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モジ コトバ あれこれ part 2

以前に part 1 で文字や言葉について綴りだしたのですが、何やら触れたいものに辿り着けなかったような氣がしていたので再びpart2です。

とは言うものの、触れたいものが何なのかは相変わらずぼんやりとしたままなのですが、またしてもゆらゆらと漂ってみたいと思います。


ふと、言葉って「コト場」だよなあ、、と思ったのですよね。


「コト」の「場」。



じゃあ「コト」って何なのよ?という話なんですが、


ものごと、できごと、秘めごと、大ごと etc.   


コトって実体がないものなんですよね。


昔の日本人というのはコトというのをどうやら「意識」として捉えていたようなんですよ。

そうすると、ものごと→ものの意識、出来事→出てきた意識、ひめごと→秘めた意識、おおごと→大きな意識 といった具合に、様々な意識に置き換えられるんですよね。


コトバというのはコトの場であり、「意識の場」であるというのが本質なのかも知れませんね、知らんけど。

コトはヒフミヨイムナヤコトのコト、つまり九、十でもあるので、コトバは九(転がり入って)十(統合する)場とも言えるのでしょうね。


そしてコトバの「バ」は「端」でもあるので、コトノハというのは意識の端っこの部分であり、意識全体の へりの僅かな切れ端のようなもので、

樹木全体が意識だとしたら、同じ全体の一部である先端の葉が枝を離れて分離し、はらはらと意識世界へと降りたものがコトノハである言葉なのでしょうね。


言葉は分離であり私たちの世界というのは言葉によるコミュニケーションによって成り立っている訳ですが、樹木の例えを書いているうちに森の木々達の話を思い出しました。


「ウッド・ワイド・ウェブ」という現象をご存じでしょうか?

これは言葉をもたない森の樹木達が実はお互いにコミュニケーションを取り合いながら共存しているというものなのですが、


森の地中では菌類がインターネットファイバーのように密な網を張りめぐらせており、この菌を通して害虫や干ばつなどの様々な情報が樹木達に伝わります。

樹木の中には敵が近づくと葉の中に有毒物質を集め、それを周りの仲間に知らせるためにガスを発散するものもおり、警告された周囲の木々は有毒物質を準備しはじめます。
動物のほうもちゃんとそれを知っていて、まだ木々の伝達が伝わっていないエリアの葉を食べに行くそうです。

樹木達の社会は調和に満ちており、古く弱った木があると周囲の木が根を通じて自分の栄養を譲りその木を助けます。それは自分と同じ種類の木だけではなく時にはライバルとなる木にも栄養を送るそうです。

仲間木は隣にある同じ高さの木の枝先に触れるまでしか自分の枝を広げず、隣の木の空氣や光の領域を犯すことはしません。


森の中では樹木達の間でも生き抜くために様々な生存バトルが繰り広げられている訳ですが、そうした中でも木々たちは森全体の調和を保つことを優先させます。


樹木達は森全体を護ることが結果的に自分達を助けると知っているからなんでしょうね。



そしてこうした樹木達の調和に満ちたやりとりは天然の森林の中でしか見ることができないそうなのです。植林ではない天然の森の大切さがよく分かります。


ウッド・ワイド・ウェブについて興味のある方は「樹木たちの知られざる生活 (ペーター・ヴォールレーベン著)」をどうぞ( •ω•ฅ)

いつの間にか本の紹介になっていますがw


私達は普段、言葉を使ったコミュニケーションを前提とした世界に生きており、言葉や分かりやすい視覚的なもの以外のコミュニケーションというものをあまり意識してはいませんが、

一見ただ静かに佇んでいるだけに見える樹木達が実は壮大なネットワークを持ち互いにコミュニケーションを取り合っているように、本来のコミュニケーションというのは水面下で行われるものなのでしょうね。

シャーマニズムなどにみられる森の精霊達との会話というのは言葉による分離を超えた本来のコミュニケーションの形と言えるかも知れません。


今回は森の中への着地となりました*・゚゚・*:.。..。.:*



また書きたくなったら part 3を発動します
⊂︎('ω'⊂︎ )))Σ≡︎=


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