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2024年1発目の言葉‐ご挨拶‐

●はじめに


「継続は力なり」というのはありきたりなフレーズではあるが確かにその通りでもあるという体験を自分はいくつかしている。その逆もしかりで、すっかりnoteの更新が止まってしまっていると積み重ねられてない表現というのはなんといい加減で曖昧なものだろうかと自分の怠慢みたいなものにがっかりすることになる。そんな話から始めてしまうが今年もnoteで書きたいことはたくさんある。昨年に私が代表を務める合同会社INTERFACEDOGSが制作した2本目のMVの話を書きたいなんておもっていたら、別件のお仕事が多忙を極め、あっというまに2023年は終わりを迎えた。去年メインで動いていたお仕事については、作品は発表されたものの、まだ関わった人間などの詳細は世に出ていないので、またどこかで話せればと思う。
 何はともあれ2023年のMVやら大きなプロジェクトやらを切り抜けて2024年を迎えたのだが、仕事もさることながら1月1日には能登半島の震災があり、そして私の家族にも大きな厄災が降りかかった。
「もしかしてこれは?」
1月の仕事が落ち着いたころ、私の肉親が命に係わる大病かもしれないということが2月に発覚。精密検査をしてみると結果はやはり大病の疑いあり、より専門的な検査と医師に診てもらうようにという結果となった。私もいよいよ中年と呼ばれる世界に突入している。正直言って「ついに恐れていたこの時が来たか」と家族にとって大きな試練を覚悟した。こんな大げさなことを言っておきながら、本当に幸福なことに肉親の大病の疑い杞憂に終わり(非常に判別がつきにくい部位の病気)今はホッとひと安心しているところだが、家族のこれから、中年になった人間としてどうやって責任をおっていくのか、どう生きていけばいいのか・・・・いまさらながら現実を突きつけられた気がした。4月も近づいてきた頃、答えはまだでてはいないものの今やらなければならないこと、経験したいことは躊躇せず実行すべきだということは痛感した。2024年はより頻繁にnoteを更新していこうと思っている。書きたいことはまだまだたくさんある。今日はその触れ初めというところで今の状況を書かせてもらう。

具体的な今後の記事としては
①合同会社INTERFACEDOGS(※1)制作の仕事の話や自社作品の話
②映画、ゲーム、本、音楽と言った作品についての話
③自分が属しているアニメーション制作の世界について

このあたりを中心に記事を書いていこうと思う

●合同会社INTERFACEDOGSの2024年の自社作品制作


てくてく日和LO

合同会社INTERFACEDOGSという私を代表とする個人法人はフリーランスを集めたアニメーション制作チームでもある。その主な活動としては

1)様々なアニメーションの現場(制作会社)に私を中心として色々な形で参加する

2)アニメーションを手法とした短編映像、MVなどの元請け制作

3)自分たちで企画した映像作品を開発、制作する

という3つの動きを並行して活動している。会社時代から長年私が目指してきた仕事(生活)のビジョンでもあった。
ありがたいことに仕事としての活動は会社を辞め独立してから、とても重要な機会に恵まれ仕事の相談をしていただいた方(会社様)には感謝しかない。その上でINTERFACEDOGSを本格的に始動して約2年で感じた映像制作の現場についての感触とこれからの活動について書いてみる。

■プロフェッショナルとアマチュアの混在する世界
ここ2・3年(個人的には1年といってもいい)でアニメーションの表現も現場の作り方も大分変わってきたと言ってもいい。

 ひとつは従来の商業アニメーションの現場や制作手法の先鋭化である。これにはアニメ業界における30前後の世代が現場の中心になってきたことが大きいと思う。この世代は2010年くらいから続いているアニメ制作現場のデジタル化(もっと以前からデジタル化は進んでいたが、絵コンテや作画レベルから紙を必要としないレベルのもの)というところとの親和性が非常に高い印象だ。デジタルツールに特化した思考と技術的な構築がアニメーションとしての画面の作り方というのが、ここ数年で急速に定着した。皮肉にもこれを大きく現場に定着させたのはコロナにおけるロックダウンだろう。これと時を同じくして、デジタルネイティブな若い世代がアニメ業界的な工程を踏まずして商業アニメーションの現場に現れ始めた。彼らは幼少期に音楽文化に非常に通じており、青春期にはニコニコ動画を通じて、いわゆる米津玄師、YOASOBIのAyase(または八王子P、ピノキオピー等々)と言ったボカロP文化を原体験としている。その影響なのか若きデジタルネイティブなアニメクリエイターは様々なアーティストのアニメーションMVなどで作家性を発揮し活躍している。MVも含む商業アニメにおいてのアニメ業界の内と外(プロとアマチュア)に現れたデジタルネイティブなクリエイターによる映像のテイストはまさにここ1,2年の映像のルックや現場の作り方を大きく変えてきた。また徐々に彼らは作り手にも受け手にも影響力を強めている。
 大きな変化のふたつ目は制作された作品の評価の変化だ。これはSNS、Youtubeといったインターネットの影響が大きい。おそらくこんなことは世界中で言われていることではあると思うが、インプレッションによる評価と影響というのはここ数年で本当に創作の中心にある。商業というものはメーカー、スポンサーというものがいる以上、数という結果に大きく左右されるというのは避けようのない現実である。と同時にどこか世の中に作品(表現)を提出することは数とり合戦的にインプレッションを競うゲームに無条件参加させされるという状況になっているという窮屈さを感じる部分もある。仕事においてもそこを重視した戦略がとられていることも少なくはない。その是非の判断は非常に難しいというのもあり、このゲーム自体を私は否定するつもりはないという大前提の上でゲームへの参加の可否がいまでは選べないような状況になっているというところにはどうしても飲み込みづらさを感じる面もある。

■INTERFACEDOGSの作品が目指すもの

 雑感ではあるが先述した変化の先、今の映像業界は技術の発展と共に非常に多種多様な手法をひとつのスタイルに結集しハイレベルな画面を制作することを可能にしたと言ってもいい。その先に待っているのは個人的にはある種、過剰な表現の世界だと思っている。この”過剰さ”というのは本質的な意味では単純に画面が過剰に描きこまれていたり、密度があるということではない。”過剰に”画面に神経をそそいだハイレベルな画面を作る作品、作り手がかなり増えたという話である。これにより画面を作る人間の意識はより先鋭化しある意味”解る人”に伝わる表現になってきているとも感じている。それはある種”無駄なモノ” ”ノイズになるモノ” ”匂い(臭み)の強いモノ”
を細かく削っていくことにより可能になる、ある種、高度なテクニックによる省略の積み上げに他ならない。もちろん受け手もこの先鋭化にどんどん対応していく。
一方で細かく削られていった”ノイズ”中には大事なものも含まれてはいないかと感じることもある。それは上の世代が培った演出論や創作のマインドセット、一見退屈やマンネリに見えてそれは実のところ人間の感動原理の中に含まれている普遍的な物語だったりするのではないだろうか?新しい世代が台頭すると同時に失われていく感覚というのも必ず現れる。
私としてはかねてより長年積み上げられてきた先人達の創作におけるマインドセット、技術を様々な世代と共有し、普遍的で新しい現場を目指して映像制作をしている。(試みている)一方で反省点として、”現代的な洗練された表現”に対する好奇心や学びも重要であり必要であることはいままでの自作の反省点として大きな課題になっている。

抽象的な物言いにはなってしまうのは色々活動についてまだ発表できない面もあることをご了承願いたい。
チームに関わる作り手の補強、長年関わってきた若手スタッフの成長を伴いいまが正に集大成的な作品を世に出すタイミングになっていると痛感している。ベテランの力、若手の台頭そのバランスの中で、今の旬な表現とは違う方向性を模索している最中であり、その一報を伝えられることを楽しみにしている。
是非INTERFACEDOGSの活動を見ていただければと思う。

発表された去年今年の仕事の映像貼っておく

追伸)またいつでも仕事の相談もお待ちしています。色々平行しているのでスケジュール次第でお受けできます。
仕事履歴
http://twpf.jp/tekuteku_info

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