないが、そんなことを言い訳にして、平日・土曜日、緊急事態宣言そっちのけで毎日朝から出社していた。5時前起床⇨6時会社着・仕事開始⇨7時〜8時・会社併設のジムで汗を流す⇨8時過ぎから仕事再開⇨20〜21時頃に帰宅、平日は大体こんな感じ。土曜も8時出社⇨14時退社、日曜も早朝は仕事、みたいな感じで毎週過ごす。「俺は社長の側近だからな、毎日出社しないとダメなんだよ。社長も俺のことを頼りにしてるし。あとさ、兼務での仕事もあるし、人と同じではダメなんだよ。土曜も仕事は当然。選択肢は苦しい方!」そんな言葉を、毎日毎日、妻の前で言い放ち、意気揚々と自負という名の誇りを感じ仕事を続けていた。

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私は4人家族だ。妻と、子供二人。子供は一人目は男の子、3歳10ヶ月。可愛い年頃と言われる3歳からそろそろ悪ガキ感が出始めているが、それでもまだまだ可愛い。二人目は女の子。1歳1ヶ月。好きな食べ物は豆腐。とにかく何でもかんでも口に入れる。そして、ポロポロこぼして部屋中に食べ物を撒き散らすのが今楽しいようだ。ちなみに、妻も同じ会社に勤める総合職社員。今は時短・在宅勤務中心で、朝・夕の保育園への送り迎えは、専ら妻の担当になっている。家事の分担なんてものはなく、前述の通り、厨二病夫は早朝から夜子供を寝かせる時間まで会社にいるので、家事と育児のほとんどは必然的に妻がやることになっていた。そんな私の楽しみは、土曜日の昼過ぎから妻子と公園に出かけてセミや虫捕りをすること、子供とアマプラを見ること、あとは、趣味のテニス、みたいなところだった。今、これを書きながら、「こいつ、ほんとクソ野郎だな。やばいな」と、改めて自分の身勝手さに震えている・・・

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そんな生活が一変したのは、今週月曜の夕方。いつものように、会社で仕事をしていると、妻からLINE通話がかかってきた。18時前だっただろうか。

妻:「ごめん、下痢で出血してる。めまいがして、子供迎えに行けない」

私:「えっ?大丈夫?ただ、こっちも18時からコンサルと会議で、私が主催だから行けない。お義母さんにまず聞いてみて。ダメだったらもう一回電話ちょうだい」

妻:「わかった。お母さんにはすぐ聞く。A太(上の子)は、20時までお迎え大丈夫だから、そっちはお願いできる?」

私:「わかった。会議が終わったらすぐタクシーで向かうよ」

妻:「ありがとう」

その後、会議を終えてすぐに息子を迎えに行き、20時前に帰宅した。帰宅すると義母が来ており、血の気の引いた顔をした妻が娘を抱え、ソファに横たわっていた。どうやら、血便を繰り返し、貧血を起こしているらしい。妻は、消化器科医をしている妻の姉と連絡を取りつつ、指定された総合病院に電話をかけて事情を話し、結果、タクシーを呼んでその総合病院の夜間外来に行くことになった。子供達を義母に見てもらい、私が妻に付き添って病院へ。病院に着いて妻は一度嘔吐し、血圧測定、診察、と移っていった。どうやら、コロナ患者や同じような外来患者が多く、この後、点滴⇨CT⇨PCR検査などなど精密検査にはまだ2−3時間はかかるらしい。幸い、妻は意識もはっきりしており、診察室のベッドで横になって待つことになったため、医師・妻と相談の上、私は21時半頃、自宅に戻り、1歳と3歳の子供達の世話を優先することになった。

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帰宅後、義母に礼を言って自宅に返し、かろうじて起きていた子供達二人とお風呂へ。3人で風呂に入ることはよくあるので、ここは問題なく対応。子供達の食事は、冷凍炒飯と豆腐を、祖母があげてくれていたので助かった。布団を敷いて、10時半に就寝へ。ここでまず一つめの問題が発生。

"おっぱいがないので、下の子が寝てくれない"

​いつもは妻のおっぱいを飲んで眠りにつくのだが、今日はそれがない。よって、なかなか寝付かない。そして、夜中の2時に再度泣いて起床。そこから1時間、妻なのかおっぱいなのかわからないが、とにかく失った何かを彷徨い求めて娘は泣きながら夜中の寝室を徘徊し、その対応にひとしきり追われた初日の夜だった。

翌朝、6時半起床。いつもより長く寝ているのに眠い。。。夜中娘の対応に追われていたせいだろうか。さあ、起きて、朝ごはんの準備。冷凍ご飯をチンして、子供達の好きな鮭おむすびを作る。子供達が起き出して対応に追われながら。ここで、忘れてはならないのが、「保育園の準備」。息子の持ち物は何?娘は?全くわかっていない。前夜からとにかく私が気になっていたのはその点で、入院中の妻に執拗にLINEした。「ねえ、何を持って行ったらいいの?それは、どこにあるの?日誌は?登園は何時までに行けばいいの?口頭で言われても忘れるからLINEして」と、散々聞きまくった。言われたものをとにかく準備しながら、「あぁ、俺は、なんて何も知らないんだ。これで、よく親を名乗ってたな・・・」と、心底恥ずかしくなった。恥ずかしくなったついでにもう一つ、子供の服の多くが、どこにしまってあるかもわからない。そして、登園の時の服装もわからない。ボタン付きの服でもいいのか?半ズボン?長ズボン?靴下は? ワンオペになって初めて、自分が子供達の生活や育児について、「我が事」として取り組んでなかったことをはっきりと認識した。

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さあ、8時半、登園だ。とりあえず、言われたものは準備した。電動自転車で行くべきか迷ったが、子供を一度も乗せたことがないので、大事をとって抱っこ紐にする。娘を抱っこ紐で抱え、息子の手を取り、まずは娘の保育園へ。保育園の先生に事情を説明したところ、幸いにも「お父様、大変ですね。準備や書き方などご説明しますね」と教えて下さり、言われた通りに着替えやエプロンなどをセットした。体温測定や沐浴可能かなどの記入票も、園の先生のおかげでなんとか対応できた。息子が横で、「パパ、これは、ここに書くんだよ。体温計は、8番だよ!」と指南してくれた。毎日妻の横で対応を見ている息子、娘の園の先生に仲良く挨拶していた。「3歳の息子の方が、娘の保育園のことを俺よりわかってるって、一体、なんなのだろう・・・ほんと、すみません」心の中で呟いた。その後、同じように息子を別の園に送り、帰宅。汗びっしょり。そして、もう9時半だよ。6時半から息つく間もなく必死に活動してるのに、仕事を始めるのが10時前って・・・・

これまで、6時に会社に行き、仕事に、ジムに、と自分のやりたいように過ごせていたことがどれだけ優雅で、誰かの犠牲の上に成り立っていたのかということを、痛感した火曜日の朝だった。 <後編につづく↓>



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