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六年前の思い出:二つの国の二つのエヴェンキ

これは今日、二〇二三年二月一六日からちょうど六年前のお話。

二人の違う国のエヴェンキ人と出会う機会があった。一人はロシア人で、一人は中国人。

「まずエヴェンキ人って…?ロシア人なの?中国人なの?」

そんなふうに混乱される方もいるかもしれない。しかし、世の中には自分の出自の民族と自分が属している国籍とが一致しない例は山ほどある。国籍と民族が必ず一致するというのを盲目的に信じているのは日本人だけではないのか。

話を戻そう。エヴェンキ人はロシアのシベリアやモンゴル、中国北部地域に暮らす民族で、ツングース語族という言語に属する「エヴェンキ語」という言語を伝統的にしゃべる民族だ。しかしながら、言語交換が進み、エヴェンキ語でない言語を母語とするものも多く、イエローゾーンの「危機言語」として認識されている。

分類上同じ言葉なのに言葉の歴史が違いすぎる。

ソヴィエトの少数民族言語の書き言葉の制定はどちらかといえばロシア語化を効率良く進めるための、いわばシベリア諸民族のソビエト国民化を目指す、その一段階として始められた。だが、この「文字ができた」ということがロシアと中国のエヴェンキ人の環境に大きな違いをもたらした。

ロシアのエヴェンキ語は1931年にラテン文字での書き方が考案され、1937年にキリル文字の書き方に切り替わった。ŋとう文字が加わった改変キリル文字である。教科書によっては「わ」という音を表すためラテン文字と同じ"w"を使うところもある。知り合ったロシアのエヴェンキ人は民族的な活動(エトノクルトゥーラ)に励んでいるもののエヴェンキ語は苦手とのこと。そのため、ロシアではウドムルトなど以上にエヴェンキ人の間で母語話者の減少が激しい印象を受ける。どれぐらい減少したのかを客観的に示すデータがないのも問題だ。

一方、中国ではそもそもエヴェンキ語を書くための文字がない。東欧のfacebookことVkontakteで会話していたのだが、エヴェンキ語を書いてその人に送ったらさぞ喜ばれるだろうと思い、さっそく知っていたエヴェンキ語で文をしたためた。それを見てもらったところ、

「なにこれ?読めない」

その人はキリル文字が読めなかった。それはエヴェンキ語でこう書いてあると説明すると「嘘、これエヴェンキ語なの!?」と大変驚いていた。疑問に思い「中国ではいったいどうやってエヴェンキ語を書いているの?」と質問したら、「中国のエヴェンキは三つの民族グループから成り立つけれど、お互い言葉も少し違う。そして文字がない」とのことだった。書くときは中国語を使ってやりとりをし、あくまでエヴェンキ語は電話や身近な人とのやり取りでしか用いていないようだった。海外の人間が、自分たちの知らない文字で、自分たちでしか用いていない言語で手紙を出すなんていう行動は完全に想定外なのである。

しかし、文字がないということは中国でのエヴェンキ語の衰退はさぞ激しかろう、と思いきやこの人は若者であるにもかかわらず「エヴェンキ語がしゃべれる」とのこと。その上、「他にも話せる人を紹介してあげるよ!」とのことで、ロシアの現状と全く違う印象を受けた。

この二つの国のエヴェンキ語の在り方は全く対照的だ:

☑️ロシアのエヴェンキ語
 ・標準語ができている
 ・キリル文字で書ける
 ・本や出版物が存在する
 ・話者は減少

☑️中国のエヴェンキ語
 ・標準語がない
 ・書き言葉がない
 ・本や出版物がない(書き言葉がないからないはず)
 ・話者は多い?(といってもエヴェンキ人は多いわけではないので数からいったらロシアも中国も三万人いるか四万人いるか程度の違いなのだが)

あくまで二人のエヴェンキ人と話した内容に基づき推測したものなので文献的な根拠には欠けていることはご容赦願いたい。だが、ここで示唆されていることは話者は単純に標準語を整備したり、書けるようにしたりするだけでは増えたりしない、ということだ。むしろ言語の持ち主であるその民族が、政治でどのように扱われたきたが大きな影響を与えているように思える。

逆に我が国ではどうだろうか?アイヌ語や琉球諸語、数多の日本語の方言の話者は標準語に同化・吸収されてしまい、日本は均一的な日本語の国になろうとしている。従って、その状態で文化の興進ということでプロモーションしてもエヴェンキ語の例で言うと後の祭りであり、むしろ政治的に言語の話者たちをどのように扱ってきたのかを振り返り、その反省のもと、話者たちとの対話がまず必要だと考える。そして、ニュージランドのマオリ語や北欧のサーミ語、イスラエルのヘブライ語など、よみがってきた言語の復興事例を参考に政府がバックアップする体制を作るべきではないのだろうかと思う。

しかしながら、昨年の安倍元総理大臣が奈良で暗殺された事件の時もそうだったが、国葬に関して国民が納得していないにも関わらず、政治家たちの鶴の一声で国葬を実施したことを考えてみると、政府が危機言語の話者たちの話を聞くとは思えないような気がする。

もしかすると私が完全におじいさんになる頃には、沖縄の琉球語話者が全滅して、南米にいるうちなんちゅコミュニティーの人たちの方が琉球諸語を継承している、なんて逆転現象が起きるかもしれない。そうなると山之口獏が書いた詩のように、現実に全ての沖縄で沖縄語をしゃべっても「沖縄語は上手ですね」と来るようになってしまうかもしれない。

そうなる前に本当はネ、私たちの世代が言葉を語学しなければならないのだ。英語なんて本当はやっている場合ではないのかもしれない。二つのエヴェンキ語は暗にしてそんなことを教えてくれてるんじゃないのかな。


写真:
ID 119608333 ©Hugo1313|Dreamstime.com


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