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殺人事件の重要参考人として警察から事情聴取を受けたハナシ

お世話になっております、政光真吾です。
初めましての方は初めまして。
吉本興業福岡支社(通称 福岡よしもと)のイベント周りで裏方としてウロチョロしている者です。

唐突ですが、皆さんは殺人事件の参考人として警察から事情聴取を受けた経験はありますか?
僕はあります。←
その事件から15年が経つので、もうそろそろネタにしても良いよな…と思い、今回キーボードを叩かせて頂きます。
そんなこんなで話は大学生の頃に遡ります。

2007年夏、大学生の頃の僕は広告のキャッチコピーを作るコピーライターという仕事に憧れていました。
ただ、一流のコピーライターになる為には大手広告代理店である電通か博報堂に入る必要がありまして、当時の僕が通っていた大学は地方都市・福岡県の三流私立大学。
(しかも、夜間部なので偏差値はド底辺レベル。)
大手の広告代理店に入る為の学歴も無ければコネもありません。
「電通や博報堂なんて受けるだけ無駄だ」と早々に夢を諦め、真面目に就職活動をする気も無くなった僕は苦労せずに広告業界に潜り込む道は無いかと模索し始めます。
道、ありました。
大学の構内に貼ってあった採用情報を見て、「ウチの大学からも何人か入社してるし、ここだったら余裕で入れそうだな」と感じた僕はすぐにその広告代理店にエントリーを申し込みます。
そして、トントン拍子に選考は進み、当初の目論見通りに全く苦労せずに内定をゲット。
(おそらくは試験のメインが論文形式だったのが勝因かと思います。作文は得意です。ふへへ。)
当時の僕は「とりあえずこの会社で3年くらい経験を積んで、経験者として同じ広告業界内でステップアップできれば良いや」と軽く考えていたのですが、今になって思います。
社会はそんなに甘くねぇ。←

2008年春、大学を卒業した僕は内定先である福岡県内の広告代理店にそのまま入社します。
面接では文章力を褒められたし、広告コピーの本もそれなりに読んできたし、新入社員のエースとしてバリバリに活躍…するわけでもなく、待っていたのは全く営業成績を上げられないダメ社員として罵倒される毎日でした。
広告代理店とは言っても実態はローカル紙の広告枠を埋める為のブローカー的な存在。
広告を作りたかったはずなのに、配属されたのはゴリゴリの営業。
入社してすぐに朝から晩までひたすら営業電話を掛け続け、「何度も電話してくるな!」と怒られたことは一度や二度ではありません。
さすがに病みました。
ネットとかで「空の写真をSNSにアップする人は病んでる」って記事あるじゃないですか?
あれね、本当だと思うんです。
当時の僕、毎日ブログに空の写真を載せてましたからね。←

大した成績を上げられないまま、夏がやってきます。
ローカル紙の小さな広告枠を埋める為にひたすら営業電話を掛けていた僕のもとに上司がやってきました。
「そろそろ風俗もやってくれない?」
何のことかわからないですよね?
きちんと説明します。
僕が入社した広告代理店はいわゆる新聞広告枠とは別に、自社でネット媒体を持っていました。
それは風俗情報サイトです。
地元のソープランド、店舗型ヘルス、デリバリーヘルスと呼ばれるお店の情報を載せ、広告費としての対価を各店舗から貰うというビジネスモデルを確立していました。
つまり、僕が入った広告代理店は普通の広告代理店の仮面を被った風俗広告代理店だった、というわけです。

「そろそろ風俗もやってくれない?」を翻訳します。
 ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
「新聞広告営業はそもそも新聞社から買い取った広告枠を埋める為の作業であり、コストパフォマンスはそんなに高くない。だったら自社サイトを使ってほとんどコストを掛けずに半永続的に稼げる風俗店に営業を掛けてくれないか?」

2008年夏、上司命令で風俗広告マン誕生。
上司からいくつかのクライアント(風俗店)も引き継ぎました。
会社のサイトに情報を載せたいクライアント(風俗店)との契約も行いました。
自力で新規の売上を立てられないままのダメ新入社員はこれらの慣れない折衝が加わることにより、さらにボロボロになっていきます。

2008年秋、新たに1件のクライアントを受け持つことになりました。
熟女専門風俗店X、表題の件に大きく関わってくるお店です。
オーナーのAさんはやや気性の荒い性格で、細かいミスを連発する新入社員の僕は何度も怒られ、その度にメンタルを削られていきます。
上司からの罵声、Aさんからの圧、売上を立てられない自分、そんな毎日に嫌気が差していた僕はいつ辞表を出すかばかりを考えていました。

2008年冬、業務上の連絡でAさんに電話を掛けると、いつもは荒い口調のAさんが何故かオドオドとした様子で電話に出たことを今でもハッキリと覚えています。
「なんかさっきのAさん、変だったな。どうしたんだろう?」
それから数日、ずっと頭の中では様子のおかしいAさんのことが気になったままでした。

一週間後、仕事を終えて家でくつろいでいた僕。
テレビから流れてきたNHKのニュースに衝撃を受けました。
風俗店経営者A、殺人・死体遺棄容疑で逮捕。
お店の従業員との痴情のもつれから発生した事件とのことでした。

あ。これ、もう無理だ。
これ以上あの会社に関わっていたら、ずっとこんなことを繰り返す人生になってしまう。
この瞬間、すぐに僕は会社を辞める決意を固めました。

ニュースが流れた翌朝、Aさんのお店の担当だった僕は会社の上層部に呼び出されます。
午後から事件に関する事情聴取で警察がやってくる、とのことでした。
上層部からは「余計なことは言わないように」と箝口令を敷かれたのですが、そんな反社会的な命令を下す上層部からも一気に心が離れたのを覚えています。

午後、警察官がやってきました。
どうやら犯行直後にAさんの携帯電話の履歴に僕の電話番号が残っていたらしく、警察からは僕が何かしらの幇助をしたのではないかと疑われていたらしいです。
(つまり、僕が前の週に電話で通話したAさんは犯行直後のAさんだったということです。やばたにえん。)
そこからは色々と聞かれました。
Aさんとの関係性、アリバイ、折衝の細かい内容。
当然ながら事件には何も関与していないのでその後の追及などはありませんでしたが、隣で僕に余計なことを言わせない為に同席した上司からの視線はやはり心地良いものではありませんでしたね。

そこから2ヶ月間、辞めたいと思いながらも退職の旨を上司に伝えられない自分自身と格闘しますが、何とか年明けに退職届を提出することに成功します。

2009年春、退職。
嫌な思い出から逃げるように福岡を離れ、吉本興業が運営するNSC東京の構成作家コースに入学しました。

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さて、ここからは後日談です。

2020年春、思い出話の一つとして福岡よしもとで活躍する後輩芸人に一連の流れを話したところ、急に後輩芸人は言いました。
「その事件の被害者って○○○○さんってお名前でしたか?」
何故か事件の被害者の名前を知っていた後輩芸人。
どうして知っているのかを尋ねると、後輩芸人は答えました。

「その被害者、俺の元カノのお母さんです。」

・・・。

どうですか?急に怖い話になったでしょう?
ちなみに、その元カノから「母親が帰ってこない」という相談を受けていたとのこと。

・・・・・。

このnoteに記載したことは全て事実です。
僕もまさかお笑い業界の後輩と当時の事件が13年越しに結び付くとは思っていませんでした。
事実は小説よりも何とやらとは言いますが、そこそこ激しい人生を過ごさせて頂いております。

実はこの事件のことも風俗広告業界で働いていたこともずっと表に出せずにいたのですが、全てが吹っ切れました。
こんな僕ではありますが、今後も変わらぬお付き合いをさせて頂ければ幸いです。

あっ、最後にあとひとつだけ余談をさせて下さい。
大学生の頃に目指していたコピーライターになることはできませんでしたが、毎回タイトルを書かせて頂いているコテンラジオが2022年になんと日本最大の広告賞と呼ばれるACC賞でグランプリを受賞しまして、関係者の皆さんのご厚意でコピーライターの肩書きでACC賞のサイトに名前を載せてもらっております。
コピーライターの皆様にはリスペクトしかないので非常に畏れ多いのですが、これからも裏方として色んな方々のお手伝いをさせて頂きながら、少しずつ社会に恩返しをしていこうと思いました。
頑張って生きていれば色々なことがありますね。
いやぁ、人生って面白い。

そこそこの長文になってしまいました。
最後まで読んで下さった物好きな方々、ありがとうございました。

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