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【8年後の今、答え合わせ】留学ワーホリで何%「海外で旅しながら働く」を叶えられたか?

時間が経って、答え合わせとなることはありますよね。
30歳を機に、私はフィリピンへ3か月間留学、オーストラリアへワーキングホリデーに行き1年過ごしました。
そして今38歳となり、デザイントーストというWebデザイン・グラフィックデザインのスクール事業を立ち上げ、今年で運営3年目となります。

私の血中濃度の多くを占めるキーワード「海外」のきっかけは、フィリピン・マニラの空港へ降り立った時でした。ワーホリ前に英語を学ぶため、3ヵ月の語学留学のためでした。

夜に見知らぬ国に1人でたどり着き、周りには誰も似た風貌の人はおらず、むわっとした湿気と南国の草の匂いがして、すべてが新鮮で不安で初めての冒険の始まりでした。
同じ航空便に乗ってきた人たちに交じって、空港の外に出た瞬間の景色とドキドキを昨日のことのように思い出せます。

全員ではないにしても、ワーホリで自分を変えたいとか、人生を変えたいという方は多いと思います。「人生を変える」なんて言葉は今の時代、なんだか嘘っぽいかもしれませんが
私は当時、自分の生きてきた道や価値観すべてを、うわー!と叫んでひっくり返してやりたいと思っていました。

で、結局ひっくり返せたのか

率直にひっくり返せたかと言われると180度変わったわけではなかったと思います。
でも、3ヵ月+1年の留学生活で、90度ぐらいは確実に変わったように感じます。

1.自分が動かなければ、何も起こらないと痛感
まず、待っていては何も始まりません。語学学校でも自分から話しかけなければ誰も話しかけては来ないし、履歴書を自分から連絡し配りにいかないことには職も得られません。嫌な顔をされるなんて日常茶飯事ですが、気にしてられん!精神です。

何事も「考え、自分から動く」という感覚が磨かれました。
実際日本に帰ったら「私ってスーパーマン?」と錯覚するくらい(オーバーじゃないですよ)、
海外では悲しいくらい、へっぽこ役立たずのよわよわな自分がデフォルトになります。

大の大人が、バスに乗るのも、目的地への道をきくのも大変、砂糖抜きのカフェラテを買うの一つですら伝わらず甘ったるいのがでてくるし。
職歴は全てゼロスタート。ゲームをリセットしてレベル1になったのに敵は強いまま、みたいな感じ。体当たりして一回くらいでは結果がないのが当たり前でした。何回もやってやっと結果に繋がる、繋がらなければ諦めて次へ行くだけ。
でも、不思議とメラメラ燃えてきて、くっそー!絶対次は砂糖抜きのチャイラテ頼んだるわ!と課題をクリアしたくなるのですから不思議ですし、
人間は強いので、その環境に合わせて逃げ道がないと勝手にレベルアップしていくんです。

日本の会社にいると、言われた事を受動的に黙ってやるで何も困りませんよね。
でも、それだと海外では順番が回ってこなかったり、困ってますと主張したり、病気なら病気ですと自分の言葉で説明しないと助けは得られません。

現地旅行会社で勤務していた時、新ツアーの視察に手を上げてよく行かせてもらった

2.いい意味で、諦めがよくなり、柔軟になった。
オーストラリアの都心部は、シェアフラットが主流でした。このシステムも私を成長させたきっかけです。

*シェアフラット…マンションの3LDKや一軒家などを数名でシェアすること。1人部屋もあれば、1部屋に二段ベッドが数個あるようなシェアルームも。

中には本当に気の合わない人や、宇宙人か!?というくらい自己中な人もいます。
私の場合は、私のキックボードやお皿を勝手に使われて、その上お皿を洗わずにやったのは私の友達だと嘘をついたり、
コカインをやって狂暴化し私を泥棒扱いして私の部屋のドアを壊して侵入したり、
自分が洗濯したい時、洗濯機に既に入っていた私の洗濯物を勝手に出して濡れたトイレの床付近に放り出したり…

お前何考えてるんだ!?という理解不能な人たちが沢山いたんです。笑
前は「話せばわかる」派だった私でしたが、「どう頑張っても分かり合えない人もいる」と知り、諦めるまでのスピードはすごく早くなりました。

黄色い家。月10万円くらいでシドニー都心で一番安かった

逆に、とても気の合う成熟した人であっても、環境・食・政治・宗教的な考え方が全く違うこともありました。
「なるほどな、私とは考え方が違うけど、この人はそういう意見なんだな」前なら説得したり、絶対に自分が正しいと口論していたかもしれません。
でも、その人に知識がないのならまだしも、知識があり本人が考えた上でそう思うのなら、私に考えを変えることはできないよな、と以前より柔軟に受け入れられるようになりました。

また、自分がアジア人で現地語が流暢でない等という事は不利な時もありそういう時も
「私にできることはここまでなのだから、私にできる分野を精一杯頑張って、それでほかの人に勝てばいい」
「分かってくれる人が分かってくれればいいんだ」

と潔く諦めることができるようになりました。

ワーホリに行って、自信がついたし、メンタルが強くなった

結論、オーストラリアへワーホリへ行ったことで私は100%変わるきっかけになりました。行かなかったとしたら今私は全く別の人間でしょう。
もっと偉そうで謙虚さがなく、頭も固い頑固おやじ化していただろうと思います。
また、嫌な人や悪い点を見ても、憎むべき向こう側の敵というより「もしかしたらそっちに行っていたかもしれない私」と身近に感じるようになりました。不思議。

たまに「自信がない」という人がいますが、自信が簡単につく方法があります。それは「自分のやりたい!という気持ちのまま行動し、そこで成功体験を得る事」を繰り返すことだと私は思います。

例えば英語が話せないことがコンプレックスの人は、見ない触れないようにして過ごすことで自分の自尊心を保とうとします。
運悪く、英語を話せる人を見てしまい悔しくなったら、自分より劣っている部分を何か見つけてケチをつけ、自分を納得させることで自分を守ります。

でも、それって根本的な解決にはなりませんよね。

自信がないなら、自信をつけるために行動して克服すればいいだけです。
でも、そのためには一度「自分は英語ができないんだ」と認めなければいけません。みじめで、自分のプライドが傷つくことがファーストステップです。
だから皆、なかなかできないんですよね。

何か始める時は、プライドが折られる事や、助走期間は織り込み済みで予想しておく

でも、英語ペラペラは無理

ワーホリで英語がペラペラになるのか?
もちろんなりません!!!笑

・アジア人同士で日常会話が困らないくらい話せる
・欧米人相手に言いたいことは頑張ったら言える(聞き取れるか&聞き取ってもらえるかは別)
・I want〜とかはスラスラ。that節はまだ考えながら話す。
・ひとつひとつの単語の発音は悪くないはずなのに、文のリズムが平坦で聞き取ってもらいづらい

中学生英語+つよめメンタルという感じ。
まず目の色や顔の濃さや体格が違うだけで圧倒されるし、緊張するし、絶対聞き取れない!!!と耳が拒否してしまっていたのですが、
優しい人に出会って、人によってはいい人もいるのかも…ビクビク…でもまだ平たい顔族以外の人間が怖い…という状態。

馴れない頃は日本人のいる場で英語を話すのが恥ずかしいんですが、これは全くなくなりました。
あと、通じなくても軽く扱われても、基本は「聞こえなかったのかな?じゃあもっと大声で話さなくっちゃ!」というくらいメンタルつよつよになりました。

まとめ: どの程度「海外で旅しながら働く」未来に近づいたか

トータル40%くらい。

【英語】
今が100点とすると、40点くらい。
文法を間違ってもそんなの関係ねえ!と言わんばかりに大声でしゃべれるメンタル。飛び込み営業できる図太さ。
でも欧米人を前にすると多少ひるむ

【デザイン受託(ローカル)】
日系レストラン、日系企業相手のセールスは比較的成功。

【デザイン転職・受託(オーストラリア企業相手のビジネス)】
失敗。
・まだまだ英語力が足りないと課題がクリアに
・現地人と対等にデザイン業務を行うにはカレッジに行かないと厳しい
・生活費が高すぎ

そして「旅しながら働く」を叶えるためには、
①現地の会社に雇われ会社員として働くか
②フリーランスデジタルノマドとして仕事を得るのか

を、選ぶことになります。

下の記事にもいろいろ書いています
旅しながら働きたい!海外行きたい!というデザイン志望の方は読んでみてね。


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